【第五十七話】寝顔
重厚な扉の前に立つ。
ここは駐屯地の中程にある治安維持部隊騎士団長の執務室前。
目の前の扉からの圧迫感に、私は思わず息を詰める。私をここまで案内してきた騎士がその扉を軽く叩いた。
「モーリス騎士団長、警護部隊の騎士団長がお越しです」
「入れ」
扉の中から威厳のある声が響く。
軋む音と共に案内役の騎士が扉を開けば、執務机から筋骨隆々とした壮年の男性がこちらを見据えていた。
「久しいなフローレス。いや、今はフローレス騎士団長か」
治安維持部隊の騎士団長、レオ・モーリスは堂々たる様子で私に言葉をかける。
私はその場で一礼し彼に挨拶を返すべく口を開いた。
「モーリス騎士団長もお元気そうで何よりです」
私がそう言うとモーリス騎士団長は懐かしむように目を細めた。
「公爵卿…いや、今は閣下だな。お前を閣下の筆頭護衛騎士として推薦してからもう7年が経つのか。早いものだ」
彼は徐に立ち上がる。
「来なさい。話は応接室で聞こう」
先導する彼に続き、私も奥の扉へ向かって歩き出した。
「それで。話とは何なのだ、フローレス騎士団長殿?」
どっしりと椅子に構えた彼は私にそう問いかけた。その圧に私は思わず唾を嚥下する。
(…怖気付くな。これからを考えれば、治安維持部隊の協力は必須。何とかモーリス騎士団長を説得するんだ)
私は握った掌に力を込めると話し始めた。
「単刀直入に申し上げます。治安維持部隊と警護部隊の合同訓練を定期的に開催しませんか?」
モーリス騎士団長の眉間に深く皺が寄る。
(やはり一筋縄ではいかないか)
私がそう思った矢先、
「何故合同訓練をする必要があるのかね?」
もっともな疑問を尋ねられた。
「有事の出兵の際、領主直々に赴く場合に治安維持部隊と警護部隊の連携が取れていなければ主君を危険に晒します。連携と協力を深め、いざという時に備える必要があると考えた結果のご提案です」
「ふむ…」
モーリス騎士団長は白いものが混じり始めている口髭を撫でる。
「騎士たち各々の訓練時間を割いてまで合同訓練をしろと、そう言うのかね?」
「はい。いざという時、『主君を守れなかった』では遅いのです」
「ほう、いやに強く主張するじゃないか。…領主直々に赴く程の事態というのは殆ど存在しない。現に今の体制で上手く事はまわっている。それでもやるべきだと?」
その言葉を聞いて私は唇を噛み締めた。
私が合同訓練を何とかして開催したいのは『君と白薔薇』のシナリオを知っているからだ。
しかしそれは説明のしようがない。
未来を知っているなんて与太話、誰だって信じない。
「…今まで大丈夫だったからといって、これからも大丈夫だという保証はありません」
やっと絞り出した声はみっともなく掠れていた。
「ボクはいざという時に後悔したくない。出来る事があるならば全てやりたいのです」
そう言って私はモーリス騎士団長をまっすぐに見つめる。
「そんなに、現公爵閣下が大事か」
彼がぼそりと呟く。
私はその言葉に迷いなく頷いた。
モーリス騎士団長は7年前の如く私の覚悟を見極めるように私を見据えていたが、やがて肩から力を抜いた。
「『今まで大丈夫だったからといって、これからも大丈夫だという保証はない』という言葉、至極もっともだ。…いいだろう。合同訓練開催に手を貸そう」
「…‼︎、ありがとうございます‼︎」
私はそれを聞いて深く首を垂れた。
「合同訓練をする事、決定したんすか⁉︎ぐええ…フローレス騎士団長、ストイックすぎるっすよ…」
帰ってきた私の話を聞いてジョンソンが白目を剥く。
「すまないが、これはもう決定事項なんだ。準備の手伝いを頼むよジョンソン」
私がそう言うと彼は恨みがましい目で私を見た。
「フローレス騎士団長、おれに色々と詰め込みすぎじゃないっすか?おれ、フローレス団長ほどじゃないっすけど忙しくて倒れそうっす」
じとっと私を見つめる彼の肩を叩く。
「そうだね、仕事の負担を多くしてごめん。今度にでも肉が美味しい御飯処へ連れて行くから」
「えっ⁉︎」
私の言葉に彼は目を輝かせる。
「肉⁉︎肉っすか⁉︎確かに聞きましたからね団長、絶対っすよ‼︎」
肉と聞いて彼はそわそわと喜びを露わにした。
(扱い易くて有難いが、肉にここまで釣られるのか…いつか詐欺に引っ掛かりそうだ)
ふと部下の単純さが心配になってくる。
私の視線に気が付いたのか、彼は咳払いをすると体裁を取り繕った。
「まぁ、とりあえず今度って事で。…ところで団長」
「ん?どうした…?」
突然真剣な表情になったジョンソンの変化に戸惑っていると、彼は私にズイッと近寄った。
「俺の仕事の内容、おかしいと思うんす」
私はそれを聞いて目を瞬かせる。
「何か仕事に不満が…?ボクの采配に至らない所があったかな?」
私がそう言うと、彼は首を横に振った。
「至らないとかじゃなくて…統率の仕方とか、何だとか、まるで次期騎士団長に対する引き継ぎみたいな内容があるっすよね?何でっすか?」
その問い掛けに私は口を噤む。
ジョンソンは尚も私に言い募った。
「まるで近い未来にフローレス騎士団長が居なくなるみたいっすよ。何を焦っているんすか?」
私は目を見開き、そしてその後に笑顔を貼り付けた。
「…はは、ジョンソン。それは勘違いだ」
私を見ている彼に薄い笑みを向ける。
「大丈夫。ボクはいなくなったりしないよ」
「ウィリアム様、休憩なさいませんか?紅茶をお持ちしました」
夜、私は公爵邸の執務室の扉の外から声をかける。返答がないのを怪訝に思いながら扉を開けると、ウィリアム様は執務机に伏せるように眠っていた。
私は静かに紅茶の乗った盆を机の端に置く。
(無理もない、最近働き詰めだったから。…少し経ったら起こして寝室に移動して頂こう)
そう思いながら近くにあった毛布をウィリアム様の背中にかけた。
照明に照らされた彼の端正な寝顔を見つめる。
『近い将来にフローレス騎士団長が居なくなるみたいっすよ』
昼間のジョンソンの言葉が頭に蘇った。
(彼の言った言葉は核心を突いている。私はいつ居なくなってもいいように場を整えているから)
手を伸ばし、白く滑らかなウィリアム様の頬を指でなぞる。
(何としてでもウィリアム様を守り切って、その後は…いつかきっと私が女だという事を隠しきれない日がくる。そうなる前に彼の元を去らなければいけない)
私は彼の頬から手を離す。
(私がこうしてウィリアム様の側にいられるのも、後…)
カンテラの光が揺れる中で、私は暫くウィリアム様の寝顔を見つめていた。




