【第六十九話】花びら
「わたしたちの内、まさかリアが1番に結婚するなんて考えていなかったわ。最初に結婚するのは婚約者がいるライリーだと思っていたもの」
「うん。私もそう思っていた」
しみじみとしたポピーの声に、私は頷いた。
そうやって話している間にも、ポピーは鮮やかな手つきで手元の布を縫い合わせていく。
「しかもお相手が公爵様だっていうんだから、世の中何が起こるか分からないわね」
彼女は糸を鋏でパチリと切った。
「仮縫いが出来たわ。今日はいくつものドレスを試着してもらうからね、忙しくなるわよ」
ポピーは立ち上がると恭しく私にお辞儀をする。
「さぁ、お客様。本日のわたしはあなたの幼馴染ではなく仕立て屋のポピー・モーガンでございます。お客様が望むドレスを、まるで魔法のように形にしてご覧に入れましょう。お手をどうぞ」
澄まし顔で私に手を差し伸べるポピーは、私がその手に掌を乗せるとウィンクをした。
「ヒアリングしながら描いたデザインでいくつか試作を作成してあるの。エバンズ服飾店支店長の威信にかけて、リアにとって最高のウェデングドレスを作って見せるわ」
「おっ、終わったのか」
私がげっそりしながら試着室を出れば、そこにはライリーが立っていた。
「終わった…終わったよ…。フィッティングって体力使うんだね…」
息も絶え絶えにそう言うと、ライリーは笑った。
「はは‼︎騎士団長様が形無しだな。部下に示しがつかないんじゃないか?」
「全くもってその通り…面目次第もない…」
そんな会話をしていれば、ポピーが私の後ろからひょっこり顔を出す。
「リア、もう一着あったわ。試着室に戻ってくれる?」
「もう一着…?」
完全に生気を失った顔で私がポピーを振り返ると、ライリーは遂に声を上げて笑い出した。
「うははははは‼︎騎士団長様、頑張れよ‼︎あんたの部下たち、皆あんたの晴れ姿を楽しみにしているんだろ?」
「うん。皆、私の結婚式を楽しみにしてくれているみたいで…圧が凄い…」
「性別がバレて国の軍法会議にかけられた時、抗議してくれた部下たちなんだろう?それくらい楽しみにさせてやれよ」
私がグッと言葉に詰まると、ポピーとライリーが愉快そうに笑い声を上げる。
「まぁ、とにかく。もう一着試着しましょうね、お客様」
「うわぁ…」
私はポピーに肩を掴まれて試着室に連行されていく。
ライリーが笑顔でひらひらと手を振った。
そして迎えた挙式の日。
「うん、完璧よ。リアは背が高いし、筋肉がつきながらも引き締まった細身体型だからこのドレスがよく似合うわね」
ポピーのその言葉に私は身じろぎする。
体を動かすたびに白い布地がさらさらと揺れた。
この白色のドレスは全体的に細身だ。
ぴったりと身体を覆う上半身の布地は緩いカーブを描いて下半身へと続く。シンプルなデザインで袖は無く、大胆に開いた背中とデコルテは薄いレースが覆っている。
脇腹から下半身のスカート部分にかけて貝殻を模した刺繍がなされ、ドレスと同色のその刺繍は角度によってきらきらと煌めいていた。
今まで女だと明らかにならないように全身を覆い隠した着こなしをしていたからか、こんなに大々的に肌を見せる服を着るのは落ち着かない。
「さて、最後の仕上げよ」
ポピーはイヤーカフを手に取る。
その昔、私がウィリアム様と共にソフィア王女の贈り物の下見をしに行った時、露店で私が買ったイヤーカフ。
繊細な銀の細工に、海のように深みのある瑠璃色の宝石と、見る角度によって七色に輝く白い真珠があしらわれている。
(この深く濃い青から淡い紫まで、光の当たり具合によって色が変化する『知性の海』という宝石がまるでウィリアム様の瞳の色のようで、つい購入してしまったんだよな)
そんな事を考えながらイヤーカフを眺める。
ポピーは丁重にイヤーカフを持ち上げると、私の耳に嵌め込んだ。
ポピーは私を見上げる。
今までドレスなんて着たことがなかった私は自分の姿に自信が持てず、彼女の視線を受けておずおずと尋ねる。
「…どうかな?」
そしたら、ポピーは満面の笑みを浮かべて
「ばっちりよ‼︎」
と拳を天に突き上げた。
「おーい、準備は終わったか?」
その時、扉の影からライリーの声をかけてきた。
「公爵様がお待ちだぜ」
それを聞いたポピーは目を瞬かせる。
「あら、もうそんな時間なの?また会場でね、リア」
ポピーは茶目っ気たっぷりに笑うと部屋を出ていく。
がらんとした部屋には私だけが残された。
私が自身の体を見下ろしていると、扉が軽く叩かれる。
「リア、僕だけど…開けていいかい?」
ウィリアム様のその声に、慌てて姿勢を正す。
「はい、大丈夫です」
私がそう返事をすれば、キィ…と音を立てて部屋の扉が開かれる。
そこには白色のフロックコートを着たウィリアム様が立っていた。
ウィリアム様は私の姿をその瞳に映すと息を呑む。
やがてその見開かれた目をゆるゆると緩めて私に微笑みかけた。
「美しいよリア。君が僕の妻だなんて夢のようだ」
そう言った彼は私の方へと歩み寄る。
そして彼は私の耳を見遣り再び目を見開いた。
「そのイヤーカフ…」
彼の手が私の耳に触れる。
「このイヤーカフを初めて見た時、君を愛していると自覚した事を今でもよく覚えている。あの時は言えなかったけど、今なら言える。…よく、似合っているよ」
彼は耳から手を離すと私の手を掬い上げた。
「さぁ、行こう。式が始まる」
私はそれに頷くと、彼と共に歩き出した。
「うぉーーーん‼︎団長、キレイっすーー‼︎」
「うわぁーー‼︎」
「おろろろろーーん‼︎」
屈強な男たちが号泣している前で、私は困惑していた。
「ジョンソン、いくらなんでも泣きすぎだよ…。ほら、他の皆も泣き止んでくれ。モーリス騎士団長、彼らに何とか言ってください…って、こっちも泣いている…⁉︎」
豪快に涙を流す騎士たちに困り果てて振り向くと、モーリス騎士団長までもが目頭を押さえていた。
私が女性だと明らかになり軍法会議にかけられた時、決起してくれたのは彼らだった。
あわや地位剥奪、刑罰に処される寸前だった私。
ウィリアム様1人の力ではどうにもならないかと思われた時、ムーア公爵家騎士団の彼らが署名を集め猛烈な抗議をしてくれた事で、私は刑罰を逃れ更には騎士団長を続投することが決定したのである。
「女性だからって、なんすか‼︎フローレス団長は今日まで立派に騎士団長を勤め上げてきたっす。実績があるんすよ、実績が‼︎」
そう言いながら軍法会議に殴り込みに来たジョンソンの姿は記憶に新しい。
ちらりとウィリアム様の方を伺えば、ウィリアム様の前ではフィンレー王太子が号泣していた。
王太子を宥めるウィリアム様と目が合い、お互いに苦笑する。
私たちが見つめ合っていると、急に一陣の風が吹いた。
私が手に持っていた花束から白い花びらが飛んでいく。
青空に舞い上がる白い花びら。
それはまるで『君と白薔薇』の最後…ウィリアム様の墓にシャーロットとフィンレー王太子が白薔薇を供える時のシーンを彷彿とさせた。
(でも、あのシーンとは何もかもが違う)
私は会場内を見渡す。
目の前にいるジョンソン、部下の騎士たち、モーリス騎士団長様、こちらを暖かい目で見ているポピーとライリー、ウィリアム様の前で泣くフィンレー王太子、その背中をさするシャーロット、彼らの側に控えるエドワードさん。
そして、柔らかな白色のフロックコートを着たウィリアム様。
私を支えてくれた、たくさんの人々。
(私は幸せ者だ)
私は花束を握りしめる。
自然に溢れ出る笑顔を湛えながら私は手巾を取り出すと、うぉんうぉんと泣いているジョンソンの顔を拭った。




