055・フォルダンテ男爵
「おはよう、ニホ君」
翌日、約束した通りに、マーレンさんは宿屋まで迎えに来てくれた。
1日ぶりに再会した彼女は、いつもの制服ではなく、私服のシャツとロングスカートという格好だった。
うん、何か新鮮だね。
僕も「おはようございます」と挨拶した。
ピカン
杖君も明るく輝く。
隣にいるアシーリャさんは、
「…………」
何も言わずに、でも、私服の彼女をどこか珍しそうに眺めていた。
マーレンさんは、
「じゃあ、行きましょうか」
「うん」
「…………」
微笑む彼女と一緒に、僕らは通りを歩きだした。
先日、『太陽の恵みの花』の採取を依頼した人の自宅を、これから訪れるのだ。
依頼人に会うのは、初めての経験だ。
少し緊張するね。
また、その人はこのレイクランドの町の住人だという。
僕は、
「どんな人なの?」
と、聞いてみた。
マーレンさんは「そうね」と少し考え、
「昨日も話したけど、私の古い知り合いなの」
「うん」
「実は私も、若い頃は冒険者をしていてね。その時の仲間の1人なのよ」
「え……?」
僕は目を丸くする。
(マーレンさん、冒険者だったの?)
驚いた。
でも、若い頃って……マーレンさん、今でも若いじゃん。
なんて思って、ふと気づいた。
(あ、そっか)
彼女は、ハーフエルフ、なんだ。
普通の人間より、きっと寿命も長いし、老化も緩やかなのだろう。
え……じゃあ、本当は何歳なの?
(…………)
さすがに女性に聞けませんでした。
でも、彼女の口ぶりだと、10年以上前そうな感じだった。
ハーフエルフのお姉さんは言う。
「お互い、引退したあと、彼女には子供ができてね」
「うん」
「でも、悲しいことに、その子には先天的な病気があったの。その治療に、どうしても『太陽の恵みの花』が必要でね」
「うん……」
「ずっと探してたんだけど、なかなか見つからなくて」
「…………」
「でも、そんな時に、ニホ君が現れたのよ」
と、彼女は僕を見た。
希少な薬草花、それを採取できる人材。
実はその人、5年前にも依頼して、その時に1度、『太陽の恵みの花』を手に入れたらしいんだ。
だけど、その時の冒険者の採取の仕方が雑で品質が悪くなってしまい、結局、治療薬にできなかったんだって。
(それは、酷いね……)
なので、頼む相手も慎重に選ぶようになったそうで。
そして今回、
(僕に白羽の矢が立ったのか)
ようやく納得だ。
マーレンさんは笑って、
「ニホ君は、見事、期待に応えてくれたわ」
「…………」
「ずっと待ってたから、今回の成功に彼女も本当に感激していてね。だから、ニホ君に会って、直接、お礼が言いたかったんだって」
「そっか」
僕は頷いた。
僕自身は、別にお礼なんていいんだけど。
でも、そういう気持ちは何となくわかるし、だから、そうしたいのなら構わないかなって思った。
うん、アフターサービスって奴だね。
そんな話をしながら、僕らは、町の通りを歩いていく。
…………。
だけど、段々、人気がなくなった。
通りに並ぶ家の数も減っていき、僕らは湖とは反対側、山脈のある方角に歩いていた。
(……?)
あれぇ……?
こっちって、民家はないよね?
と言うか、あるのって『あの1軒』だけじゃないっけ……?
(…………)
僕は、前を歩くお姉さんの背中を見る。
思い切って、
「あの、マーレンさん」
「ん?」
「えっと、僕らってどこに向かってるの?」
と、訊ねた。
振り返った彼女は、ニコッと微笑む。
坂道の上を指差し、
「あそこよ」
と言った。
視線の先にあるのは、山の中腹にある1軒のお屋敷だ。
僕は、沈黙。
彼女は楽しそうに、
「レイクランドの町長、レオナ・フォルダンテ男爵の邸宅よ」
と、続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
レオナ・フォルダンテ。
15年前まで、アークランド王国の王都所属だったAランク冒険者。
当時の活躍が認められ、王家から男爵位を授かり、引退後は、この地方を治める辺境伯の代官の1人としてレイクランドの町長となった。
まさに、冒険者ドリームの体現者。
そんな女傑だと、冒険者ガイドブックに書かれていた。
…………。
凄い人だね?
と言うか、
(そんな人の仲間だったの、マーレンさん?)
そっちも驚きだ。
そのハーフエルフさんの案内で、僕らは1軒の屋敷の前にやって来た。
大きな屋敷だ。
豪華な4階建てで、広い庭園や噴水もあった。
(ほわぁ……)
まさに貴族のお屋敷だ。
ポカンと見上げる僕に、マーレンさんはクスッと笑う。
それから彼女は門衛に声をかけ、しばらくすると老齢の執事が現れて、僕ら3人は屋敷内へと案内された。
高い天井。
赤い絨毯。
立派な調度品。
うん、凄いや……。
小市民の僕には、別世界だ。
ぼんやりしたまま、特に興味もなさそうなアシーリャさんが逆に頼もしい。
控室で30分ほど待機。
そして、
「お待たせしました、主人がお待ちです。どうぞこちらへ」
と、別室に案内された。
◇◇◇◇◇◇◇
「おお、君がニホ君か」
応接室で、僕らは1人の女性と対面した。
40代ぐらいの女性。
紫色の髪と黄色い瞳、肌は少し赤黒い。
元冒険者らしく、頬に傷があって精悍な美人さんだ。
女の人だけど、ドレスではなく、動き易い男性っぽい服装をしていて、彼女は両手を広げて僕らを歓迎してくれた。
(この人が、レオナ男爵か)
活力に満ちた人だ。
立っているだけで強い存在感がある。
彼女は白い歯を見せて笑い、
「急に呼び出してしまってすまなかったね。来てくれてありがとう、ニホ君」
ギュッ
と、僕の小さな手を両手で握った。
硬い手のひら。
力も強い。
僕は「こんにちは、男爵様」と挨拶した。
男爵様は、笑みを深くする。
それから「君がアシーリャ君か」と、僕の隣にいる金髪の美女とも握手をした。
「…………」
アシーリャさんは無反応。
無礼! と怒られないか心配だったけど、男爵様は気にした様子もない。
(……よかった)
懐の広い貴族様のようだ。
もしかしたら、マーレンさんから事情を聞いていたのかもしれないね。
そのマーレンさんも、男爵様と挨拶。
「久しぶりね、レオナ」
「あぁ、マーレン。相変わらず、君は若いままだな」
「あら、ありがと」
「今回は、ニホ君を紹介してくれてありがとう。持つべきものは、信頼できる優秀な友だな」
「ふふふっ」
2人は笑い合った。
うん、友人っぽい。
その様子に、本当に仲間だったんだなぁ……と思ったよ。
やがて、男爵様に勧められて、僕らはソファーに座った。
レオナ男爵は、
「まずは、ニホ君。太陽の恵みの花を見つけてくれて、本当にありがとう」
と、僕に頭を下げた。
貴族なのに、平民の僕に……だ。
若干驚きつつ、そういう人柄なのだと理解する。
うん、好きなタイプ。
僕は「いいえ」と首を振った。
「僕は依頼をこなしただけです。でも、役に立ったのならよかった」
「そうか」
彼女は、僕を見つめた。
苦笑し、
「若いのに、ずいぶんと受け答えがしっかりしているね」
「…………」
「マーレンの言った通りだ。きっと、君を育てられたおじい様が立派な方だったのだろうね」
そう言ってくれた。
あはは……。
そう言えば、そういう設定だったね。
実際には、おじい様はいないんだけど……。
僕は「ありがとうございます」と頭を下げておいた。
それから、
「えっと、お子さんのためだと聞いたんですけど……治療はできたんですか?」
と、気になっていたことを聞いた。
男爵様は「ああ」と頷いた。
その表情は、とても明るい。
「おかげ様でね。無事に『万能治療薬』を調薬できた」
「…………」
「娘も、本当に元気になったよ。あれだけ長く苦しんでいたのが嘘みたいだ。20歳までは生きられぬと医者や神官に言われていたのだがな」
「…………」
「本当に、本当にありがとう……」
グッ
お腹の上で両手を祈るように組み合わせ、潤んだ瞳で僕を見つめた。
(そっか)
無事に治ったんだね。
うん……本当によかった。
僕も、笑ってしまった。
男爵様も微笑んでいる。
長い付き合いのマーレンさんは、ずっとそばで彼女の苦しみを見てきたのだろう、涙ぐみながら「よかったわね」と微笑んでいた。
ピカァン
杖君も柔らかく光っている。
アシーリャさんだけは、ぼんやりした様子だったけど。
と、その時、
コンコン
扉がノックされ、老執事が入ってきた。
男爵様に近づき、耳打ちする。
彼女は少し驚き、「そうか」と頷いた。
僕らを見て、
「娘のファルシンティアも、君に直接、お礼が言いたいそうだ」
「え」
「会ってくれるかな?」
「あ、はい」
僕は頷いた。
断れる雰囲気でもなく、断る理由もない。
老執事が一礼して、出ていく。
それから1分後、
コンコン
再び応接室の扉がノックされ、そして、ゆっくりと開かれた。




