057・アシーリャの過去
(アシーリャさんの……身元……?)
思わぬ話に、僕は茫然となった。
レオナ男爵を見つめる。
美しい男爵様は頷いて、
「神和国ラーディアの返答を鵜呑みにするほど、私たちも馬鹿じゃない」
「…………」
「一応、裏は調べてあったんだ」
「じゃあ……」
「あぁ、ここから離すのは、その裏に隠された真実の情報ということだよ」
「…………」
僕は、ゴクリと唾を飲んだ。
アシーリャさん本人は、わかってないのか、少し不思議そうな顔。
ギュッ
僕は、彼女の手を握る。
息を吐いて、
「聞かせてください」
と、男爵様にお願いした。
レオナ男爵は頷いて、
「先々月の話だ」
「…………」
「神和国ラーディアで、先代が引退して、今代の新しい『聖女』が選出された」
「……聖女?」
「そうだ」
聖女……それは『大神天教会』の神官の称号の1つだ。
大神天教会の全信者の中で、神の奇跡とされる『神聖魔法』の1番の使い手として認められた証だと言う。
(ふぅん……?)
凄い人なのだ、と思う。
でも、それがアシーリャさんとどう結びつくのか、わからない。
僕は、話の続きを聞く。
「実は、今代の『聖女』が選ばれる前には、それ以外にも2人の『聖女候補』がいたんだ」
「……うん」
まさか。
その1人が、アシーリャさん?
その考えを、男爵様は表情から読み取ったのか、「違う」と首を振った。
(違うの……?)
男爵様は言う。
「3人の聖女候補の中で、今代の聖女は、実は3番目の候補だったそうだ」
「…………」
「だが、今代の聖女に選ばれた」
「……うん」
「なぜだと思う?」
「…………」
なぜだろう?
突然、謎かけをされてもわからない。
答えられない僕に、
「2人の聖女候補が、相次いで死亡したからだ」
「……は?」
男爵様が答えに、僕は、呆けた。
え……?
聖女候補の1番目と2番目が死んだの?
レオナ男爵様は、僕が理解するのを待つように、ジッと僕の顔を見つめた。
(……待って)
それって、あまりに都合が良すぎない?
だって、それが理由で、第3候補の聖女が繰り上がり当選となった。
…………。
き、きな臭い。
僕も、男爵様を見た。
彼女は明言しない。
けれど、その表情は、僕の考えを認めるものに思えた。
レオナ男爵は話を続ける。
「1人の聖女候補は、馬車の事故で。もう1人の聖女候補は、食事に当たり、帰らぬ人となった」
「…………」
「さて、ここで彼女の話だ」
と、男爵様は、アシーリャさんを見た。
僕も、彼女を見る。
「聖女候補には、それぞれ、護衛の『見習い聖騎士』が1人ずつ仕えていた」
「…………」
「事故死した聖女候補の護衛は、共に亡くなった」
「…………」
「そしてもう1人、食事に当たり亡くなった聖女候補の護衛は、教会本部に『主人は毒殺された』と訴えた」
「…………」
「無論、訴えは通らなかったがね」
男爵様は、皮肉そうに言った。
それは、そうだろう。
(だって、それは教会の闇だもん……)
正しき宗教組織の中で暗殺が行われたなんて認めたら、教会の信頼と権威が落ちてしまう。
困る人は大勢いる。
だから、絶対に認めない。
毒殺が真実だったとしても、闇に葬るに決まっていた。
(……でも)
悔しいね。
そうした行為がまかり通るのは……。
僕は、ため息だ。
男爵様は、そんな僕を見つめた。
「訴えが退けられたあと、その見習い聖騎士は忽然と姿を消した」
「…………」
「いや、消された……と言い換えた方がいいだろう。今代の聖女を否定するような存在だ。教会も許しておけないからね」
「……うん」
「その見習い聖騎士の名は、アシナ・リャンカ」
「…………」
アシナ・リャンカ?
僕は、目を瞬く。
えっと、
(ちょっと待って)
僕は、初めてアシーリャさんを見つけた時を思い出す。
その時、彼女は、
『……アシ……リャ』
と、途切れ途切れに、自分の名前を口にしたんだ。
まさか……?
つまり、それって『ア』『シ』ナ・『リャ』ンカの聞き間違い……ってこと?
僕は、隣の金髪美女を見つめる。
彼女は変わらず、ぼんやりした表情のままだ。
男爵様は、頷いた。
「恐らくな」
「…………」
「調べた限り、その見習い聖騎士の容姿、性別、年齢とアシーリャ君は酷似している」
「…………」
「彼女は口封じのため捕えられた。そして証拠を残さぬため、異国で殺害されることになったのだろう。檻に閉じ込められ、餓死をする。身元も不明の死体ができあがる」
「…………」
「だが、ニホ君。そんな彼女を君が助けた」
「…………」
僕は、言葉がなかった。
ただ、アシーリャさんの凄惨な過去に、心が痺れていた。
ギュッ
繋いだ手だけが妙に熱い。
マーレンさんは何も言わず、心配そうに僕らを見ていた。
僕は、聞く。
「そう……なの、アシーリャさん?」
「…………」
彼女は答えない。
アメジスト色の瞳は、ただ不思議そうに僕を見つめていた。
理解していない。
その様子が……辛い。
それは彼女が受けた心の傷の深さ、その証明でもあったから。
彼女の剣技の冴え。
あれは『見習い聖騎士』としての記憶の名残りだったのだろう。
(……あぁ)
何だか泣きたい。
前世の僕は辛い思いをたくさんしたと言うけれど、彼女みたいな不幸だったのだろうか?
ただ、ただ悲しいよ。
すると、
フワッ
僕の髪を、白い手が撫でた。
(!)
僕は、ハッと顔をあげる。
見れば、アシーリャさんが少し困った表情で、僕を心配そうに覗いていた。
そのまま、髪を撫でられる。
元気を出して?
そう励ましてくれていた。
(あぁ……)
僕は、泣き笑いだ。
記憶をなくしても、この人は何て優しい人なんだろう。
アシーリャさんは小さく微笑み、
「私、は……ニ、ホさんといられて……幸せ、です、よ?」
と口にした。
(……そっか)
僕は頷いた。
「うん、ありがとう、アシーリャさん」
「は、い」
彼女も頷く。
今の彼女は、もう『アシーリャ』なんだ。
もしかしたら、彼女が僕を守るのは、無意識に、守れなかった聖女候補の代わりしていたからかもしれない。
でも、それでもいい。
それで彼女の心が安らぐのなら。
ギュッ
アシーリャさんの手を強く握る。
彼女の指も、力を込めて握り返してくれた。
◇◇◇◇◇◇◇
そのあと、僕らはお礼を言って、男爵様の屋敷をあとにした。
去り際に、
「何かあったら言いなさい。娘の恩人である君たちに、フォルダンテ男爵家はいつでも力になるからね」
と、レオナ男爵は言ってくれた。
(うん、ありがたい)
僕も感謝して、深く頭を下げたんだ。
帰り道の途中で、
「またね、ニホ君、アシーリャさん」
と、手を振るマーレンさんとも別れた。
今は、アシーリャさんと手を繋いだまま、宿屋への帰路を辿っていた。
「…………」
「…………」
僕らは、何も喋らない。
周囲の雑踏だけが耳に届く。
でも、それが何となく日常に帰れたような感覚で、妙に安心感があった。
僕とアシーリャさんの日常。
(……うん)
心の中で頷く。
異世界に転生してからのほとんどの時間を、彼女と過ごした。
アシーリャさんは、もう僕の家族だ。
大切な……。
大切な人なんだ。
僕は言う。
「これからも一緒にいてくれる?」
「は、い」
彼女は、嬉しそうに頷いた。
柔らかに揺れた金色の髪が、太陽の光にキラキラと輝いた。
彼女の笑顔に、僕も笑った。
キュッ
手を繋いだまま、2人で通りを歩いていく。
そんな僕らに、
ピカピカ
杖君は、優しく虹色の光を輝かせていた。




