第54話 グラントの不幸
ソンプ男爵令嬢? 私は固まってしまって何も言えなかったが、しばらくしてアンが尋ねた。
「さしょうって?」
モートン様はさも嫌そうに解説した。
「嘘ってことです。なんの権利もないのに、侯爵令嬢だと名乗っている。他人の名前を騙ると、詐称罪で訴えられることもあります」
「何言ってらっしゃるの? 私たちの母がヘイスティング侯爵夫人なら、私たちは当然、ヘイスティング侯爵令嬢に決まってますわ!」
二人は声をそろえてギャアギャア言った。
ソンプ男爵ですって? そんな人の名前は一度も聞いたことがない。
モートン様のお話が正しいなら、この人たち、完全に何の権利もないのに、本当の名前を名乗らずに、侯爵令嬢を名乗ってきたのよね。その理由がこれですか。勘違いで済ませるつもりなのかしら。
「さあ、礼儀知らずに席を取られてしまいました。どこか別の場所に行きましょうか」
モートン様が私の顔を覗き込むようにして誘い、私の手を取った。
後ろでアンとステラが何か言っているようだったが、モートン様は完全に無視した。
ダンスは小休止の時間帯だったらしい。モートン様はダンスホールの中央まで私を連れ出した。
グラント伯爵とソンプ男爵令嬢という二つの名前が頭の中をぐるぐるし始めた。どういうことなのかしら。
「あの、グラント伯爵になられたのですか?」
私は気になって仕方がなかった点を聞いた。他にも気になるところはたくさんあるのだけれど。ソンプ男爵令嬢とか。
「ええ。ほかに継ぐ者がいないのでね。伯父は優しい人でしたが、病弱で、自分がいつか死ぬことを恐れていたので、この話は公言しにくかったのです」
私は気が付いた。
「もしかして最初に言っていらした婚約の条件と言うのがそれですか?」
私は聞いた。モートン様は大きくうなずいた。
「はい。いつになるやら、わかりませんのでしたので」
人の死を前提とする話は、しにくいものだ。わかるけれど、私は結構この問題では悩んだ。
「事情をおっしゃっていただいた方がよかったかもしれません」
事情が分かっていれば、そんなに悩むことはなかったかもしれない。
もっとも今のモートン様の様子を見ると、伯爵の地位なんてどうでもいいような気がしてきた。王立高等学院の秀才で武芸大会で準優勝したのよ?
ん? でも、グラント伯爵と言えば、あの有名な?
「でも、後継者の話は、伯父にとって愉快な話題ではないので、まあ、あなたに絡むとよくないかも知れなくて」
モートン様は言葉を濁した。その時点で、私は思い出した。
「ああ。はい。そうですか。なるほど」
グラント伯爵は国内でも有数の大領主として有名だった。しかし、彼はそれだけで名を馳せていたのではなかった。
今は亡きグラント伯爵は、生まれつき病弱だった。しかし、グラント家は家柄も立派だし大層な財産家だったので、若かりし頃の彼には、当然縁談が数知れずあったらしい。実際、伯爵は何度も結婚しようとしたのだが、その都度、彼は病気になり、生死のほどが危ぶまれるほどの重症に陥った。当然結婚式も延期、回復の見込みなしと婚約も解消された。しかし、婚約者のご令嬢方が結婚し終わった頃に、なぜか見事に死の淵から蘇ってきた。
これを二、三回繰り返したはず。
もう、結婚しようという勇敢な若い令嬢などいなくなり、本人もいたく落ち込み、それでも望みを失わず再婚組や平民でもと、縁談は尽きなかったようだが、今度は相手がケガをしたり死んだり醜聞に巻き込まれたりし始めた。
なんとも不吉である。




