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夏5


神社の階段を登る。

仕事着である巫女服は神社に置いてあるため私服で向かう。

階段の横を巨木が並ぶ。深く茂った緑が光をさえぎって木陰を産んでいた。今日は深緑色の目が見たい。それと、晴れ渡った空の色。

夜は私にとって例えるならば空だ。

時間によって、場所によって色が変わる様は夜の目と同じ。

私の目は逆だ。どの色も映す事が無い漆黒。私は自分の目が一番嫌いだ。


「おはようございます」

「おはよう」


すれ違った巫女仲間に挨拶をして、神社の中に入る。

手際よく着替えて、いつもの場所に向かう。

途中、思い出して昨日貰ったかんざしを帯に差した。かんざしの赤の部分を指先で確かめるように撫でる。

早く、会いたい。片時も離れたくないよ。たった数時間、離れていただけでこんなにも恋しい。

はやる気持ちを押さえつつ、進んでいると、声がかかる。


「雪森さん」

「はい?」


巫女仲間の一人。困ったような表情を浮かべている。


「また、あの人が来て……」

「ああ……あの人ですか?」


私も困った表情を浮かべる。

最近来る困った参拝客。桜祭りのコンテストで優勝してから毎日のようにやってくる若い男性だ。

男性は私が気に入ったらしい。やって来ては贈り物をしてくるが、受け取らないようにしている。と言うのもそれらがとても高価だからだ。ブランド物のバックや香水、洋服など。

どれもこれもいらない物だ。それに、受け取ってしまったら何か対価を求められそうで怖かった。


「居ないって言ってくれる?」

「それが……入って行くのを見たって言っていて」


深く溜息を吐く。裏口から入って行くのを見ていたらしい。


「ストーカーとかされてない? 大丈夫?」

「今のところは……大丈夫です」


何度か付けられそうになった事はあったが、日が暮れるまで夜と一緒に居て、時間をつぶせば気が付くと居なくなっていた。付けられていたらと思うと恐ろしい。

桜祭りのお陰で参拝客は確実に増えた。

けど、こう言った事はご遠慮願いたい。

それに私は男性に何度も彼氏がいる事を伝えている。何度も、何度も、会う度に。それでも聞かないのだ。


「分かりました……行きます」

「ごめんね」

「いえ、大丈夫です」


長い廊下を歩き始める。

夏でもここはひんやりしていて居心地がいい。

心の中でもう一度溜息を吐く。会いたくないな。

夜に会いたい……

そんな願いが通じたのか、


「夜……!」

「あ、紅……おはよう」

「お、はよう」


夜とすれ違った。少し気恥ずかしくてもじもじした。

だって、あんなにキスしたんだもの……頬に熱が集まるのを感じる。それに夜は気が付いて、夜も気恥ずかしげに視線を少しずらす。


「俺の部屋に来ないの?」

「あ、うん……ちょっとお客さんに呼ばれたから……」

「最近多いな……無理はするなよ」

「うん! ……終わったら部屋に行くね」


嫌な事が終わったら、夜に甘えたい。

昨日、甘えないようにしようって思っていのに……私は意志が弱い。

行きたくない思いを押し込めて外に出る。男は出口で待っていた。


「雪森さん!」

「……はい、ご用件は?」

「ずっと会えなくて心配したよ!」


無視され、男は自分の世界に入って行く。会えなかったのは私があなたを避けていたから。どうして分からないの?

男を見据える。口元だけ笑い、冷たい目で男を見る。

嫌な事は耐えるだけ、ずっとそうしてきた。心を殺せば誰も嫌な思いをしない。私だけが嫌な思いをするだけ。


「雪森さんの仕事終わりを待っていたのだけど、中々出てこなかったね、残業でもしていたの?」


隣に居た巫女仲間はそれを聞いて明らかに顔をしかめた。気持ち悪いと口が動いたのも確認できた。


「ご用件は何でしょうか?」


機械の様に同じことを言う。男が悦に入る。


「君に会いに来たに決まってるだろ!」


巫女仲間が心配そうに私を見た。私も困った表情を浮かべた。

男は、まるで長い間会えなかった恋人の話をするかのように話す。自分に酔っていた。


「何度も申し上げていますが、私にはお付き合いをしている人がおります」

「知ってるよ! だから助けようとしているんじゃないか」


助ける? 一体何から?

男の発言は理解できない事が多いが、今まで一番理解できない言葉だ。


「君を縛りつけている彼氏から解放してあげるよ!」

「……は………?」

「良いよ、言わなくても分かる。無理矢理だったんだろ?」

「……何が、ですか?」

「無理矢理彼女にされてしまっているんだろう? 分かるよ」


え? 何?

私は、夜の彼女で、夜が私を無理矢理彼女にしたって事?

心が一気に冷えて行く。貼り付けた笑顔が剥がれ落ちる。

この人、夜を馬鹿にした? 私の大切な人をまるで犯罪者の様に? 私は、好きで夜の側に居るのに?

聞いていた巫女仲間が私の様子を察してか口をはさむ。


「雪森さんはお付き合いしている人をとても愛しているのですよ?」

「そんな事、君には分からないだろう!」

「あなたにも分からないと思うのですが」

「僕には分かる! 雪森さんを一番に思っているから!」


巫女仲間は頭を押さえた。あまりにも話が通じなかった。

私と夜の仲は神社では公認だった。夜の育ての親である祖父母が認めているのだ。他に付け入る隙があるだろうか。

私は言葉が出せなかった。夜を悪く言われ、頭に血が上っていた。仮にもお客様なのだからと言う考えはどこかに吹き飛んでしまっていた。

私を悪く言うのはいい。迷惑を被るのも最悪いい。

夜を悪く言うのは耐えられない。

そもそもの発端は、コンテストで目立ってしまったから。

夜が悪く言われたのは私のせいだ。

私が、全部悪い……


「僕は君を救いに来たヒーローなんだ!」


男は放心している私の手を掴む。

巫女仲間が焦る様に私を見る。


「さあ、ここから逃げよう!」


私は、その手を振り払った。当然の、咄嗟の反応だった。

誰が触っていいって言ったの? 私に許可なく触れていいのは世界でたった一人なのに。


「突然で驚かせちゃったね」


男の妄想は止まらない。


「僕と君は運命なんだ!」

「……………」

「結ばれる運命なんだ!」


私は、男を睨みつけた。

じゃあ、私と夜は一緒には居られないって言いたいの?

嘘だ! 私と夜は結ばれる、結婚する! そう言う風に決まってるの! ずっとずっと前から! ずうっと前から決まってるのに!

その考えに、ふと思考が止まる。

………前から?

前って、いつから? 私はいつからそんな風に思っていたの?

男はただただ私に思いの丈を伝えてくる。私はその思いには答えられない。私には心に決めた人がいるから。他の人はいらないの。どうして分かってくれないの?

男を見据える。どうしたらいいのか分からずに、ただただ観察するように見ていた。呆れの感情もあった。夜を悪く言った事を謝らせたかった。けれど、非力な私は無駄な争いを避ける為、今日も我慢するしかなかった。

我慢していれば、大丈夫。男も、そのうち私なんか忘れて他の女を追いかけるようになる。今だけ、そう……今だけ。

そう言い聞かせて、感情を押し殺した。

助けが入ったのは私が諦めたすぐ後だった。


「紅!」

「! 夜!」


気が付くと巫女仲間は隣に居なかった。夜を呼んできてくれたようだった。

夜と男が対峙する。

夜は今までにないぐらい男を強く睨みつけていた。

そんな夜は見た事が無くて心臓が痛いくらい跳ねた。


「失礼、お客様、何か粗相がございましたか?」

「な、何だ、君は」

「私はこの神社の者です。こちらの巫女が何か粗相をいたしましたか?」

「粗相だなんて、とんでもない。私は雪森さんと未来の話をしていたのです!」


男は首をわざとらしく振る。男の気持ち悪い笑顔と目が合って、思わず夜の後ろに隠れた。

夜は私を優しく匿ってくれた。


「未来の話、ですか?」

「ええ、将来的な結婚の話を……」

「………本当なのか? 紅」


夜の顔を恐る恐る見る。怒ってないかな、嫌われてないかな。

そんな心配は杞憂に終わる。

夜の心配そうな顔を見て、安心して涙を零す。首をぶんぶんと横に振った。


「雪森は嫌がっているようです」

「そんなはずはないだろう!」


男の手が私に伸びる。悲鳴を上げてさらに夜にくっ付いた。

嫌! 夜の前で他の誰かに触るなんて嫌! ましてやこんな人となんか!

その手は嫌がる私に届く事は無かった。

最初に聞こえたのは男の悲鳴だった。


「ぎ、いっ!」

「お引き取り下さい」

「いだっ! 痛い!」


夜は男の手首を掴んで捻りあげていた。

夜は自身の祖父に空手を教えてもらっている。一対一なら負ける事は無い。


「離せっ! 離してくれ! ぐぅっ!」

「二度と近付くな」

「分かった! 分かったからっ!」


夜はようやく男の手を解放した。

男は慌てて荷物を纏め始める。夜を窺っては悲鳴を上げている。

私からは夜の表情は分からない。一体どんな顔をしているのだろう。


「こんな場所、二度と来るものか!」


恥をかいた男はそう吐き捨てて、男は立ち去って行った。

そこでようやく私は一息ついた。


「紅!」

「よる……」

「大丈夫か?」


心配そうに私を覗き込む。その目は私の見たかった深緑だった。


「大丈夫、ありがとう」

「他の人から聞いたけど……結構しつこかったんだって?」

「……うん」


そう言うと、夜は目を伏せた。私が見たかった深緑は隠れてしまった。どうしよう、何が駄目だった? 夜を傷つけた?


「俺って、そんなに頼りない?」

「えっ、そんなこと……」

「前からだったんだろ? どうして頼ってくれなかったんだ?」

「……夜」

「……ごめん、紅を責めたい訳じゃなくて……自分が情けなくて……気が付いてあげられなかったから」


夜の優しさがじんわりと心にしみる。夜は私を責めない。何時も自分を責める。夜は悪くないのに。

私は夜の着物の袖を掴む。ゆっくり見上げた。

申し訳なさそうな表情をした深緑と目が合った。


「夜、私………すごく嬉しかった」


夜が分からないと言う顔をする。


「夜が助けに来てくれて、私っ……小説のヒロインになった気持ちだった」

「……紅」

「何時だって助けてくれるのは夜だもの……夜は何も悪くないよ……大好き」


私は夜を見上げた。夜の瞳はさっきより明るい緑になっていた。そう、夜の目は、一時だって同じ色じゃない。だから儚くて美しい。私よりもずっとずっと……一瞬だから。


「分かった……けど、何か困った事があったら言って欲しい」

「……うん」

「俺は紅を守りたいだけだから」


夜、優しい夜……私の空。

何度も何度も頷いた。嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。

このまま幸せな時間が永遠に続けばいいのに。

これは、行き過ぎた願いだろうか。

私は、来たばかりだが小休憩を貰った。先程の事もあって少し休んだ方がいいとの判断だった。私は夜の部屋に行く事にし、夜の後を付いて行く。

夜の手を見る。私よりも大きくて骨ばっている優しい手。私を助けてくれた手。その手に触れたくて、夜の着物の袖を掴む。


「……紅?」


声がかかるが言葉は返さず、夜を見つめる。

夜は、それ以上何も言わずに私の手を握ってくれた。

私は腕に寄り添って微笑んだ。

部屋に着くと、文献が山積みになっていた。文献と言っても、ここにあるのは全部写しで大元は本家にあるようだった。


「今は何のお勉強?」


少し興味が出て、それとなく聞いてみる。


「今は山神様の事」


目を細めた。あの白い山の神。山の化身だ。

赤い目が特徴的な少女、私が知っているのはそれだけ。


「どの文献にも名前はおろかどういった経緯で初代様と一緒になったかも分からないんだよな」

「……そうなの、謎が多いんだね」


夜が言うには悪霊退治を生業としてきた初代様を山神の力を持って手伝っていたようだ。よく使うのは絶対零度の氷の技。この技にかかればどんな妖怪も悪霊もひとたまりもないらしい。人に使えばあっという間に全身氷漬けになって死が待っている。


「夜はそんな山神様の子孫なんでしょう?」

「……うーん、それは微妙なんだ」


山神が人の子を産むとは考えられてはいないようだ。

そんなはずはないと思う。仮にも神なのだから愛する人の子を産もうとするはずだ。相手に望まれているならなおさら。

私がもし山神なら、何が何でも子供を産もうとするのに。


「あ、紅」


夜が何かに気が付いて、手がこちらに伸びてくる。


「かんざし、使ってくれてるの?」

「……うん、本来の使い方ではないけれど」

「それでも嬉しいよ、ありがとう」


夜はかんざしに触れ、私に茶色い瞳で優しく微笑む。今は木の幹の色を反射しているんだ。

きっと夜は初代様の生まれ変わりなんだ。だって、同じ目をしているもの。文献にそう書いてある。私は、山神様と夜の間を横恋慕している様な、そんな気になる。

でも、あげない。

誰にもあげない。夜は私の大切な人だから……

例え神様にだって、渡したりしない。

私はゆっくりと微笑む。


「髪の毛伸ばすね」

「無理しなくていいからな」

「うん!」


私たちの夏は過ぎて行く。

少しずつ、夜と互いに愛し合って……

愛している自覚も、愛されている自覚もあった。

きっと、私は夜と一緒になる。結婚して子供を産んで、死ぬまで一緒に居るのだ。なんて幸せな一生だろう。

そんな想像をしては、胸一杯になった。

幸せな思いを抱くように胸の辺りを手で覆う。

大好き、大好き夜。私の一番大切な人。

その妄想に水を差すように遠くから声が聞こえた。


約束、守って。


今にも消え入りそうな声で、誰かとの約束をただただ待つ。

どうしてあなたは待っているだけなの?

行動しなきゃ、誰にも気が付いてもらえないのに。

私は声を振り払うように夜に抱き着く。


「どうした? 紅」

「大好き、夜」


じっと、茶色の瞳を見上げる。

私はゆっくりと目を閉じる。

そして、優しい唇が下りてくるのを待った。


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