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夏4


私は、夜に家まで送って来てもらう事になった。遠慮したけど、夜道は危ないからって……私の家は神社からすぐそこなのに……心配性で優しい夜。大好き。

神社の階段を下りて行く。楽しい時間も、もう終わり。

花火が終わってしばらくしても私は夜に甘え続けた。離れたくなかった。出来れば、ずっとこうして居たかった。

キスは何度もした。それでも慣れないし、足りなかった。

私は、夜のモノになりたかった。

ずっと一緒に居たい。そばに居たい。隣に居たい。

行き過ぎた感情だろうか?

恋は盲目なんて言葉があるけれど、私は今、夜しか見えていない。きっと盲目だ。夜の側に居られるなら、目が見えなくてもいい。純粋な思いだ。

家に向かう途中、あまり言葉は無かった。それでも十分だった。私も、夜も、さっきまでキスを繰り返して気恥ずかしかった。一日であんなにキスした事は無かった。言葉は必要なかった。

……そんな幸せな時間は、もう終わり。


「おりがとう……送ってくれて」

「当然の事をしただけだよ」


そう言って夜ははにかむ。一つ年を取って大人なった夜は、一段とかっこよく見えた。


「じゃあ、また明日」

「……うん、明日」


明日、また神社で会う。それなのに、寂しい。

一時も離れたくなかった。ずっと、ずっと、側に……私の隣で、微笑んでいてほしい。

行かないで。

お願い、約束を……

私は夜の背中を追いかける。そして、抱き着く。夜の戸惑ったような声が聞こえる。


「紅……?」

「夜……お願い、もう一度」


夜と向き合う。優しい夜空の濃紺の瞳。綺麗だ、とても。その目を独り占めしたい。大好き、大好き……愛してる。

夜は私の頬を撫でた。私は夜の目を真っ直ぐに捕え、目を閉じる。

唇が触れ合い、体が、心が、満たされていく。

ただ重ねるだけの行為なのに、こんなにも幸せな気分になれえる。願わくば、ずっとこうして居たい。

私は夜の服をぎゅっと握る。離れたくなかった。

その幸せもすぐに終わる。


「紅、もう遅いから」

「……うん」

「おやすみ」

「……おやすみなさい」


夜の背中を見送って、家の中に入る。

現実に帰って来たような気分だった。

玄関に入り、自分の部屋に向かう。

質素な家。小さな平屋の家。古い家。貧乏な私の家だ。


「紅葉……? 帰って来たの?」


声をかけてきたのは私の母。結婚に失敗した母親。

女を作って蒸発した父親は、どんな顔をしているかも私には分からない。でもそれはどうでもいいことだ。


「うん、ただいま」

「おかえり、香夜くんどうだった?」

「楽しかったよ、これね、夜に買ってもらった」


手元に見せたのはかんざしだ。

母はかんざしを見て少し微笑んだが、その笑顔が少ししぼむ。


「紅葉、あなたまだ香夜くんの事そんな風に呼んでいるの?」

「……え?」

「ちゃんと名前で呼んだ方がいいと思うわ」


言われている意味が理解できなかった。


「夜は夜でしょ……?」

「もう子供じゃないんだから、愛称で呼ぶのはどうかと思うけど」


子供じゃないから愛称で呼んじゃ駄目なの?

母はよく私の幸せに水を差すようなことを言ってくる。何時もの事だ。


「……お風呂入ってくる」


言いたい事は沢山あった。でも、言って何になる?

お互い嫌な気持ちになるだけだ。私は母のそんなところが好きになれない。産んでくれたことには感謝はしているけど、触れなくていい所に土足で入って来て汚い手で触る。

今日一日を幸せに終えたかった。

いつもそうだ、私は我慢している。言いたい事もろくに言わないで、幸せな思い出の中に閉じこもる。

これで誰も嫌な気持ちにならないでしょう?

着替えを適当に掴んで風呂場に向かう。

一緒に暮らしている祖母はもう寝ているようだ。

祖母はまだいい。土足では入ってこない。ただ少し過干渉気味なのが少し余計と感じる程度だ。

脱衣所に入って、服を脱ぐ前に自分の姿を確認した。

夜が似合ってるって言ってくれたワンピース。嬉しかった。この日の為に少し奮発して良いものを買った。分かってくれたみたいで気分が高まった。そんな自分の姿に微笑む。

夏のデートの時にもう一回ぐらい着ようかな。

夜が褒めてくれるならなんだってするよ。

ワンピースは普通の洗濯ではなくクリーニングする事を決めて、お風呂に入る。

湯船につかりながら、ぼんやりと水面に映る自分の顔を眺める。さえない顔の私。生気を感じない私の顔。その唇に触れる。キスを沢山した。大好きな人と何度も。なんて幸せな日だったのだろう。

夜の目を思い出した。母はああ言ったが、夜は夜だ。

初めて会った時、幼少期の公園、夕方だった。夜の目は茜色を反射して真っ赤だった。

私はそれに見惚れた。そして、その赤い目が欲しくなった。

私にはその目が必要だった。今まで疎外感を感じていた。私は、本当は生まれて来るべき人間では無かったのではないかと……子供がそんな事考えるなんておかしいと思うが、実際そう思っていた。

その目があれば、その目が私を映してくれるなら、何でもよかった。

しかし、夜の目はあっと言う間に色が変わった。

夜が訪れると、濃紺になる瞳。それも美しかった。時間限定の赤い瞳が儚くて、脆くて、美しかった。

それから私は夜の瞳を覗き込むようになった。もう一度あの赤が見たかった。近くで見たかった。でも、私が近付くと夜の目は黒になってしまう。それが自分の瞳の色だと分かってからは余計に汚い色の様に思えてしまう。

どうして?

なぜ赤に固執するのか自分でも分からなかった。


「約束……」


今日は一日、変な言葉が思い浮かんでいた。

約束。

何の約束?

私は誰かと約束なんかしていない。

かき氷を買って神社に向かう途中、不安になった。

私は、アスファルトでは無く雪の上を裸足で歩いている様な、そんな感覚になったから。

この感覚は春……桜祭りの時もあった。

裸足で歩く感覚。雪の上を歩いてはいたが、冷たくは無かった。寧ろ、安心した。何故か安心した。それが自分のあるべき姿の様な気がして。

理由は分からない。

それに、約束。

あの白い山から聞こえてきた。


約束を守って。


切実な願い。

あの山は何かを待っているような気がした。

誰かを待っている。

……誰を?

分からない事ばかりで、思考が止まる。

私には分からない。きっと、永遠に分からないのだろう。

湯船の中に沈む。

明日からまた日常が戻ってくる。

今日みたいに甘えすぎないようにしよう。

夜の迷惑にならないように。


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