【第五十四話】伝令
空に雲が立ち込める夜半。
私は1人、ムーア公爵邸へ降り立つ。
用意しておいた抜け穴から邸宅内へ侵入し、足音を忍ばせながら寝静まった公爵邸内を歩く。
見張りの騎士に気をつけながら目当ての場所…公爵家の馬車格納庫へ辿り着いた私は、数台の馬車の存在を確認すると背嚢から金属の棒を取り出した。
外の様子を伺い近くに人がいない事を確認する。
私は馬車を前にして金属の棒を掲げると、勢いよく車輪に向かってそれを振り下ろした。
少し前から私はある事に向けて徐々に準備を進めていた。
王都とムーア公爵領を行き来して、公爵邸内にある馬車の台数や所在を調べる他、計画決行の日に邸宅内へ秘密裏に入り込めるように少しずつ抜け穴を作成。
顔を隠して街の工具屋に行き、金属の棒も入手した。
そして卒業式典前夜の今。
私はムーア公爵邸内にある全ての馬車の片車輪を破壊する。
それは何故か。
…卒業式典当日の明日、ムーア公爵と公爵夫人が馬車の事故で亡くなるのを阻止するためだ。
「これで全部か…」
公爵邸にある全ての馬車の片車輪を壊し終わった私はほっと息を吐く。
全ての馬車が走行できない状態である事を念入りに確認して、金属の棒を背嚢に仕舞った。
シナリオの中でムーア公爵と公爵夫人はウィリアム様の卒業式典の日に公務のため馬車で出かけ、その道中事故に遭い死亡する。『君と白薔薇』の物語において、卒業したウィリアム様が即座に公爵に就任する事になるのはその為だ。
出来ればもっと穏便な方法でそれを止めたかったけれど、ウィリアム様付きの護衛騎士である私の意見にムーア公爵や公爵夫人が耳を貸すとは思えない。
ましてや『公務に向かう経路を変えるか、もしくは明日の公務に向かわず1日公爵邸内にいて下さい』なんて事を宣ったら怪しさ満点だ。
だから私は今回の方法に踏み切る事にした。
私が破損させた車輪は付け替えをすれば簡単に直るが、その作業には少なくとも1日はかかる。
これで明日、公爵邸内にある馬車は使えない。
よって事故が起こる事もない。
物音に気をつけながら公爵邸を抜け出す。
抜け穴の入り口が外側から見えないように偽装をして、私はその場に立ち上がった。
そしてムーア公爵と公爵夫人の居る部屋の窓を眺める。
私が彼らを救おうとしている理由。
その中には人命を救いたいという気持ちも勿論ある。
しかし1番の理由は『彼らを助けた方がウィリアム様の今後のために良いのではないか』と推測した私の、勝手な自己満足によるものだ。
両親であるムーア公爵と公爵夫人から冷遇されてきたウィリアム様。
その関係に苦しんでいる彼は其の実、両親に対しての情を捨てきれないでいた。
そんな状態でムーア公爵と公爵夫人が亡くなってしまったらどうなるか。
「…仲を修復するにせよ決別するにせよ、ご自分でそれを決断なさらないとウィリアム様はきっと後悔することになる。そのためにも、貴方たちにはまだ生きていてもらわなければならない」
その微かな呟きは風の音に霧散する。
私は部屋の窓から目を離すと、うっすらと空が白んでいる方向に向かって踵を返した。
煌びやかなシャンデリアが輝く豪奢な会場。
あちこちで卒業生が話に花を咲かせる卒業式典の祝賀会で、グラスを片手に語り合う3人の姿があった。
「ついに卒業だな。長いようで短かったけど、楽しかったよ」
フィンレー王太子が感慨深げに言う。
「そうね、実りの多い4年間だったわ。お友達もたくさん出来たし」
シャーロットが微笑み、ウィリアム様も頷いた。
「そういえば、シャーロットは植物学者として王家をはじめとした幾つかの領から引き抜きを受けているんだよね?凄いじゃないか」
ウィリアム様がそう褒めるとシャーロットは嬉しそうな表情をする。
「そうなの‼︎有難い事だわ」
「王家としては、王都で植物の研究をしてもらえると喜ばしいんだがなぁ。もちろん俺もその方が嬉しい」
王太子がそう口を挟むと、シャーロットはころころと笑う。
「あらフィンレー、あたし色恋で進路は決定しない主義なの。方々の条件をしっかり吟味して、母さんと一緒に幸せに暮らせる所へ行くつもりよ」
それを聞いてフィンレー王太子は唇を尖らせた。
3人が和やかに会話をして、それをエドワードさんと私が見守る。
そんな光景もこれを最後に中々見られなくなるのか…と思いながら立っていると、会場の使用人たちの動きがやけに忙しない事に気がついた。
使用人たちは落ち着かない様子でバタバタと走り回っている。
そして使用人のうちの1人がウィリアム様の方へ足早にやってくるのを見て、私は嫌な予感がした。
言葉にしきれない程の、とてつもなく嫌な予感が。
「ムーア公爵卿…‼︎」
使用人はウィリアム様の元へやってくると小声で彼に話しかける。
「うん?何かな」
ウィリアム様が不思議そうな顔で振り返った。
使用人は緊迫した表情で口を開く。
「伝令です‼︎ムーア公爵と公爵夫人が…‼︎」
その使用人の言葉を最後まで聞いた時、ウィリアム様の表情は抜け落ちた。




