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after Day. 18

ほんの少し、研究をしてみませんか?


「ふーむ……」


 姉の八重子はリビングのテーブルに頬杖を突いて、一枚の紙をじっと見つめている。……誕生日会の片付けもしないで。

 キッチンから出てきたわたしはエプロンで手を拭きながら、絶賛サボり中の姉に苦言を呈した。ちなみに、なぜかまだ“本日の端役”タスキを肩にかけている。


「お姉ちゃん……ダラダラしてないで片付け手伝ってよ」

「ねぇもんちゃん、これ見ていて気になったんだけど……」

「スルー?」


 意地でも立ち上がって手伝うつもりがないのか、姉はわたしの苦言を無視した。おのれ姉のくせに、いつからそんなに偉くなったのだ。

 一体何が姉をクッションの上に縛りつけているのだろう……と思い、背後に回って姉の手元を覗き込む。姉がさっきから見ていたのは、蘭子が置いていった、プレゼントのインチキパズルに関係する図を印刷した用紙だった。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

「ほら、これよ」

「これ、蘭子先輩の……パズルの図面はともかく、苦労して書いたけど採用しなかった亜種の図面まで置いていったのか」

「よほど見てほしかったのかねぇ」


 蘭子は以前に、研究発表は研究の苦労話を披露するものではないと言っていた。だけどやはり、実を結ばなくても苦労した経験は、誰かに見て聞いてほしいのが人間の(さが)なのだろう。

 ただ、その時にやはり蘭子が言っていたが、他人の苦労話なんて、大抵の人は興味を示さないものだ。今のわたしも、実のところその例に漏れない。


「でね、この図を見ていて気になったことがあって……」

「それは後で聞くから、さっさと皿洗いを手伝って。夕飯の時間までに終わらせないと」

「うえぇ~……」


 ものすごく嫌そうな声と表情で抗議しているが、知ったことじゃない。わたしは姉の腕を引っ張って、ずるずると引きずるようにキッチンへ強制連行した。

 それから、ピザ用とケーキ用とオードブル用の皿、そしてコップを洗って片付け、テーブルの上に散らかったゴミを集めてゴミ箱に捨てて、除菌シートで拭いた。リビングの飾り付けは、今日一日が誕生日ということもあるから、まだ取り外さなくていいかと思ったが……。

 テーブルを拭いていた姉が、自分のスマホにLINEの通知が来たことに気づいて、手に取ってメッセージを確認する。そしてわたしに伝えてくれた。


「もんちゃん。お父さん、急用で帰れなくなったって。夕飯でお祝いはできないみたい」

「そっか……まあ、そうなる気はしてた」


 特に残念とは思わない。あの人の仕事は何が起きるか分からないから、予定が狂うなんて茶飯事なのだ。娘にとって特別な日に立ち会えること自体、奇跡的だと言っていい。

 とはいえ、親としての愛情が欠けているとは思っていない。なぜなら……。


「その代わりに、バラ16本分の花束を予約して、夜までに配達するよう花屋さんに頼んであるってさ」

「……花のとこだけ切り落として、バラ風呂にでもしようかな」

「いいね、バラの香りの入浴剤も合わせちゃう?」


 姉も乗り気になったので、プレゼントの使い道はこれで決まった。花束を贈られるのは、まあ悪い気はしないけど、花瓶に生けて手入れを続けるのが極めて面倒くさいのが難点なのだ。まして16本は多すぎて余計に面倒くさくなりそうだ。枯らさずに有効活用できるなら、それに越したことはないだろう。

 誕生日プレゼントに、父親がこういう微妙な物を贈るのは毎回のことなので、もう慣れてしまっている。蘭子のあのプレゼントを見ても腹を立てなかったのも、耐性ができていたからに他ならない。


「じゃあ、夕飯はいつも通りでいいかな」

「カレーにしなよ。材料はあるはずだし」

「……なんで本日の主役に全部やらせるみたいな口ぶりなの?」


 結局、隙あらばダラダラし始める姉をこき使いながら、わたし達はいつも通りの夕飯を済ませた。そして、夕飯前に届いたバラの花束を使って、見た目だけは高級感のあるバラ風呂を作り、バラの香りで今日の疲れを癒やしながら体を温めた。

 お風呂から上がって、もこもこの寝間着に着替えてリビングに戻ると、姉はまだ、蘭子が置いていったパズルの図面を見ていた。


「お姉ちゃん、まだそれ見てたの」

「んー、まあね……」

「お姉ちゃんが数学絡みの物に興味を持つなんて珍しいね。まあ、あの先輩たちの数学トークを目の当たりにしたなら、分からなくもないけど……」

「いや、あの熱さに当てられたわけではないんだけどね」ズバッと一言で否定する姉。「ただ、この図を見たときからずっと気になっていたんだけど……」

「そういえば、気になることがあるって言ってたね。どうしたの?」

「これって……なんでどのサイズでも、穴がマス目1個分しか空いてないんだろ?」

「!」


 姉に言われて、わたしはすぐにテーブルに駆け寄って姉の横に座り、置かれていた図面を手に取った。確かに、蘭子が採用した、5×13の(穴の空いた)長方形を切り接ぎして8×8の正方形に変える場合も含めて、どのパターンでも、長方形から正方形への変形をするとき、どちらか一方に空いている穴はマス目1個分だけだ。


「よく分かんないけど、ここの図に使われているフィボナッチ数……だっけ、これって、先へ進むとどんどん大きくなるじゃない? それなのに穴の大きさがみんな一緒なんて、不思議だよねぇ」

「なるほど……これは考察の余地あるね」


 わたしは図面の書かれた紙を裏返して、近くにあったボールペンでこんな式を書いた。

 F(n+1)×F(n-1) - F(n)^2 =


「んーと、これは……?」

「引き算の左が長方形の面積、右が正方形の面積で、その差分がどうなるか、って式だね。Fはフィボナッチの頭文字」

「つまり、これが必ず1になるって言いたいの?」

「うーん……長方形の方に穴が空いている場合もあるから、1か-1のどちらかになると思うんだけど……とりあえず、nに1から順に入れていって、結果がどうなるか見てみよう」


 数学の性質は、具体的な数で計算する実験を繰り返すことで見つかることがあると、前に杏里が言っていた。何かの拍子に見つけた“性質っぽいもの”は、たくさんの実験を経て、“性質かもしれないもの”になって、証明をすることで“性質”になる。偉大な発見の多くはそのようにして成し遂げられたのだ、と。

 たいした発見ではないかもしれないが、とにかく実験してみよう。フィボナッチ数列の0番目は0として計算してみる。


 1×0-1^2 = -1

 2×1-1^2 = 1

 3×1-2^2 = -1

 5×2-3^2 = 1

 8×3-5^2 = -1

 13×5-8^2 = 1


「すごっ! -1と1が交互に現れてる!」

「なるほどね。つまりこうなるわけだ」


 わたしはさっき書いた式に加筆した。

 F(n+1)×F(n-1) - F(n)^2 = (-1)^n


「nが奇数のときは-1、偶数のときは1になるってことだね」

「そっか、だから長方形と正方形の片方だけに、1個分だけ穴が空いていたんだ」

「おっとお姉ちゃん? この式はあくまで予想だから、本当にどんなときでも穴がマス目1個分なのかは、まだ分からないよ」

「厳しいな、もんちゃん……」

「数学はそういうものだから。でも、これはたぶん、数学的帰納法で証明できるんじゃないかな」

「何それ、必殺技?」

「まあ、ある意味ではそうだけど……というか、一応高校数学の範囲だから、お姉ちゃんも習ったはずだけど?」

「フッ……そんな昔のことは忘れちまったよ」

「…………」


 姉はハードボイルド風にかっこつけて言ったけれど、微塵もかっこよくない上にはぐらかせてもいない。こんな大人にはなりたくないものだ。


「数学的帰納法はね、全ての自然数について証明したい性質を、ドミノ倒し的に証明する方法だよ」

「ドミノ倒し?」

「仮に……あくまで仮にだけど、何かの自然数k-1について、この式が成り立つとするでしょ」


 F(k)×F(k-2) - F(k-1)^2 = (-1)^(k-1)


「そして、『n=k-1で成り立つならば、n=kでも成り立つ』ってことを示すのが、数学的帰納法のやり方なんだ。つまり、どこか一ヶ所でも成り立っていれば、その次も成り立つし、さらにその次も成り立つ……というドミノ倒しみたいな流れを作りたいわけ」

「ふむ……それで証明したことになると?」

「それだけだと足りないけど、最初のn=1で成り立つと示せば、それ以降も次々と成り立つことになって、結局全部の自然数について成り立つってわけ」

「なるほどぉ、まさにドミノ倒しみたいな方法だね」

「n=1はさっきやったし、後は、n=k-1で成り立つときにn=kでも成り立つことを確かめてみるよ」

挿絵(By みてみん)

「フィボナッチ数列はF(n)+F(n+1)=F(n+2)で定義されるから、それを使ったよ」

「入れる数が1つ増えると、引き算の順序が逆転するなんて、不思議だなぁ」

「……これ、面白いね」


 式と証明をじっと見ているうちに、わたしは興味深いことに気づいた。


「そんなに面白いの?」

「だって見てよ、これ」


 わたしはさっきの関係式の上に、もう一つのある式を書き加えた。


 (n+1)×(n-1) - n^2 = -1

 F(n+1)×F(n-1) - F(n)^2 = (-1)^n


「フィボナッチ数の添字だけで計算すると-1になって、フィボナッチ数で計算すると、偶数か奇数かで変わるけど、1と-1のどちらかになる……」

「なるほど、よく似てるね」

「最初にフィボナッチ数のことを知ったとき、とても興味深い特性をもった数列だって蘭子先輩が言ってたけど……こういうことなのかもしれない」


 フィボナッチ数の関係式は、添字に置き換えたときの関係式と非常に似ている……恐らくこれは、他の数列では滅多にお目にかかれない性質だろう。まさに、フィボナッチ数列ならではの、興味深い特性と言えるだろう。


「あと、この式を変形すると……こんな感じになるよね」


 F(n+1)/F(n) = F(n)/F(n-1) + (-1)^n/F(n)F(n-1)


「これは要するに、隣り合うフィボナッチ数の比率が、お隣さん同士では1/F(n)F(n-1)くらいしか違わない、極めて近い値になるってことを示しているんだよ。この差分はnが増えるとどんどん0に近づくから、比率はどんどん近い値になっていく、ってことがこの式からも読み取れるね」

「そうか……逆にいえば、隣り合うフィボナッチ数の比率がどんどん近い値になるからこそ、こういう関係が成り立ちやすくなるわけか」

「それにね、隣り合うフィボナッチ数の比率って、増えたり減ったりを繰り返しながら、一定の値に近づくんだけど、これも、差分がプラスとマイナスで交互に繰り返すことを考えると納得できるよ」


 3/2 = 1.5

  ↓+1/6

 5/3 = 1.6666…

  ↓-1/15

 8/5 = 1.6

  ↓+1/40

 13/8 = 1.625

  ↓-1/104

 21/13 = 1.61538…

  ↓+1/273

 34/21 = 1.61904…

  ↓-1/714

 55/34 = 1.61764…

  ↓+1/1870

 89/55 = 1.61818…


「なるほど、確かに。なんか、全てが繋がっているって感じがするね」

「もしかしたら他にも、こういう不思議な性質がフィボナッチ数にはあるかもしれないね」

「じゃあ、さっきは隣り合う3つで試したから、今度は4つのフィボナッチ数でやってみるのは?」

「連続する4つのフィボナッチ数のうち、外側の2つの積と、内側の2つの積を比べてみたらいいのかな……」


 お風呂上がりということも忘れて、わたしは姉も巻き込んで計算に勤しんだ。特に数学が好きでもない姉をここまで夢中にさせるのだから、フィボナッチ数の魅力は計り知れない。

 蘭子が残した紙の裏面は、すでにたくさんの計算式で埋められそうになっている。わたしは残された隙間を駆使して、実験の計算をやってみた。外側の2つの積から、内側の2つの積を引いてみる。


(2,3,5,8)2×8-3×5 = 1

(3,5,8,13)3×13-5×8 = -1

(5,8,13,21)5×21-8×13 = 1

(8,13,21,34)8×34-13×21 = -1


「へぇ、これも1と-1が交互に現れてる」

「ということは、この関係を式で表すと、偶数番目で1になるのが理想的だから……」


 なるべくシンプルな式になるように組み立てた結果、こうなった。

 F(n-1)F(n+2) - F(n)F(n+1) = (-1)^n


「こんな感じかな」

「いいねぇ、なんか公式っぽい! 自力でこういう公式を見つけるのって、なかなか気分爽快になるもんだね」

「お姉ちゃんはほとんど何も計算らしいことをしてないけどね」

「言い出しっぺは私なんだけど?」

「はいはい」


 手柄に貢献したということにしたくて、やたら主張が強くなる姉を、わたしは軽くあしらった。自力で公式を見つけることが爽快というのは同意だけど、言い出しただけの姉が自慢げに言うのは違う気がする。


「ところで、これもさっきの、数学的帰納法ってやつで証明できるの?」

「たぶんね。証明ができたら、これも立派な公式と言っていいと思う……ん?」

「どったの?」


 自分で書いた式を見ているうちに、わたしは妙な引っかかりを覚えた。たぶんこの式は正しいし、数学的帰納法を使えばきっと証明できる。だが、何だかモヤモヤした違和感が、頭の中に漂っている。

 数学的帰納法による証明、という筋書きは、恐らく間違ってはいない。だけど、それが本当にベストだろうか?


「これ……もしかしたら、数学的帰納法を使わなくても証明できるかも」

「え? どうやんの?」

「なんか、単純な式変形だけでいけそうな気がする」


 というわけで、フィボナッチ数の定義をそのまま使って、問題の式を変形してみた。

挿絵(By みてみん)

「…………」

「……解けたね」

「うん……」


 さらっと簡単に証明できたのはいいけれど、単純な式変形だけで、さっきと同じ形の式が出てきた、ということは、要するに……。


「これ、実質的にさっきの式と中身は一緒だったってことだね」

「なぁんだ、それなら結果が一致するのは当たり前じゃんか。盛り上がって損した」


 面白い発見をしたと思いきや、そうでもなかったと判明して、姉は急速に興味を失っていった。連続する4つのフィボナッチ数の関係を表す式が、3つの場合と一致する……これはこれで面白いと思うけど、元々数学が好きでもない姉を惹きつけるほどではなかったようだ。

 姉はソファーから立ち上がって、あくびをしながら離れていく。


「もういいや。私もお風呂入ってくるね」

「どうぞー……」


 浴室へ向かう姉を見送りながらも、わたしの意識は手元の数式に向いていた。勿体ないと思いつつ、今のわたしでは、これ以上この式から何かを見出すのは難しくて、歯痒いものを感じている。

 浴室のドアの開く音がした後、姉の驚く声がリビングまで聞こえてきた。


「うわっ、すっごいバラの香り! ラブホみたい!」


 だからなぜラブホテルを引き合いに出すのか……自分だって実際に行ったことはないだろうに。うん、ない、はず。

 さて、姉がバラ風呂でラブホテル気分を味わっている間に、わたしは自室に戻り、ベッドに寝転がりながら、杏里に電話をかけた。さっきの姉との数学談義もどきを、マス部の誰かに聞いてほしかったのだ。

 ハンズフリーにして枕の上に置いたスマホから、杏里の優しい声が聞こえてくる。


『そっかぁ、お姉さんもちょっと数学に興味を持ってくれたみたいで、嬉しいな』

「徒労だと分かった途端に興味が失せたみたいですけどね」

『うふふっ。でも楽しいでしょ? 自分の力で公式を見つけるのって』

「そうですね。授業だとこういうことってなかなか出来ませんし。とはいえ、例のパズルを設計した蘭子先輩なら、きっとこの性質も最初からご存じなんでしょうね」

『そうね、実はわたしも知ってた』

「ありゃまあ……」


 何となくそんな気はしていたけど、やはり数学好きにとっては周知の事実で、特に大発見というわけではなかったらしい。


『フィボナッチ数列は昔からよく知られている分、研究も盛んに行なわれてきたから、本当にたくさんの性質が知られているんだよ』

「やっぱりわたしみたいな素人が、数学を研究して大発見なんて烏滸がましかったですかね……」

『それは違うよ、茉莉ちゃん』

「ん?」

『確かに、大発見は誰でもできるわけじゃないけど、研究は誰がどんなテーマでやってもいいんだよ。すでに誰かが見つけている事実でも、自分で調べて考えて導いた物事は、何物にも代えがたい、自分だけの宝物になるんだから』

「杏里先輩……」

『もちろん、第三者の評価を受けるなら、体裁を整える必要はあるけどね。でも研究するだけなら自由だし、世間的に見て目新しくて価値のあるものじゃなくても、自分で導き出したことには意味があるよ。茉莉ちゃんも、“研究”の楽しさを肌で感じられたなら、その感覚は大事にしてほしいな』


 そうか、これでも研究と言っていいのか……わたしは胸の奥がじんわりとした。きちんと手順を踏んで、時間をかけてたくさん検証をして、誰も知らなかった価値のある事実を掘り起こす、それが研究というものだと、心のどこかで思っていた。でも、そうではなかった。

 研究は、することに一番大きな意味がある。興味を持ち、調べて、考えて、自分なりの答えを出す。その一連の過程が研究であり、その体験が価値を生む。目覚ましい結果を出すことが全てではないのだ。

 それなら、予想で終わってしまったゴールドバッハ予想の研究も、今日のフィボナッチ数の研究も、決して無駄ではなかったのかもしれない。


「……ありがとうございます、杏里先輩。発表会、まだちょっと不安でしたけど、なんとか出来そうな気がしてきました」

『そう? それならよかった。茉莉ちゃんが数学の研究を楽しめるようになったなら、蘭子ちゃんもきっと喜ぶね』

「興奮して饒舌になる光景が目に浮かびますね」

『大丈夫だよ。あれだけ頑張って資料を作って、発表の練習もしたんだから、堂々と胸を張って壇上に立つといいよ。何があっても、わたしと蘭子ちゃんがそばで見守っているから、茉莉ちゃんが頑張った証を、みんなにもぜひ伝えてね』

「…………」


 杏里のかける言葉の一つ一つが、わたしの胸に染み込んでいく。くすぶっていた不安を残らず溶かしていくように。

 蘭子だったらきっと、不器用な言葉と態度で、わたしを激励したことだろう。それでもわたしはたぶん、嬉しいと思える。けれども、優しく語りかけるような、飾り気がない杏里の言葉は、全てが宝石のように煌めいていると思えてしまう。

 そう、今わたしがベッドの上で、両手で包むように持っている、花の細工を施した髪飾りみたいに。


「あぁ~……ヤバすぎる……」


 当たり障りのない一言で杏里との通話を終わらせると、途端に体が疼いてきた。全身に心地よいむず痒さを感じて、寝転んだ体をくねらせながら、わたしは手元の新しい宝物をしっかりと握りしめる。なんかもう、油断して頬が緩みそうだ。


「もしかしたら、人生で一番、幸せな誕生日かも……」


 色々あったけど、年に一度のこの日を、これほどの多幸感に包まれながら終えられるなんて、きっと二度とない僥倖だろう。本当に、生まれてきてよかった。あんなに素敵な人に、出会えてよかった。

 胸の温かさを噛みしめながら、わたしは手の中の髪飾りに、そっと唇を添えた。この宝物は、わたしだけのものだ。


……彼女はまだ知らない。数学の研究の、本当の面白さを。


はい、徒し事はさておき、フィボナッチ数列の深淵に少しだけ触れるエピソードでした。この数列は本当に、調べれば調べるほど魅力的な性質が浮かび上がる、数学好きの興味を掻き立ててやまない存在です。例えば、今後扱う予定がないのでここで取り上げますが、フィボナッチ数の一般項を求める『ビネの公式』は、黄金比を使った奇妙な式となっています。式に√5が含まれているのに、実際に計算したら必ず整数になるから不思議です。二項係数の一般項が分数で計算されるのに、答えが必ず整数になるのと似ていますね。もう少し突っ込んで考えれば、不思議が解消されるのか……いや、それでもやっぱり不思議であることに変わりない気もします。

さて、年内の投稿はこれで最後になりますが、年が明けて次回から、物語が動き出します。フィボナッチ数のさらなる魅力に迫りつつ、茉莉と杏里と蘭子のトライアングルにも変化が起きます。というか、起こします。そろそろ。

では、また新たな年にお会いしましょう。

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