【第五十二話】自覚
授業後、ウィリアム様がクラスメイトと話をしているのを遠くから眺める。
もやもやとした感覚が私の胸の内に充満し始めるのを感じて、私はウィリアム様とそのクラスメイトから目を逸らした。
最近の私はおかしい。
ふとした時に私の胸は悲しみにも似た胸を圧迫されるような覚えに苛まれ、それはウィリアム様と共にいると顕著になるようだった。
いや、『ウィリアム様と共にいると顕著になる』というのは語弊がある。
『ウィリアム様が誰かと喋っていると顕著になる』というのが正確かもしれない。
何故そんな感覚に苛まれるのか答えが見つからないまま季節はまわり、ウィリアム様は学園の最終年次に差し掛かっていた。
秋深まる頃。
私はウィリアム様と共に王都の僻地にあるコスモスの花畑にやってきていた。
例によって今回もウィリアム様からのお誘いである。
どこまでも広がる薄紅色のコスモスが風に揺れる様は実に素晴らしく、圧巻だ。
その中を歩いている最中、そっとウィリアム様の手が私の指を絡めとる。
すっかり慣れたその仕草に私が応えるように指を絡め返すと、ウィリアム様は嬉しそうにふんわりと笑った。
「リア」
ウィリアム様が口を開いたその時、
「ウィリアム‼︎」
聞き慣れた少女の声が唐突にウィリアム様を呼び止めた。
ウィリアム様は驚いたように振り向く。
「シャーロット嬢と…フィン?あと護衛の…」
現れたのはシャーロットと王太子と護衛のエドワードさんだった。シャーロットはにこにこと笑う。
「こんな所で会うなんて奇遇ね、ウィリアム‼︎」
「あ、ああ。まさか会うとは思わなかったよ。君たちは何故ここへ?」
ウィリアム様がそう言うとフィンレー王太子がコホンと咳払いをする。
「んんっ、あー…俺たち実は逢引きを…」
「あたしの研究のために一緒に来てもらったの‼︎こうして外部の植物を観察すると学ぶ所が多くて素晴らしいわ。…あら?フィンレー、何か言いかけていたかしら?被さってしまってごめんなさい」
「いや…いいんだ…」
シャーロットの言葉に王太子はがっくりと肩を落とす。
王太子はシャーロットを想っているようだが、その想いは全く彼女に伝わっていない様子である。
「いいんだ…まだ一年ある…まだ一年あるさ…」
ぶつぶつと呟くフィンレー王太子であったが、ふと彼は私たちの手元へ視線を向けた。
「あれ?手を…」
その時、ようやく私はウィリアム様と手を繋いでいたのだという事を思い出した。繋いでいた手を迅速に離し背中の後ろに隠す。
冷や汗をかきながら、私がどう弁明しようと思った時。
「いや、待ってくれ。大丈夫だ」
王太子は前髪を掻き上げると私たちを交互に見遣り、いやに爽やかな笑顔を浮かべた。
「うむうむ、大丈夫だ分かっている。俺は今全てを理解した」
そして王太子はウィリアム様の肩に手を置き、
「良かったなウィリアム」
と、これまたさっき以上に爽やかな笑顔で言い放った。その王太子の言葉にウィリアム様は
「いや、まだ僕たちはそういう関係では…」
と言いかけるが、フィンレー王太子は
「はっはっは‼︎恥ずかしがらないでいいさ」
とまるで取り合っていない。
私は彼らの気安いやり取りを見て、またしても胸を圧迫されるような感覚がした。
(…?)
それが何故だか分からず私は胸を押さえる。
もやもやとしたモノの原因が喉元まで出掛かっている気がして私は口を引き結んだ。
「そうだわ‼︎せっかく会ったのだもの、一緒にここを見てまわらない?きっと楽しいわ‼︎」
シャーロットの言葉にフィンレー王太子が急にあわあわとし始める。
しかし何を言うでもなく黙り込んだ王太子を見て、
(これはいつものメンバーでまわるパターンだな)
と私がウィリアム様の後ろへ下がろうとした時、
「シャーロット嬢、申し訳ないけど今日はリアと2人でいたいんだ。今度またどこかへ一緒に行こう」
というウィリアム様の言葉に私は動きを止めた。
「そうなのね。分かったわ、残念だけどまた今度どこかへ遊びにいきましょう」
シャーロットはそう言い、
「また学園でね、ウィリアム‼︎」
と手を振りながら踵を返す。
フィンレー王太子は急展開に目を見張っていたが、遠ざかっていくシャーロットの背中を追いかけていった。
「僕たちもコスモスを見てまわろうか。向こうのコスモス、特に美しそうだ」
ウィリアム様は何事もなかったかのように歩いて行こうとする。
「よろしかったのですか?せっかくご友人と会えたのに」
私が思わずそう問い掛けると、彼は足を止めた。
「確かに友人と過ごすのは好きだよ。でも…」
私の方を振り向き彼は微笑む。
「今は君との時間を大切にしたいから」
そう言って幸せそうに笑う彼。
その笑顔を見て私は気がついてしまった。
(ああ…私はウィリアム様の事を愛している)
そして思い出してしまった。
私が彼の側にいられる時間には限りがあるのだという事を。
祭りでウィリアム様が娘に告白されてから感じていた、胸の靄つき。
(あの時、既に私の中にはウィリアム様への恋情が育っていたんだ。ウィリアム様へ堂々と愛の告白をした彼女に嫉妬した)
そしてウィリアム様が誰かと話す度に増幅されていった悲しみにも似た胸の圧迫感。
(自分を偽らず、ウィリアム様と接する事が出来る彼らが私は羨ましかったんだ)
私は性別を偽っている。
ウィリアム様を守る為にその選択をした事を後悔はしていない。しかし…
ウィリアム様は女の"私"ではなく男の"ボク"だから愛を向けてくれたのではないかという疑念は私の胸に深く突き刺さっていた。
女であるか、男であるか。
恋愛をするにあたってそれは重要な要因になりうる。
私が性別を偽っていなかったのなら今の状況を…相思相愛になれた事を素直に喜べただろう。
もし仮に私がありのままの性別をさらけ出していたとして、その上で彼に愛されなかったのならそれはそれで諦めがついた。
ウィリアム様の恋情を受け止めるという事。
性別を偽っている時点で、私はその土俵に立ってすらいない。
(私が女であるという事を明らかにして、それをウィリアム様が受け入れてくださったら…)
そんな夢のような事を考える。しかし。
(もし女であると告白した瞬間にウィリアム様のその瞳から恋情が消えてしまったら?)
優しいウィリアム様の事だ。
よく言ってくれたね、と私の事を労り変わらぬ態度で接してくれるだろう。
でも、その瞳に愛はない。今まで向けてくれていた焦がれんばかりの愛おしさは消え去り、ただ義務感だけで私の相手をする。
それを考えるだけで、私の胸には鋭い痛みが走った。
それでは、男の"ボク"のままでウィリアム様の側に居続けるのは?
(そんなの、不可能だ。…前から分かっていた事じゃないか。男である"ボク"がウィリアム様の側にいられる時間は少ない)
私の身体は刻々と女らしく変化していっている。
周囲を騙し続けられるのも、もう長くないという確信があった。
ウィリアム様の事を愛していると自覚すると同時に、様々な疑念や現実が私の中に食い込んでくる。
「リア、思った通りこの辺りのコスモスは特に綺麗だよ」
一歩先を歩く彼の、花々よりも美しい笑顔に胸が締め付けられる。
私はぐっと手を握りしめて息を整えると、ウィリアム様の元へ一歩一歩近づいていった。




