11.江北の開発
建安元年(196年)12月 徐州 下邳
「劉備よ。貴殿を徐州牧ならびに鎮東将軍に任ずる。さらに此度の働きを認め、下相侯に封ずるものとする。以後も朝廷への忠節に励むように」
「ははっ、謹んで承ります」
揚州の沈静化が落ち着くと、朝廷から正式な使者が送られ、俺の官職と列侯への就任が正式に認められた。
これは曹操が天子さまを豫州 潁川郡の許県に迎え、そこを都として宣言したうえでの話である。
つまり曹操は正当な王朝の権威を得たことになり、大将軍として中原に号令を発する立場となった。
この動きを知っていた俺は、早々に許都へ使者を送り、恭順の姿勢を見せていた。
そして劉繇と協力して揚州を鎮圧したことを伝えると、曹操は喜んで現状を追認してくれたわけだ。
おかげで劉繇は今後も揚州牧を続けることとなり、さらに孫策は明漢将軍に任命され、彼の一味の朱治が呉郡太守となっている。
(注:孫策が太守にならないのは、本籍回避のため。地元の人が太守や刺史になると、不正が起きやすいから禁止されていた)
ちなみに俺の支配している九江郡と廬江郡も、陳珪(陳登の父親)と関羽をそれぞれ太守に上奏し、認められている。
これによって俺は、280万人の徐州民と、80万人の揚州民を統治する形になっていた。
そこで俺はまた重臣を集め、今後の方針をすり合わせることにした。
「わざわざ集まってもらって悪いが、さっそく今後のことを話し合いたい」
「もちろんでございます。それにしても徐州だけでなく、九江や廬江まで治めるとは、ずいぶんとご立派になられましたな」
「いや、これも普段から俺を支えてくれる、お前たちの働きあってのものだ。それについては本当に感謝している」
「とんでもございません。我々こそ良い働き場を得て、感謝しておりますぞ」
「そのとおりでございます」
俺が感謝の念を伝えれば、陳羣や孫乾が自分こそ感謝していると言ってくれる。
実際問題、今生では優秀な部下を多く抱え、格段に安定した統治を行っているのだ。
まず徐州の政務全般については、陳羣や孫乾、糜竺が見ていてくれる。
そして陳宮や魯粛が周辺の情報を集め、いろいろと助言をしてくれた。
今回の揚州攻略も、彼らの働きが大きかったのだ。
そして軍自体は関羽を筆頭に、張飛、張遼、陳登、陳到らが普段から兵を鍛え、戦場でも大活躍していた。
おかげで数万を擁すると言われた袁術軍にも、比較的短期で打ち勝てたのだ。
もちろん、それには劉繇と連携し、九江郡や廬江郡の情報を操作した、裏方の働きも大きいと思っている。
いずれにしろ今生の俺は、かなり上手くやれてると思うんだよな。
ちょっと上手くいきすぎて、怖いぐらいだ。
しかしだからといって気を抜いていると、一気に転落しかねない。
俺はその思いを、改めて口に出した。
「皆がそう思ってくれるのなら、俺もこんなに嬉しいことはない。しかし少しでも気を抜けば、情勢は一気にひっくり返る。そうならないためにも、まずは情報を共有しようか。陳宮、頼む」
「かしこまりました」
そこから先は、陳宮に周辺情勢を説明してもらった。
まず北方は曹操が兗州と豫州をほぼ制圧し、天子を許都に招いている。
この辺は前生の歴史どおりなのだが、俺が安定しているおかげで、曹操の支配体制がより強固になってるのが、前生との違いだ。
そして青州は、袁紹の息子である袁譚が制圧していた。
当の袁紹は鮑丘で公孫瓚を破り、幽州に圧力を掛けているとこだ。
いずれ公孫瓚を討ち取れば、幽州と并州をも併呑して、強大な勢力となるだろう。
ちなみに俺と公孫瓚は旧知の間柄だが、今の俺は袁紹や曹操と同盟しているので、助けることはできない。
もっとも公孫瓚が皇族の劉虞さまを処刑した時点で、俺は彼を見限っているので、さほど罪悪感はなかったりする。
いずれにしろ北方は表向き、友好的な勢力に塗り替わったので、あまり問題はないと言っていいだろう。
あくまで当面の話だが。
一方、西方には劉表が治める荊州がある。
劉表とは直接の争いはないが、曹操が劉表と敵対しているので、いずれぶつかる可能性は高いのが実情だ。
「というわけで、当面は荊州からの侵攻に備えておけば、我々は安泰と思われます」
陳宮がそう締めくくると、関羽が疑問を示す。
「揚州は本当に安全かな? 山越族もいるし、あの孫策という若者の野心には、強いものがあると思うがな」
「たしかに。山越には注意が必要ですが、江北には大した勢力はいないでしょう。孫策も当面は呉郡をまとめるだけで、精一杯だと見ています」
「ふむ、そんなところか」
想定の範囲内だったか、陳宮がスラスラと答えると、関羽もそれ以上は追求しなかった。
そこで俺は次の議題を持ち出す。
「これで周辺の情勢は分かってくれたと思う。そのうえでなんだが、俺は荊州への侵攻を考えている。もっともすぐには無理だから、それなりに準備を整える必要があるがな」
「準備と言われますと、支配地の治安を高めて、戦力を増やすのですかな」
「ああ、そんなとこだ。現状の兵力ではとても荊州に侵攻なんてできないし、銭や兵糧も足りないからな」
「現状が見えておられるようで、安心いたしました」
そう言って安堵しているのは魯粛だ。
それをにこやかに見守りながら、陳羣が先を促す。
「して、具体的にはどのように進められるのですかな?」
「ああ、基本的には今までやったことと変わらない。領内の治安を高めつつ、徐々に豪族を締め上げて、税収を上げることだな。それと並行して、貨幣経済の活性化も図りたい」
「ああ、九江郡と廬江郡が加わりましたからな。多少は銭が回るようになりますか」
「そういうことだ」
中原では董卓がらみの混乱で、貨幣経済が上手く機能しなくなっていた。
反乱騒ぎで混乱しただけでなく、経済の中心だった洛陽が破壊されたのだ。
さらに董卓が劣悪な五銖銭を濫発したため、貨幣価値が急落してしまう。
そのため中原では貨幣経済が機能しなくなり、物々交換が主体となっているのだ。
特に曹操はその辺を上手く統制し、兗州や豫州の経済を立て直していると聞く。
俺もそれを真似て、徐州での納税は物納を許し、そのための規則を整備してもいた。
おかげでそれなりの税収は確保できているのだが、やはり貨幣経済も回したい。
そして幸いなことに、華南地域では中原よりも貨幣経済が機能しているのだ。
中原とは距離があることと、長江を中心とした独自の経済圏があるせいだろう。
そこで傘下に入った九江郡と廬江郡を、徐州経済の立て直しに使おうと考えていた。
「まずは九江や廬江の市場を調査して、その商圏を徐州へ広げよう。基本的に取引きは城内の市場に限定し、その規則も周知させて、物価の安定を図るんだ」
「ふうむ、領民がついてこれますかな?」
「すぐには難しいだろうが、根気強く説明するんだ。物価が安定すれば、商品も入ってくるだろう。それこそ揚州全体へ取引きを広げれば、さらに経済が活性化する」
「ほほう、さすがですな。劉備さまは貨幣経済にもご理解があるのですな」
「そんな大したもんじゃないさ。それこそ経済については、魯粛の方が理解が深いだろう。だからこの件は魯粛に頼みたいんだが、いいか?」
「ホホホ、どこまでやれるか分かりませんが、やってみましょう」
この時、俺は前生で益州を攻略した後のことを思い出していた。
2年近くかけてなんとか益州を奪取した俺は、配下たちに気前よく褒美をばらまいたんだ。
おかげでみんな喜んでくれたはいいが、俺の財布(益州の金庫)はすっからかんになっていた。
そのままでは益州の運営もできないんで、劉巴という男を召し出して、国庫の立て直しを任せた。
そこで劉巴がひねり出した方策が、”直百五銖銭”である。
それは普通の五銖銭とほとんど変わらない銭に、百倍の価値をつけて流通させるという荒業だ。
通常であればそんなもん、市場が受け入れるはずがない。
だけど劉巴はそれを城内の市場だけで流通させ、役人の監視をつけることで無理矢理、受け入れさせたんだ。
ただしそれをやるだけでは、市場が混乱するってんで、物価の安定に注意を払ったのはさすがである。
今回はその時の経験を基にして、徐州の貨幣経済を活性化させようと思っていた。
素人が下手に手を出せば火傷をするが、魯粛の実家は商売で財を成した家系だ。
俺たちよりは、上手くやってくれるんじゃないかな。
すると関羽から質問があった。
「兵の方はどうされますか? 劉備さま」
「関羽はとりあえず、廬江の守りと治安の改善に集中してくれ。それと並行して、張飛たちは徐州の兵を鍛えるんだ。それとできれば、水軍も雇いたいな。誰か水軍を指揮できるような人材は、いないかな?」
誰にともなく訊ねると、魯粛が応えてくれた。
「それについては、私の伝手で探してみましょう。有名な武官は難しいでしょうが、川賊のような連中なら、仕官してくれるかもしれません」
「まあ、そんなところだろうな。そっちの方は頼むよ。それじゃあ、これからしばらく、統治と練兵に集中して、力を蓄えようじゃないか」
「「「御意」」」
こうして俺は、さらなる戦いに向けて、準備を始めたのだ。




