【第五十八話】名乗り
飛ぶように月日は過ぎ、合同訓練の甲斐あってムーア公爵家騎士団内の統制が取れてきた頃。
各地で同時多発的に魔獣が出現したという知らせが騎士団に飛び込んできた。
騎士団が駆けつけた時には魔獣の発するエネルギー波で該当地区の家々は半壊、それに巻き込まれ瓦礫に埋まった人やエネルギーを吸い取られ瀕死になってしまった人が散見されるなど凄惨な光景が広がっていた。
騎士団による救命活動が行われたが、それが一段落する間もなく別の地区に魔獣が出現するという事態が重なり、国中の民が恐慌状態に陥った。
国ではマルティネス王家を主導として学者たちによる必死の原因究明が行われた。そして本日、王家から国中の貴族に対し召集がかけられ、王の意向が示される次第と相なったのである。
荘厳な意匠が凝らされた謁見の間。
王宮の中でも特に広々としたその空間に、国中から集まった貴族の長たちが肩を並べる。
私はといえば、三大公爵家当主の為に用意された席…ウィリアム様が座るその横に控えていた。
ざわざわと貴族たちが不安げに騒めく状況下において、高らかな鐘の音が鳴る。
「国王陛下の御成‼︎」
国王の登場を告げる役人の声に、謁見の間はしんと静まり返った。
静寂に包まれる中、王座の奥にある巨大な扉が開かれる。
その扉から現れたのは、王族の象徴たる金の髪に冠を戴いたヘンリー国王陛下であった。
その後ろにハリエット王妃殿下、フィンレー王太子殿下、ソフィア王女殿下が続く。
ヘンリー国王陛下は紅の外套を翻し王座へ座ると、貴族の長たちを見据えた。
「皆の者、遠路はるばる大儀である」
その言葉に貴族たちが一斉に跪礼をする。
王はそんな貴族たちを見回すと、重々しく口を開いた。
「此度召集をかけたのは他でもない。現在この国を恐慌に陥れている魔獣の大量発生について解決の糸口が見つかった事を知らせると共に、その方法について述べる事を目的としたものだ」
貴族たちがどよめく。
「静粛に‼︎」
役人のその声にまた場は静けさを取り戻した。
貴族たちが静かになるのを待って、王は話し始める。
「学者たちが古文書を紐解き、数百年前に同じような現象が発生していた事を突き止めた。魔獣発生の兆し、多発地域の傾向…全てが一致している。そしてその原因は『魔獣の核』と呼ばれる結晶体にあり、太古の森に存在するそれを破壊する事で魔獣の発生を止めることができると判明した。これは国の学者団が死力を尽くして調べたものであり、国王たる余が責任を持つものである」
国王がそう言うと、王座の傍に控えていた学者たちが頭を下げた。
「そしてその解決策に関してであるが…王太子、ここへ」
王の言葉を受けてフィンレー王太子が前に進み出る。
「次期王の責務として、この『魔獣の核』を破壊する役目を王太子に一任する事とする」
その発言に、ウィリアム様が息を呑む。
ウィリアム様の表情が凍りついたようにかたまったのが、真横に控えている私には分かった。
対する貴族たちの反応は概ね肯定的なようで、さすが次期王だとフィンレー王太子を褒め称える者、これで事態は収まり国は安泰になると胸を撫で下ろす者などその反応は様々だ。
そんな彼らを王座から見下ろし王は言葉を続ける。
「王太子には国軍を同行させ、此度の任務を負うものと…」
朗々と響いていた王の声が突然に途切れた。
不自然に無言になった国王はその顔を両手で覆う。
「無理だ…」
王は突如そう呟いた。
ヘンリー国王陛下はフィンレー王太子の方を向く。
その顔は歪み、苦痛に塗れていた。
「おおフィンレー、余の大事な息子よ」
王座から立ち上がり重い足取りで一歩一歩フィンレー王太子の元へ歩き出す王の声は、聞いている方の胸が張り裂けそうになる程に悲痛なものだった。
「やはり余にはフィンレーを死地に送ることなど出来ぬ」
しわがれた手がフィンレー王太子へ伸ばされる。
フィンレー王太子はその手をそっと取ると、柔らかく握った。
「父上」
彼は痛々しいほどに悲しみを浮かべる父王へ微笑む。
「俺は太古の森へ行きます。国民のため、王家のため、そして俺自身の為に」
国王はそれを聞きさらに苦しげな顔をしたが、そんな国王の肩をハリエット王妃殿下が抱きしめた。
瞳の奥に悲歎を浮かべながらも、凛とした表情で王を見つめる。
「陛下…これはフィンレーに必要な試練なのです。この問題を見事解決して見せれば、フィンレーの王としての地位は盤石になるでしょう。信じて待つ事こそがわたくしたちに出来る唯一なのです」
王妃の悲しみを含んだ気丈な笑みに王は顔を俯かせる。
そして次に顔を上げた時、そこには『父』ではなく一国の『王』としての姿があった。
「…必ず、生きて帰るのだぞ」
その言葉にフィンレー王太子は跪礼をする。
王と王妃がそれに頷いた時、彼らの陰から1人の少女が飛び出てきた。
「兄さま‼︎」
その少女は王太子に抱きつく。
「ソフィア…」
フィンレー王太子に呼びかけられた少女は、抱きつく力をより強くした。
王太子はソフィア王女の頭を撫でる。
「ソフィア。俺が帰ってきたらまた一緒に遊ぼうな」
フィンレー王太子がそう言うと、ソフィア王女は涙を溜めた目で彼を見上げた。
「本当ね?兄さま、絶対よ」
「ああ、約束だ」
フィンレー王太子は王女に向かってニカッと笑う。
そして顔を引き締めると、貴族たちに向かって声を張り上げた。
「此度の任務、王太子であるこのフィンレー・マルティネスが請け負った‼︎」
その時だった。
「その旅路、ムーア公爵家当主のこのウィリアム・ムーアも同行させて頂きたい」
聞き慣れた声が私の耳朶を打った。
誰もが唖然とする中でウィリアム様は王を真っ直ぐに見つめる。
「王よ。同行許可を願います」
国王はそれを聞いてウィリアム様を遠慮のない眼差しで突き刺した。
「ムーア公爵家当主、ウィリアム・ムーアよ。貴公は昔病弱であったと聞く。この任務は決して生優しいものではないぞ。それでも行くというのか」
忌憚ない問い掛けにウィリアム様は首を縦に振る。
「分かっております。病弱な身体はとうに克服致しました。それを証明してみせよと仰せになるならば、いくらでも課された問題をこなして見せましょう」
王はそんなウィリアム様に鋭い視線を向けていたが、やがてその表情を和らげた。
「よい。同行する事を許可する」
その言葉にウィリアム様は深く一礼した。
「ウィル…」
フィンレー王太子が呆然とした様子でウィリアム様を見遣る。
そんな王太子をウィリアム様は真っ直ぐに見返した。
「以前言っただろう。『君の問題は僕の問題だ』と」
ウィリアム様はフィンレー王太子に微笑んだ。
「共に生きて帰ろう、フィン」
その晩。
王宮にてウィリアム様の部屋の番をしながら私は考えを巡らせていた。
(こうなるかもしれないと覚悟はしていただろう)
そう思うのに、胸に巣食う不安は増すばかりだ。
(ウィリアム様の両親の時のように、もしもウィリアム様の死の運命を回避できなかったら?)
そんな考えがぐるぐるまわる。
ともすれば背後の扉を開けてウィリアム様に詰め寄り、任務への同行を撤回してくれと叫んでしまいそうだった。
私はそんな心を必死に押さえつける。
(フィンレー王太子の窮地に駆けつけないなど、ウィリアム様の性格からしてありえない。説得は不可能だ。自身の体も鍛えた、直属の警護部隊の統制も順調、合同訓練だって支障なく進んでいる。私は成すべき事をするだけだ)
そう考えても私の不安は消えていかない。
ウィリアム様を失う幻影に苦しみながら、私の夜は更けていった。




