第57話 モートン様の舞台裏
お屋敷に帰ると、もう遅かったのにピエール夫人が待っていて、珍しくニマニマしていた。
「おめでとう。ようやく婚約が決まったそうね」
「あの、ええと、ありがとうございます」
「まさか断るつもりはないでしょうね。伯爵夫人としてアーネスティン様を支えてくれるなら、ただの侍女よりずっと頼もしいですからね」
ん? そういう意味で私の婚約を応援していたと?
「もちろん。アーネスティン様は単純にあなたの幸せを思って喜んでいるだけですけど、新王妃様にとって、大貴族グラント伯爵夫人が親友なら、これほど心強いことはありませんよ。グラント家は伯爵位ですが大領主ですからね」
私はピエール夫人の話をよくよく嚙み締めた。ピエール夫人の頭の中では、アーネスティン様がすでに隣国の王妃様になってる?
「話が飛躍し過ぎていませんか?」
「王弟殿下の家に仕える者はすべからく先を読む目を持たねばなりません」
ピエール夫人は偉そうに言った。
「王妃様にならない方がアーネスティン様にとって幸せかも知れませんよ?」
生意気を言った私は、ピエール夫人に叱られると思った。だがピエール夫人のニマニマした感じはすっと消え去った。
「エレクトラ様、だからあなたが貴重なのですよ」
「私が貴重?」
意外な言葉に私は驚いた。
「アーネスティン様の幸せを考えてくれる。王太子妃、王妃ともなれば権力は絶大。取り入って利益を図ろうと思う人間がそんなに多いことか。あなたは違います。自分の名声や政治的影響力ではなく、アーネスティン様の幸せを」
ピエール夫人は手で顔を覆った。涙ぐんでいるようだ。私は焦った。私はアーネスティン様のおかげを大いにこうむっている。ルテイン伯爵一味から遠ざけてもらったり、励まされたり。つまり、お得をしているのに。
「そう言うのは数に入りませんから! 味方のような顔をして、地位や役職をねだる人たちのことです」
私はやらかしそうな人のことをそっと思い出した。お友達にしなさいと命令した義母のことだ。
「王妃という高い地位が幸せだとは限りません。でも、断れないのです。この国の安定を考えれば、アーネスティン様は隣国の王太子妃になるしかありません」
ピエール夫人は話を続けた。
「今の王家に結婚できるような年回りの王女様はいません。王弟殿下の一人娘のアーネスティン様が、隣国の王太子になられる可能性が高いオーウェン様と婚約していただなんて、こんなに都合にいい話はありません。アーネスティン様が平凡な公爵家の夫人になりたかったとしても状況が許さないでしょう。今できることは一人でも忠実な味方を増やすことだけ」
名声や政治的影響力なんかいりません。侍女なら務まる気がするけど、そういう役割はちょっと……。
「できれば、私よりもっと意欲的な方の方が……」
「ふっふっふっ」
ピエール夫人は顔を隠した指の間から不気味に笑った。
「あなたは、グラント伯爵の妻である前に、隣国の信任厚いハワード侯爵の娘です。二重の意味で都合がよろしい」
「父は私を可愛がっていません!」
ピエール夫人の不気味笑いが、また炸裂した。
「王弟一家の影が調べ上げた話によると、モートン様、つまり新グラント伯爵は、あなたにぞっこんだとか」
「えっ? そうなの?」
うっかり私は食い付いた。他人の目にもそう映るのかしら?
それなら、本当かもしれない。なんとなく、そんな都合にいいことが私に起きるなんて信じられなかった。お腹の辺りがモゾモゾする。嬉しい。
「本日のダンスパーティでも、あなたに付きまとって離れなかったと聞きました」
でも、好きだから離れなかったと言うより、色々と新事実や情報があって、お話する時間が必要だったのです。まだソンプ男爵令嬢の話を聞けていないのよ。
「あなたが薄緑色のドレスでローズマリー様と会場に入ってこられた時、何人かがハッとなってダンスの申し込みに動いたらしいのですが、モートン様はしっかり阻止なさったと」
「阻止? どうやって?」
モートン様は私を見つけるまでの間、大勢の令嬢たちに取り囲まれていらしたわ。
「モートン様はなかなかの男ですわ。最年少の上、留学中の身であったにもかかわらず、一時帰国するや否や王立高等学院の武芸戦闘部長に就任、部員を自由自在に操って、自分の婚約発表を邪魔立てする者は全員取り押さえろと厳命されたそうです」
えーと、話の内容がよくわからないわ?
「まず武芸戦闘部長とは?」
私は聞いた。なにそれ。戦闘の部分が特に気になる。
「王立高等学院には、授業が終わった後、生徒有志が集まって興味があるものを自主的に学ぶ会があるそうです。鳥を観察する会とか、舞台女優つぶさ観察会とか二次元絵姿蒐集研究会とかいろいろ」
「詳しいですね!」
「影はプロですから」
要らない情報も収集しているような気がしますが?
「で、その中には武芸部と呼ばれる会があるそうです。モートン様は、帰国した途端、武芸部にさわやかに乱入して全員を剣で叩きのめし、自分が部長になることを承諾させ、『打倒!騎士学校』を新たな謳い文句に部員を募り、絶滅寸前だった武芸部を、名前に戦闘を付け加えて武芸戦闘部として蘇らせたそうです」
私は黙った。
説明が長い。
消化するのに時間がかかった。
モートン様、只者でないと思っていたけど、何してくれちゃってるの?
そして、特に気になったのは、武芸部に戦闘を付け加えたと言うくだりなのだけど、何かが匂うわ。
「そして部員全員を引き連れて武芸大会に参加、自分だけ勝ち上がって、惜しくも準優勝となりましたが、そのあと武芸戦闘部部員一同に胴上げされていたそうです。王立高等学院は常に一回戦敗退でしたから、すっかりヒーローです」
「そのような舞台裏があったとは!」
ピエール夫人がうなずいた。
「その後、配下の部員にダンスパーティに参加するよう貸衣装を手配し……」
「そんなことまで!」
「なんでも、ドレスメーカーに貸しがあると言っていたそうです。信用を失ったドレスメーカーにチャンスを与えてやったそうで」
男のくせに、どうしてそんな真似が? いろいろと疑問が多いけど、ピエール夫人の話は続いた。
「あなたにダンスの申し込みするためにドレスを作って贈っておき、一目でわかるよう細工して、自分があなたにたどり着く前にダンスを申し込むような輩は全員手下どもが排除する手筈になっていたそうです」
「手下どもは……いえ、部員たちはどうやってダンス申込者を排除したのですか?」
ピエール夫人はため息をついた。
「影たちの報告によると、王立高等学院は文武両道とはいうものの、相手が貴族学園なら勝てても、騎士学校生相手には毎年一回戦敗退を喫していたそうです。しかし口だけは超一流、騎士学校の脳筋や貴族学園の見栄っ張り連中はあっという間に訳の分からない会話の沼に引きずり込まれて、気が付いたら、あなたは既にモートン様の手に落ちていたそうです」
なんか嫌だわ、その言い方。
「手に落ちていたわけではありませんわ」
「これは失礼しました。その部分は影の報告文にそう書かれていただけです」
私は憮然とした。
「こうも書いてあります。『大勢の前でイエスを言わせれば、婚約はゆるぎないものとなる効果を狙ったものと推察され、その絶妙な手腕は評価に値する』……モートン様ったら、あの辛口の影軍団に褒められてますわ」
え……なんか嫌。




