【第四十七話】手のひら
彼の言葉に、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
(そうか…私は現実のウィリアム様とシナリオの中のウィリアム様を混同していたんだ。彼はこの世界で紛れもなく生きているのに、私はその心をシナリオに当てはめて勝手に行動して…)
今まで見えていなかった自分の捉え方の歪さが明らかになる。
(『ここは現実世界、物語そのままに進む保証もない』と自分で考えておきながら『君と白薔薇』のウィリアム様の姿に囚われていた)
私は自分の認知の歪みを直視して、唇を噛み締めた。
(確かに、シナリオ通りに事が進む可能性を考慮してウィリアム様の死の運命を回避する為に動く必要はある。しかし生きている人々をシナリオの枠に押し込め、心の動きを決めつけるのは間違っていた。ましてやウィリアム様をこんなに傷つけるような真似をしてしまった事は反省してもしきれない)
私のせいで負の感情に塗れたウィリアム様の顔を見つめる。
(今からでも、彼の想いに真摯に向き合うべきだ)
何を話せばいいのか分からないまま、私は居ても立っても居られない気持ちになって口を開いた。
「ウィリアム様、申し訳ございません」
口を突いて出たのは謝罪の言葉だった。
私の謝罪を聞いて、ウィリアム様は自身を落ち着かせるように深呼吸をする。
そして次に私を見遣った時にはその顔から怒りの色は消え、ただ悲しみだけが瑠璃色の瞳に広がっていた。
「いや…僕の方こそ悪かったよ」
彼は私から顔を背けるように顔を伏せる。
「君の気持ちを考えていなかった。僕から恋情を向けられて気持ち悪かったよね」
「ウィリアム様から向けられた想いを気持ち悪く思う事などありえません‼︎」
私が叫ぶようにそう言えばウィリアム様は瞠目してこちらへ顔を向けた。
私は言葉を続ける。
「貴方に想いを打ち明けられて…ボクのような者は貴方に相応しくないと、ウィリアム様にはもっと良い相手がいらっしゃるはずだとそう思ったのです」
紛う事なき自分の気持ちを打ち明けると、それを聞いた彼はそんな事考えてもみなかったといった表情で言葉を返した。
「そんな…君は素晴らしい人だよ。苦しむ僕を何度も救ってくれた」
その返事に私は首を横に振る。
「ボクはただの平凡な人間です。貴方はボクが居なくても自分自身の力で自らを掬いあげていたでしょう」
そこまで言葉にした私は囁くように話を続けた。
「ボクの気持ちは非常に曖昧です。鮮烈な想いを向けられても同じだけの気持ちを返す事はできない。今ボクが貴方に抱いているのは恋情ではなく、親愛の心なのです」
自分のどっちつかずな心情を曝け出すのは勇気がいる事であったが、彼に向き合うには必要な事なのだと自分に言い聞かせながら私は自分の正直な心を表す。
ウィリアム様は私の言葉を反芻するように黙り込み、やがて徐にその口を開いた。
「それではリアは…君へ恋情を向けた僕に嫌悪感を抱いたという訳ではないのだね」
「そんなまさか‼︎」
私が即座に否定すると彼はほっとしたように息を吐いた。
「そうか…」
そう呟いて顔を緩めたのも束の間、彼はその形の整った眉を寄せる。
「しかし、君には逢瀬をするような仲の心を通わせた人がいる。決まった相手がいるのに僕から迫られてさぞ困っただろう」
苦しみの表情を浮かべて唇を引き結ぶウィリアム様に、私は首を傾げた。
「逢瀬をするような相手…?失礼ですが、何の事でしょうか」
彼はそれを聞いて自身の苦しみを増幅させるように一層眉を顰める。
「僕に気を使って誤魔化さなくていいんだよ。夏の終わりに、栗色の髪の女性と会っていたよね?」
「えっ」
私の記憶が晩夏まで巻き戻る。
(夏の終わり…栗色の髪の女性…?)
「あっ…⁉︎」
私の脳裏に服飾店街でポピーと店を巡った記憶が蘇った。
「ご、誤解です‼︎彼女は友人です、あれは逢瀬ではありません‼︎」
私が泡を食ってそう主張すれば、彼は驚いたように目を見開いた。
「ええっ⁉︎あんなに仲睦まじい様子で身を寄せ合っていたのに⁉︎」
「はい。おそらくショーウィンドウの中の同じ物に視線を向けていたのでそう見えたのでしょう」
私の言葉を聞いたウィリアム様は暫く呆気に取られたように立ち尽くす。
「僕の勘違いだったのか…」
そして彼は肩の力を抜くと、思案するように顎へ手を当てた。
「つまり君が僕の恋情の告白を拒絶した理由は…リアの自尊心が低いという事と、君の僕に対する気持ちが親愛であるという事に帰結するのであって、僕に拒否感があるからではないんだね?しかも心に決めた人も居ないと」
「そういう事になるのでしょうか…?いや、自尊心が低いというのは違う気が…事実ボクはウィリアム様に相応しくありませんから…」
ウィリアム様の導き出した結論に疑問を感じて私は首を捻るが、彼が私の手を掬い上げ手のひらに口付ける姿を見てそんな疑問は頭から吹っ飛んでいってしまった。
「…⁉︎…ウィリアム様、いったい何を⁉︎」
以前襲撃に遭った時にされた手の甲への口付けと、今された手のひらへの口付けは意味がまるで違う。手の甲への口付けは『敬意』を表すが、手のひらへの口付けの意味は『求愛』だ。
私が動揺するのを物ともせず、彼はゆっくりと私の手のひらから顔を上げた。
私を見つめる瞳にはもう迷いがない。
「僕はね、君に決まった人が居ると分かっても君を諦めきれなかったような男だよ。それが勘違いだと分かった上に、君が僕の告白を拒否した訳がそんな理由なのであれば…もう僕に君を諦める道理はない」
ウィリアム様は私の手を持ち上げ彼の頬を擦り寄せた。
「僕はこれから全力で君に求愛するよ。君の親愛が、恋情に変わるくらいに」
彼は決意に満ちた表情で私を見つめる。
「きっと君の心を射止めてみせるから」
そう宣言すると、ウィリアム様はもう一度私の手のひらに口付けを落とした。




