【第四十二話】洞穴
全身を打ちつけながら斜面を転がり落ちていく。
永遠にこの時間が続くのではないかと思うほどの感覚の後、私たちは地面に投げ出された。
「…う…ぁ……ッ…」
地面に叩きつけられた私は痛みに呻く。
一瞬意識が遠のきかけたが、腕の中にいるウィリアム様の安否を確認しなければと何とか自分の意識を繋ぎ止めた。
「…ッ、ウィリアム様、ご無事ですか‼︎」
私が彼にそう呼びかければ、彼は瞬きをしながら顔を上げた。
「…何とか無事だよ。君が庇ってくれたお陰だ」
応答する彼の声にひとまず安堵する。
私は痛む身体をいたわりながらその場に立ち上がると、ウィリアム様に向けて手を差し出した。
「ウィリアム様、御手を。…立つ事は出来そうですか?」
もしかしたら骨折や怪我などをしている可能性があるかもしれないと不安に思いながら声を掛けるが、ウィリアム様は私の手を取って難なく立ち上がった。
2人して今しがた落ちてきた崖を見上げる。
「随分な高さを滑落したみたいだね。2人とも大怪我をしていないのが不思議なくらいだ」
「そうですね。せいぜい打撲や擦り傷程度で、生命維持に支障があるような怪我が無いのは何よりです」
「本当にその通りだね。さて…」
ウィリアム様は辺りを見渡し、もう一度崖の上を見上げて溜息をつくと私の方へ顔を向けた。
「本来なら皆んなの元へ戻る為の道を模索するべきなのだと思うけれど、もう陽が傾いている事を考えると日没までに元の場所に戻る事は難しいだろう。夜に視界が無いまま行動するのは危険だ。陽が沈みきらないうちに安全に夜を越す事が出来るような所を探したいと思うけど、リアはそれでいいかな?」
彼の考えに対して異論はない。
私が彼の意見に頷くと、彼は頷き返した。
「よし、それでは辺りを探そうか。実習の資料に添付されていたこの山の地図には、この辺りに洞穴が描いてあった筈だ。確かこちらの方向に…」
ぶつぶつと呟きながら森に入っていくウィリアム様。
私は周囲の野生動物に警戒しながら、彼に従って歩き出した。
なんと、ウィリアム様の記憶通りの場所に洞穴はあった。
私が彼を称賛すると、彼は
「記憶の中の地図が正確で良かったよ」
と照れ気味に微笑む。
森に囲まれた小さな洞穴は、腰ほどまでしかない入り口をぽっかりとあけていた。
中を覗き込めば、人が4人程しゃがみ込むといっぱいになるほどの広さだった。入ると意外にも暖かい。
「ウィリアム様は奥で就寝してください。こんな状況では眠れないかもしれませんが、少しでも体力を温存しましょう」
そう言いながら、私は洞穴の入り口で槍を抱き込むように座った。
「リアは?」
洞穴の奥から私へ向かって怪訝そうな声をかけるウィリアム様へ振り向き、微笑みかける。
「ボクは入り口で見張りをしています。何かあったら起こしますから、安心してください」
それを聞いたウィリアム様は少しの間沈黙したのちにもぞもぞと入り口の近くにやってきた。
洞穴の入り口から差し込んだ月明かりが彼の身体を照らす。
そして彼は私の横へ座り、私にぴとりと身体をくっつけた。
「ウィリアム様…?」
彼の不可解な行動に疑問を投げかける。
私へ顔を向けて、彼は柔らかい笑みを浮かべた。
「洞穴の奥は比較的暖かいが、入り口は冷えるだろう。こうして身体の熱を分け合えば寒くないよ」
そう言って微笑む彼。
その体温に、学生寮前での彼の声が脳裏に蘇った。
『僕以外の元へ行かないでくれ、君の事を愛しているんだ…‼︎』
真剣な愛の告白。
紛れもなく私へ向けられた、『愛している』という言葉。
あの時の彼と今隣にいる彼の姿が重なって、俄に頬が熱くなる。
(この非常事態に一体何を考えているんだ)
自分をそう戒めるが頬の熱は引かず、私は思わず顔を下へ伏せた。
「…そんな反応をされると、勘違いしてしまいそうになる」
頭上から聞こえてきた小さな呟き。
私がその言葉を頭の中で咀嚼する前に、横から伸びてきた手が私の顎をふわりと掬い上げた。
差し込む月明かりの下で目と目が合う。揺れる瑠璃色の瞳が私を見つめた。
「僕の恋情は許されないものだと思っていた。君のためを思うなら諦めなければいけない、そんな想いだと」
顎を掬い上げていた手が顔の輪郭を滑り、私の頬を撫でる。
「でもそんな顔を見ると、まだ僕にも希望があるのではないかと考えてしまう。…ねぇ、リア。僕には…少しの望みも無いのかな」
彼の濡羽音色の髪が微かな風にそよいだ。




