【第四十九話】花曇りの歌劇場
「リア、今話題の舞台があるんだ。今度一緒に行ってくれないかな」
ウィリアム様にそう声をかけられたのは晴れやかな春の日の事だった。
「舞台ですか?もちろんご一緒させて頂きます」
ウィリアム様がそういった娯楽物を観覧すると仰ったのは初めてで、私はそれを珍しく思ったものの直ぐに首を縦に振った。
「それで、どちらにいらっしゃるご予定なのでしょう」
「王都の西にある歌劇場へ行こうと思っている。その話題になっている演目を演じているのは新進気鋭の劇団らしい」
話を詳しくお聞きしてみれば、それは最近学園内で噂になっている歌劇だった。大衆向けの歌劇場であるため、庶民に変装してその歌劇を見に行く事が学園の貴族子女の内でも密かな流行なのだとか。
「なるほど。それはウィリアム様がご興味を引かれるのも頷けますね。ウィリアム様が安心して観劇出来るよう、気を引き締めて護衛をさせて頂きます」
私がそう言いながら敬礼すると、ウィリアム様は僅かに目を見張った後に何とも言えない顔で笑った。
「あはは…当日が楽しみだね」
その表情に首を傾げながら、私は彼の言葉に頷いた。
薄日が差す花曇りの空の下。
私とウィリアム様は巷で噂の歌劇場の前にやってきていた。
ウィリアム様も今日は庶民らしい出立ちをなさっている。
昔、初めて庶民に扮して街へ出た時より様になっている、が…
(やはり平民というには所作が上品すぎる)
そんな事を考えながら私がウィリアム様の様子を見ていると、入場券の販売所が近づいてきた。
つつがなく入場券を購入し指定の席へ座る。
(周りに不審な動きをしている者は居ないな)
私が周囲の様子を確認していると、ふとウィリアム様が頬を赤くして口元を押さえている事に気がついた。
「ウィリアム様、頬が赤いですがお暑いのでしょうか。上着をお預かりしますか?」
怪訝に思った私がそう聞くと、ウィリアム様はちらりと私へと視線を向けた後、耳打ちをするように私の方へ口を寄せた。
その動作を見て私も彼へ頭を寄せる。
「大丈夫、リアとの逢瀬だと思ったら急に照れてしまっただけだよ」
彼の艶のある低い声が密やかに耳へ流れ込んだ。
「おっ…逢瀬…⁉︎」
弾かれたようにウィリアム様の方を向くと、彼は照れながらも幸せそうに笑っていた。
「ふふふ、今までも護衛騎士と護衛対象という関係上2人きりでいることは多かったけど、改めて今回の観劇は逢瀬なのだと意識すると照れてしまってね。…君は今回の事も護衛だと思っていたみたいだけど、一応これは逢瀬だから君も認識を改めてくれると嬉しいな」
そう言って彼は微笑む。
その笑顔を前にしながら、私は言葉を発しようとして口を開けては閉めを繰り返した。結局声すら出すこと叶わず唇を閉ざす。
そんな私をにこにこしながら見つめていたウィリアム様は暗くなっていく会場の照明に気が付き目を細めた。
「そろそろ始まるみたいだね。この演目は剣戟の演技に力を入れていて、殺陣では本職の武人たちを集めるような徹底振りみたいだからリアも楽しめるんじゃないかな」
そう言って彼は舞台へと正対する。
私もつられるように演者の方に顔を向け、やがてその演技に引き込まれていった。
「迫力のある舞台だったね。これは人気があるのも頷ける」
「本当にそうですね…いやもう、本当に…」
本当に、凄い舞台だった。
何が凄いかといえばやはり本職の武人を起用した殺陣。そして肉体派の演者達の迫真の剣戟。
その剣捌きは舞台のためにやや大振りになってはいたが、その鋭い身のこなしには観劇しながら思わず息を飲んでしまった。
(あの舞台中盤で登場した武人の足捌き、もう一度見られないだろうか。褐色の肌をした女性演者の重心移動も素晴らしかった…)
舞台での動きを思い起こす。
「リア…?何だか表情が真剣を通り越して殺気立っているけど大丈夫…?」
物思いに耽っていた私はウィリアム様の心配そうな声で我に返った。
「申し訳ございません、大丈夫です」
私が返事をすると彼はその顔に薄く笑みを浮かべる。
「よかった。しかし…もしかして、今回の舞台は気に入らなかったかな?」
彼の何処となく不安そうな瞳に私は慌てた。
「そんな‼︎素晴らしい舞台でした、筋書きも感動的で…」
誤解を解くべく血相を変えて弁明する。
私が必死に言葉を重ねていると、ウィリアム様はやがて堪えきれないようにふきだした。
「あはは‼︎リア、そんなに必死にならなくて大丈夫。君が舞台を楽しんだ事は十分伝わったよ」
彼は席から立ち上がる。
「さて、帰る前にこの辺りを散歩しようか」
そう言って微笑んだ。
歌劇場前こそ人で溢れていたが、一本路地を入るとそこはしんと静まり返っていた。
ウィリアム様と2人で閑静な街並みを歩く。
どれ程か歩いた時、ウィリアム様がその場に立ち止まった。
「ねぇ、リア」
彼は私にそう声をかけ言葉を途切れさせる。
私が振り返ると、彼はその顔に笑顔を乗せて私に手を差し出した。
「手を繋いで歩かない?」
私は怪訝な顔をしながら、その差し出された手を見てハッとする。
(手が、震えている)
小刻みに震えるその手はウィリアム様の不安を如実に表しているようだった。
(建物の裏で求愛された時も、図書館で頬に口付けをされた時も、よく考えれば私からの反応が無くても成立する一方的な行動ばかりだった。でも、今回は違う。手を繋ぐ事は私が応じなければ成立しない)
顔を上げてウィリアム様の表情を見る。
彼は顔に笑みを張り付けていたが、その瞳には怖れが見え隠れしていた。
(恐れているんだ。また私に拒絶される事を、彼は恐れている)
手が震える程の怖さを抱きながら、それでも私に気持ちを伝えようというその心。
そこまで考えた私は、思わず彼の手を取っていた。
その行動に連なる感情の元が、私が彼の従者であるからなのかそれとも他の何かからなのか分からなかったけれど、とにかく私は彼の手の震えを止めたかったのだ。
ウィリアム様は驚いたように瞠目し私を見詰める。
そして目元を綻ばせると、繋いだ手を強く握り返した。
私たちは誰もいない路地を歩いて行く。
彼の手の震えはもうおさまっていた。




