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【第五十三話】葛藤



それからというもの、私は自分の性別が明らかになる事を今まで以上に恐れるようになった。

(ウィリアム様が愛を向けて下さっているのは仮初の"ボク"に対してだ。もしも私の偽りの事実が白日の元に晒され、ウィリアム様からの愛が冷めてしまったら…)

それを考えると私は心臓を氷の刃で貫かれたような心持ちになり、息が上手く出来なくなった。







コスモス畑の散策から数日経ったある日。

ひと気のない廊下でウィリアム様が私の手に触れた。

以前の私ならその指に手を絡め返していただろう。


しかし彼が手に触れた瞬間、

(もしかしたら手の肉付きの違いで性別に気付かれてしまうかもしれない)

という考えが私の脳裏に過った。


パシッという乾いた音。

その音を聞いてから、私は自分がウィリアム様の手を振り払ってしまった事に気付く。


「も、申し訳ございません‼︎お怪我はございませんか?」


慌てふためきながら私はウィリアム様に声をかける。

それでも私は彼の手を取らない。いや、取れない。

身体接触で自分の性別に気付かれてしまったらと思うと怖くて堪らないからだ。


ウィリアム様は放心したように振り払われた手を眺めていたが、やがてその顔に笑顔を張り付けてこちらを見た。


「大丈夫。驚かせてしまってごめんね」


そう言って、彼は何事もなかったかのように取り繕う。

その顔にどうしようもない哀しみが滲んでいるのを、私はやるせない気持ちで見つめていた。





















それからも私はウィリアム様との身体接触を避け続けた。

その度にウィリアム様の顔が曇る事に気付いていながら、それらしい言い訳すら思い浮かばず時は過ぎていく。


そして季節は巡り、迎えた冬。


「リア、僕は何か気付かないうちに君に嫌われるような事をしてしまったかな」


誰もいない空き教室の片隅で、私はついにウィリアム様からそう尋ねられていた。

私は必死に首を横に振る。


「いいえ‼︎そんな、嫌うだなんて…‼︎」


私がそのように答えると、彼はさらに問い掛ける。


「手を繋いだり身体を触れ合わせるのは、嫌?」


その問いに、私はぐっと押し黙った。

(ウィリアム様と手を繋ぐのは好きだ。ふとした瞬間に肩が触れ合うのも、幸せな気持ちになる。しかし…)

ウィリアム様は黙り込んでしまった私を暫く見つめていたが、やがて薄く笑みを浮かべた。


「ごめん、気が逸って事を進め過ぎたみたいだね。これからはもっと慎重にしていく事にする。…安心して。君が嫌がる事はしないと誓うよ」


そう言って私を気遣うように微笑む。

表向きは完璧な笑み。しかし長い間近くにいた私にはその笑顔が本物ではないと分かってしまった。

…彼の瞳が、確かな哀しみを浮かべていたから。


『理由すら明らかにならないままで、想う相手に触れる事を避けられる』。

普通ならその理由を暴こうとするだろう。もしくはその相手のことを諦めようとするかもしれない。


でもウィリアム様はそうしなかった。

事実としてそれを受け止め、その上で私と共に歩む道を模索しようとしている。


でも、それはどれだけの哀しみを背負う事になるのだろう。相手の心が分からないまま想い続ける事はどんなにつらいか。


「行こう、午後の部が始まってしまう。…リア?」


気がつけば私は教室を出て行こうとするウィリアム様の制服を掴んでいた。


「…ッ、ウィリアム様…‼︎」


(言ってしまおうか)

全てを露わにして彼に身を委ねてしまおうか。


私は口を開きかける。

しかしそれきり私の唇は凍りついたように動かなくなってしまった。

(怖い)

かたかたと指先が震える。

(一言『リア・フローレスは女なのだ』と告げるだけだというのに、震えが止まらない)

私の背筋に冷や汗がつたった。


私たちは暫く見つめあっていたが、私がウィリアム様の制服から手を離し


「…何でもございません。研究室へ向かいましょう」


と言った事でその時間は終わった。

ウィリアム様は、何も仰らなかった。




















一方で、フィンレー王太子とシャーロットの恋路は順調に進展しつつあるようだった。


『これは直接的な物言いをしないといつまで経っても仲が進まないようだ』と気が付いたフィンレー王太子はシャーロットへあけすけに愛を囁くようになり、もともとフィンレー王太子を憎からず思っていたシャーロットも笑顔でそれに応じる。


私はその様子をウィリアム様の横で度々目撃していた。


躊躇する事なく愛をさらけ出すフィンレー王太子が、そしてそれを何の衒いもなく受け止めるシャーロットが…自分を偽りウィリアム様の愛を受け入れられない私の目には只々眩しくうつった。


















春が来て、夏が来て、秋が近づく。

私とウィリアム様は表向きいつもの主従として過ごしていたが、私が身体接触を過度に避けるような動きを繰り返すので次第にぎくしゃくとするようになってしまっていた。


(原因は全て私にある。私には今の関係を悲しむ権利などない)

そう思いながらも、『ウィリアム様に触れて欲しい』という気持ちと『触れ合うことで性別が明らかになってしまったら』という懸念が同時に渦巻き、胸が痛んだ。






















ついにウィリアム様の学園卒業が近づく中。

私は使用人寮の自室でぼうっとしていたが、その場に起き上がると両頬に喝を入れた。

(何を腑抜けているんだ。気合いを入れろ、彼の心も体も守り切るのだろう。そんな事でウィリアム様を救えると思うな、リア・フローレス)

じんじんとする頬の痛みに気合いを入れ直す。


そう、私は腑抜けている訳にはいかないのだ。

ウィリアム様を守る手始めとして、卒業式典の日に起こる"あの事件"を阻止しなければならないのだから。




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