幕間:劉繇と太史慈
【劉繇】
儂の名は劉繇 正礼。
漢の皇族 斉の孝王の末裔よ。
若い頃は官吏として務めていたこともあるが、最近は戦乱を避けて江南へ避難していた。
すると天子さまから詔勅が下り、揚州の刺史に任命される。
しかし揚州の都である寿春一帯は、袁術に押さえられていたため、儂は曲阿にて仕事に取りかかった。
まずは兵を集めて、袁術の揚州支配に対抗したのだ。
翌年には揚州牧、振武将軍の地位を得たこともあり、それは順調に推移していた。
ところが敵に孫策という指揮官が加わると、にわかに旗色が悪くなる。
聞けば孫策は、前の破慮将軍 孫堅の忘れ形見というのだから、その強さも理解できないではない。
その後は丹陽の北部を徐々に制圧されてしまい、いよいよ曲阿も危うくなってきた。
これはいよいよ、どこかへ落ち延びねばと考えていると、徐州の劉備から誘いがあったのだ。
劉備は前徐州牧の陶謙から、その地位を引き継いだという。
その正当性はいささか怪しいが、彼はこの戦乱の世で、徐州をしっかり統治しているようだ。
そして劉備は儂の身を徐州に一時かくまい、いざという時は揚州の奪還に力を貸してくれると言うのだ。
この揚州に隣接する徐州の支配者が、儂に力を貸してくれるというのは大きい。
そこで儂は恥を忍んで、徐州の広陵へ落ち延びたのだ。
そしてしばし情勢をうかがっていると、いよいよ揚州奪還の機会が巡ってきた。
劉備が寿春を攻めるのに先行して、儂に丹陽郡で兵を起こせと言うのだ。
そのために2千人もの兵を預けるという、大盤振る舞いだ。
儂は歓喜したが、妙な条件も付けられた。
「太史慈に兵を率いさせよと?」
「はい、太史慈どのは武勇に優れ、中原でも名が知られております。彼が兵を率いれば、見事な働きを見せるであろうと、劉備さまはおっしゃっていました」
「ふうむ、それは一理あるかのう」
劉備からの使者が、兵を率いるのは太史慈に任せろと言うのだ。
太史慈は確かに武勇に優れておるが、許劭などの受けが悪いので、今まではあまり使ってこなかった。
(注:許劭は人物鑑定で有名な名士で、この頃の劉繇に仕えていた)
しかし後援者であり、自身も武勇に優れる劉備の言うことじゃ。
ここは素直に、言うことを聞いておくか。
「あい分かった。次の戦では、太史慈に兵を率いさせるとしよう」
「お聞き入れいただき、ありがとうございます。ちなみに丹陽の民を味方につけるため、略奪はしないようご指示を願います」
「心得た」
こうして丹陽郡へ攻めこんだのだが、たしかに太史慈は良い働きをしてくれた。
以前はあれほど苦労していた攻略が、サクサクと進む。
これは儂も見誤っておったな。
もっと前から太史慈を重用しておれば、曲阿を追い出されることもなかったかもしれん。
いや、それは言っても詮ないことだ。
いずれにしろ、今後は揚州をまとめていくにあたり、太史慈を上手く使っていこう。
「今回の働き、見事であった。今後も頼りにさせてもらうぞ、太史慈」
「はは、お任せください」
こうして丹陽郡を制圧しているうちに、劉備が寿春を攻め落としたという。
袁術は降伏し、従兄弟の袁紹を頼って、北に落ち延びていったらしい。
さらに劉備は、短期間のうちに九江郡だけでなく、廬江郡まで制圧しおった。
う~む、実に見事なものよ。
それだけでなく、呉郡をほぼ制圧していた孫策との間も取り持つときた。
おかげで孫策との和解は成り、儂は初めて揚州全体を統率したことになる。
あいにくと九江郡と廬江郡では、劉備の息の掛かった者が太守をしておるが、それは仕方ない。
儂だけでは、とても維持できないからな。
ちゃんと税は納めると言っているので、まあ上手く使ってやろう。
その後、劉備や孫策と顔合わせをしていると、劉備が豫章郡のことについて、言及してきおった。
「その件ですが、私にお任せいただけないでしょうか。実は諸葛玄どのは、我が徐州の出身なのです。なんとか説得して、私の下で働いてもらおうと思います」
「おお、そういえばそうだったな。しかしどうやって説得するのだ?」
「私の手の者を送り、徐州に招きたいと伝えます。こうして劉繇さまの下、揚州がまとまったことを説明すれば、応じてくれる可能性は高いかと。ついては劉繇さまにも、諸葛玄どのの命を保証する旨、一筆したためていただけると助かるのですが」
「ふむ、それぐらいで豫章の混乱が収まるのであれば、造作もない。後ほど、書状を用意しようではないか」
「ありがとうございます」
豫章のことについては、儂も頭を悩ませておったのだ。
劉備が諸葛玄を引き取ってくれるのなら、大助かりだ。
これはますます、彼に頭が上がらなくなるのう。
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【太史慈】
俺の名は太史慈 子義。
青州生まれの無頼者よ。
昔は青州で役人をしていたこともあるが、今は劉繇さまに世話になっている。
しかし劉繇さまは、あまり俺のことを認めてくれはしない。
腕っぷしには自信があるし、中原でもそれなりに名が売れてるんだがな。
劉繇さまは今、寿春の袁術とやり合ってるんだが、最近は旗色が悪い。
それまではこちらが優勢だったのに、孫策という小僧に情勢をひっくり返されたそうだ。
聞けば孫策は、前の破慮将軍 孫堅の息子だというのだから、それもむべなるかな。
だけどこっちだって、兵力じゃ負けてねえんだから、やりようはあるはずだ。
ええい、くそ。
俺に兵を預けてくれればなあ。
だけど劉繇さまは体面を気にするばかりで、俺に大役を任せてくれねえんだ。
そうこうするうちに、本格的にやばくなってきたんで、曲阿から逃げる話になった。
これは主人の見限りどきかと考えてたら、徐州牧の劉備さまに誘われたということで、劉繇さまと一緒に広陵へ行くことになる。
しかも事はそれだけじゃ済まなかった。
やがて揚州の奪還に動くにあたって、俺に指名が入ったんだ。
「俺が兵を率いて、丹陽を落とせってんですか?」
「うむ、そうだ。劉備がお前を使えと、強く勧めてきたからな。ちなみに略奪は極力しないようにとも言われている」
「ッ!……その任、承りました。必ずや、丹陽を落としてみせましょう」
「うむ、頼んだぞ」
なんてこった。
あの劉備さまが俺を推薦してくれるとは。
以前、劉備さまの兵を借りて、孔融どのを救ったことがあるから、そのせいかな。
誰かに認められるってのは、気分がいいものだな。
これは今回のお役目、絶対に失敗できねえ。
見事に期待に、応えてやろうじゃねえか。
「野郎どもっ! 俺に続け!」
「「「おうっ!」」」
まずは手薄だった江乗の城を、一気呵成に奪い取った。
その勢いに乗って、湖熟、秣陵、丹陽と制圧していくと、続々と周辺の豪族どもが恭順してくる。
それは劉繇さまの州牧としての権威もあるが、背後に劉備さまがついてるってのも大きいだろう。
そのうえ俺たちは連戦連勝なんだから、豪族どもが手のひらを返すのも当然か。
しかし以前はあんなに苦労してたのに、こうも上手くいくものだろうか?
行く先々で民に歓迎されるのも、不思議でしょうがねえんだよな。
劉備さまに釘を刺されたせいで、略奪をしてないのが大きいな。
そのうえで劉繇さまの正当性を、あちこちで喧伝してるようだ。
ただしそれをやってるのは、劉備さまの手勢らしいんだがな。
戦ってのは武力だけでなく、こういう情報も武器になるんだなぁ。
参考になるわ。
こいつは俺も、仰ぐ旗を考えなおすべきかねえ。




