【第六十二話】薬草(ウィリアム視点)
時間が止まってしまったが如く訪れる沈黙。
僕は医師の言葉を頭の中で反芻したが、まるで不規則な音の羅列を聞いた時のように、暫くその声を言葉として認識する事が出来なかった。
(『そこにいる騎士はジョセイだからです』?)
ターナー医師は無言で僕の方を見ている。
(ジョセイ…女性…?リアが女性と、今この人はそう言ったのか?)
「は…」
吐息が漏れ出る。
「何を仰っているのですか…?彼は男性です」
僕がそう言うと、ターナー医師は静かに切り返した。
「それを証明出来ますか?」
その言葉に僕は口を開く。
「そんな…証明するも何も、12歳の時から僕とリアは一緒に…」
思い出されるのは、彼のかっちりと着こなされた騎士制服。
「過ごし…て…」
彼の騎士制服の釦は暑い夏であっても、いつも1番上まで留められていた。
思い返せば、彼の顔と手以外の肌を見た事がない。
『貧相な体をした男ではございませんか』
リアが襲撃事件を受けるより前に、ある貴族令息がリアを指して言った言葉。
僕はリアの体を貧相だなんて思わない。
しかし…男性だと考えると、リアの身体は他人から指摘される程に線が細かった。
ぱちり、ぱちり、とパズルのピースが嵌るように頭の中の情報が繋がっていく。
ターナー医師はそんな僕をじっと眺めていたが、徐にリアへ近付くと首元の布団を捲った。
そして医師はリアの襟を寛げる。
「見なさい。これが証拠です」
医師がリアの首を指し示す。
変声期を終えた男の喉には目立ってあるはずのそれ。
出っ張った喉仏が、リアの喉には見当たらなかった。
「ありえない…」
僕がそう呟くと、ターナー医師は首を横に振った。
「事実ですよ。…そしてこの解毒剤は今この瞬間に用を成さない只の水に早変わりだ」
医師の言葉に僕は先程の言葉を思い出す。
『この解毒剤は男性なら過不足なく効きます。しかし女性には効きません。女性特有の体内分泌物がこの解毒剤の吸収を妨げるのです。女性に対し今回の毒を解毒をしようと思うなら、隣国にしか生えない貴重な薬草を同時に摂取させなければなりません』
「そうだ、リアは…その解毒剤が効かないとすれば、リアはどうなるのですか…⁉︎その隣国にしか生えないという薬草は…⁉︎」
僕の問いにターナー医師は顔を俯かせる。
「…隣国にしか生えないキヌ草は非常に希少な代物で、我が国には存在しません。隣国内でも中々流通しない薬草です。仮に隣国まで行ってもキヌ草を手に入れるまでに1ヶ月はかかるでしょう。その頃には、この患者はもう…」
それを聞いた僕は足元の地面が崩れ落ちる様な感覚に襲われた。
「そんな…」
ターナー医師は僕から視線を逸らすように目を伏せる。
「最善は尽くしますが、覚悟はしておいた方がいいでしょう」
(覚悟…?)
リアを振り返る。
(リアを失う、覚悟…?)
リアを失う。
兄上のように、父上のように、母上のように。
リアがものを言わぬ骸になる。
その覚悟をしろと目の前の医者は言っている。
そこまで考えて、僕は目の前が真っ暗になった。
そこからは記憶が朧げで、僕は気が付いたらターナー医師と共に廊下を歩き公爵邸の門へと向かっていた。
「また、来ますので」
ターナー医師はそう言うと痛ましげな目で僕の方を見遣る。
「心中お察し致します。しかしアナタまで倒れては元も子もありません。しっかり睡眠と食事を取って下さいね」
医師の言葉にぼんやりと頷く。
そんな時、門に近づくにつれて何やら騒がしい声が聞こえてくる事に気がついた。
門に近付けば近付く程その声は大きくなる。
「あっ、公爵サマ‼︎」
もう少しで門に到着するという所で、警護部隊のジョンソン副団長が僕の元へ走り寄ってきた。
「公爵サマ、平民の2人組が押しかけてきて先程からフローレス騎士団長に会わせろと主張しているんす。乱暴にする訳にもいかず困っているんすが…どうするっすか?」
僕が門の方へ視線を向けると、そこには栗色の髪をした男女の2人組がいて、門番をしている騎士と揉めているようだった。
「だから‼︎おたくの騎士団長に会わせてくれよ‼︎毒で倒れたって聞いたぞ、無事かどうかだけでも確認させてくれ‼︎」
「一目だけでも良いの、お願い‼︎リアは大丈夫なの?それだけでも聞かせて‼︎」
門の前にいる男女の2人組を眺めていた僕は、栗色の髪の女性に既視感があるような気がして目を細める。
(そうだ、彼女は服飾街のショーウィンドウ前でリアといた女性だ)
僕がそれを思い出すと同時に、栗色の髪をした青年の榛色の目と視線が交差した。
「…‼︎あんた、公爵のウィリアム・ムーア様だろ‼︎オレたちは怪しいもんじゃない、商人のライリー・モーガンと王都で仕立て屋やってるポピー・モーガンっていう者だ‼︎」
必死な形相の彼らに僕は目を瞬かせる。
その時、僕の横にいたターナー医師が口を開いた。
「アナタたち、公爵閣下は今精神的に余裕がないのです。これ以上公爵閣下を追い詰めないで下さい」
医師の声に、彼らの意識がそちらへ向く。
「その服装…あなた、お医者様ね。お願い‼︎リアの様子を教えて‼︎」
ターナー医師は彼らをじっとりと見つめていたが、やがて首を横に振った。
「教える訳ないでしょう。誰かれ構わず患者の事を話す医師がいますか」
「そんな…‼︎」
絶望したような顔で項垂れる彼ら。
ターナー医師は僕を振り返り一礼する。
「公爵閣下、どうか気を強く持たれますよう。キヌ草についての情報が入り次第また連絡致します」
そう言い残して馬車に乗ろうとするターナー医師の服を、ライリー・モーガンと名乗った青年が掴んだ。
「キヌ草って隣国の貴重な薬草の事だろ…リアの治療に必要なのか?それが無いとどうなるんだ…?なぁ、どうなんだよ‼︎」
「キヌ草がないとリアは助からない」
気がつけば、僕の口からはそんな言葉が転がり出ていた。
「リアの解毒にその薬草が必要なんだ。でも、それは手に入らない」
限界を迎えた僕の精神は、自らの口から次々に言葉を吐き出させていく。
「リアを失う覚悟…?そんなもの出来る訳がないだろう…‼︎しかし…もう、打つ手がないんだ…」
しん、と辺りが静まり返る。
「団長が助からないって…それ、本当っすか…?」
ハッとして顔を上げると、その場にいた全員が僕を見つめていた。
ジョンソン副団長が震える声で言葉を紡ぐ。
「嘘っすよね…?嘘に決まってる…なぁ、先生嘘だよな?」
ジョンソンがふらふらとターナー医師に歩み寄る。
「嘘って言ってくれ…。嘘って言ってくれよ‼︎」
その叫びに、ターナー医師が顔を背ける。
ポピー・モーガンと名乗った女性がその様子を見て口元を手で覆いよろめいた。
重い沈黙が場を満たした時。
「オレに任せてくれないか」
凛とした声がその場に響いた。
「任せてくれとは、どういう事です?」
ターナー医師が訝しげに尋ねると、声を発したライリー・モーガンはその瞳に強い光を宿した。
「オレは商人だ。独自の流通経路も持っているし、隣国とのやり取りもしている。薬草も何度か取引した実績がある。キヌ草だって、きっと入手してみせる」
「キヌ草を手に入れるのには少なくとも1ヶ月かかるはず。…患者の体に毒がまわりきるまであと1週間あまり。それでも出来ると言うのですか」
医師の問い掛けに栗色の髪の青年は頷く。
「ああ、やってみせる。親友の命が掛かっているんだ。どんな無理難題だってやってみせるさ」
そう話すと彼は僕の方へ向き直る。
「なぁ公爵様、オレに任せてくれないか。親友を救いたいんだ」
青年は強い瞳でそう言った。




