第65話 王都を出て行った理由
思い出してみたら、知り合いになったのは気が合ったからだった。
だけど名前を名乗ると、みんな、それはもう親切にしてくださった。
マチルダ様とローズマリー様が時々私たちが悪いのと妙なフレーズを会話に混ぜてくることがあって、どういう意味なんだろうと疑問に思ったことはあった。
あまり気にしていなかったけど、そう言うことだったのね。
まあ、そもそも何の関係もなかったアーネスティン様が一番親切にしてくださったわけで。
ソンプ夫人がいなくなったので、兄も父がいる自分の屋敷に戻ってきた。
兄も父も、すまなかったを繰り返した。
父は言った。
「もっと頻繁に連絡を取れたらよかったんだが、今、隣国の状況が不安定でね。全く時間が取れなかった。モートン殿の浮気を見張ろうと考えていたんだが、そっちも時間がなくて早々に放棄した。それと見張る必要がない雰囲気だったんで」
言い訳臭い。それにモートン様のことなんて、本気で余計なお世話ですわっ。
「まあ、こういう外交問題は秘密が多くて、うまく説明出来ないが、隣国から一旦離れた方がいい事情ができてな。家に重要な用事が出来たと言って、疑われないように隣国から離れたのだ」
奥歯にものが挟まったような言い方だわ。そんな口の利き方ばかりしているから、使用人を始め家族まで大誤解をしてしまったのよ。
「ちょうど都合よく俺の婚約が決まったから、口実はばっちりだな」
兄は嬉しそうだ。なんか腹が立つわ。
父は手を振って否定した。
「お前の婚約より、エレクトラだ。まさか、一時的にせよ、モートン殿を断ったりしなかっただろうな? 未来のグラント伯爵だ。口外できなかったので、不安だったと思うが」
みんなが私には黙っていたのよね。
おかげで素のままのマーク様と付き合えたような気もするけど。
莫大な財産を相続する予定の貴公子だったなんて。
「モートン殿を簡単に断れると思うなよ。子どものくせに伝手を作って私のところに婚約申し込みをしに来たんだからな。もう二年も前だけど。最近は王家の影をいいようにあしらっている」
「え? あの影をですか?」
兄が青ざめた。
「そんな人物なの? 俺の義弟?」
父がうなずいた。
「婿にするにはありがたいが、敵に回したくない人物だ」
「婚約解消なんか考えてもいませんわ」
父と兄の手前、私はちょっぴりウソをついた。実はずっとこれでいいんだろうかと考えていたけど。
「すまない。なにしろモートン殿、ではなくてグラント伯爵だけど、彼が不安そうだったんで、うまく行ってないのか心配だった」
あ、あら。
「婚約解消はしない方がいいと思う。ただでは済まないと思う。なにしろ、ソンプ家に使者を立てたのはあいつだから」
「使者……?」
兄が変な顔をした。
「ソンプ家に引き取らないと困ったことになると脅しをかけたらしい。あと、連中の住処についても事細かに指示したらしい。お前、グラントの不幸って知っているか?」
父は兄に向かって聞いた。
「あの、ええと、亡くなったグラント伯爵の呪いみたいな話ですか?」
呪い? まあ、呪いかもしれないわね。その気はなくても、関わった人を不幸にすると言うだけだけど。……うん。それ、りっぱな呪いかな。
父はうなずいた。
「今は、ルテイン伯爵の不幸が取りざたされている。グラント家の花嫁を狙ったルテイン家は今、麻薬取引の疑いが表沙汰になってお家取り潰しの危機だ」
「それは元々そんなことに手を染めるからいけないのであって……」
私は言いかけたが、兄が勢い込んで言った。
「グラントの不幸、再びって言われてますよね。今や有名だ」
元のグラント伯爵は、病弱で運が悪かっただけだと私は思うのだけど。
「だから一度了承して断ったら、エレクトラも呪われるかもしれない。お前もモートン殿の言うことは良く聞けよ」
父は真顔だった。
「なんでもソンプ夫人は、亡きグラント伯爵の死をよかったと口にしたそうだな? それ以来、物事がうまく回らなくなった。今は、三人とも呪いでくしゃみと鼻水が止まらないそうだ」
今の時期、それは花粉症では? 田舎に行くからよ。
「あの女どもは、誰かに寄生して贅沢することばかり考えている。そして、この家から絶対に出て行かないと頑張っていた」
父が苦々しげに言った。
「王都から徹底的に離れた、絶海の孤島はないかと探したんだが、いざとなるとないもんだな」
ないと思うわ。いっそ小舟に乗せて海に流した方がいいのでは? 世間から非難轟々だと思うけど。
「この家から追い出したところで、王都をウロウロされて、口さがなくヘイスティング家やウチの悪口を言われたくなかった。ところがソンプ家から、土地を提供しようと言う申し出があってね。びっくりしたよ。しかも本人たちも、自分たちから行くと言いだしてくれたんだよ」
ずいぶんうまい話だと思う。何があったのかしら?
「まさかグラントの不幸を使うとはなあ」
父がため息をついた。
「どういうことですか?」
兄が、父に好奇心丸出しで聞いた。
「ソンプ夫人のところに故グラント伯爵が愛用していた封書で手紙が届いたんだ。一言だけ、『私の死を望んだことを知っている』と書かれていたそうだ」
兄がつぶやいた。
「死を望んだことを知っている……?」
「それって、どう聞いてもモートン様のしわざ……」
私は言いかけた。
「黙れっとれ」
父がさえぎった。
「あいつらは妙なものを恐れるんだ。そりゃあもう、心配そうで見ていられなくて、セバスがとうとう確認なさったらいかがですかと誘導したらしい」
え。セバスは何も心配しないと思うけど。それ、絶対、セバスとモートン様がグルになってる。
父が、また、ため息をついた。
「ソンプ夫人が新グラント伯爵に問い合わせしたら、新グラント伯爵の執事から返事があった。亡き旦那様ご愛用の封筒と、自筆に間違いございません、どうしてこのようなものが今頃届いたのかわかりません、とな」
「ミステリー仕立てだな!」
兄が面白がって言った。
「さらに執事から、奥様もご自愛くださいませの一言が付け加えられていた」
「不吉な『ご自愛くださいませ』もあったものね」
私は皮肉ったが、父はげんなりしたような顔つきになった。
「あの連中は、心霊現象的な話にめっぽう弱くてだな。もう一度、グラント家の執事に詳しいことを教えて欲しいと手紙を書いた。そしたら、今度は別の使用人から返事があって、執事は先般退職しましたので、お尋ねの件についてはわかりません。執事は王都には故伯爵の気配を感じると言って体調を崩し、王都から出来るだけ早く遠くへ行かなくてはならないと、遠方の田舎に行きましたと書いてきた。ソンプ家から、別宅を使っていいと許可が出たのはちょうどその頃だった。叔母は飛びついたんだ。娘たちもね」
あの人たちの頭の中って、本当によくわからない。
「まあ、王都に戻りたくても、今度は旅費がないからね。もう、身動き取れないだろう」
父が冷たく言った。
「あのまま、田舎に埋もれるだろうな。ソンプ家もあまり懇意にしたくないらしい。与えられた土地はソンプ家の本邸がある町から、歩いて二日ほどかかるそうだ」




