【第四十話】実習
うっすらとした日差しがカーテン越しに差し込む早朝。
寝不足でぼんやりとした頭に浮かぶのは、昨日のウィリアム様の切実な声音だった。
(何度思い返しても全く現実味がない。ウィリアム様は何故あんな事を…?)
ベッドから起き上がりながら、私は『昨日の学生寮前での出来事は全て夢だったのではないか』と思い始めていた。
(疲れていて夢と現実の区別がつかなくなり見た幻覚に違いない)
そんな事を考えながらカーテンを開ける。
朝の鍛錬を開始しようと槍に手を伸ばした時、騎士制服の腰あたりへ刻まれた僅かな皺が目に入った。
その皺は紛れもなく昨日の出来事が夢ではない事を示しており、私はその皺を凝視したまま暫く動く事が出来なかった。
(あれは親愛の意をウィリアム様なりに示してくれた故の言葉だったという線はないか?)
そんな可能性も考える。しかしそれにしては言動が唐突だしあまりにも声音が切実過ぎた。
考えれば考えるほど『ウィリアム様に愛の告白をされた』という事実は揺るぎなくなっていき、私の頭は混迷していく。
どんな顔をしてウィリアム様に会えばいいのか分からないうちに刻々と時間は過ぎる。そしてあっという間に彼を迎えに行く時間になってしまったが、私の頭を悩ませていた問題は案外呆気なく解決した。
私に向かって朝の挨拶をしたウィリアム様はまるで昨日の事などなかったかのように振る舞い、私が昨日の出来事について口にする機会は訪れなかったのである。
完璧なまでにいつも通りの態度を取る我が主君。
私はその態度に戸惑いつつも一方で安堵していた。
(いきなりの事で私の頭の整理も追いついていない。ウィリアム様があの出来事を無かったことにするようお望みならその通りにしよう)
かくして、私はウィリアム様の振る舞いに乗じて何事も無かったかのようなふりをした。
その選択が後々深い後悔を招くことを知らずに。
「山岳植生調査実習についての資料を配ります。手元に届いたらまず頁抜けがないか確認するように」
残暑はあるものの幾分か過ごしやすい気温になってきた秋。
ウィリアム様含む3年次に突入した者たちは、3学年へ上がってすぐに実施される山岳植生調査実習についての説明を植物学の教授から受けていた。
この実習は使用人の同伴が許可されている為、私もウィリアム様の横で話を教授の話を聞いている。
「山岳植生調査実習は、植生調査のための正しい知識を身につける事が目的の実習です。自身の領地へ戻った際に植生について把握する事ができる技量は大変重要となってきます。それらは領地運営や土地利用を適切に行う能力に直結するからです」
教授が真面目な顔をして資料を整えながらそう言う。
「また、上に立つ者はいかなる状況であっても生き延びなければなりません。上に立つ者が亡くなり政が崩壊すれば多くの民が露頭に迷うことになるのです。『どんな状況でも生き残ること』、その訓練の一環として皆さんには実習の間、自身の力で生活をして頂きます」
それを聞いてざわざわと騒めく学生たちを一瞥すると、教授は軽く教壇を叩いて沈黙を促した。
「静粛に願います。…説明にあたり、まず資料の5頁目を………」
教授の詳細な説明が続き、講堂にはまた静けさが戻る。
資料の説明をする教授の声だけが講堂内に響いていた。
「あー…やっと終わった…。危険が伴う実習だから仕方がないとはいえ、さすがに説明が長すぎる」
フィンレー王太子がぐったりした様子でベンチに凭れかかると、シャーロットがくすくすと笑った。
「あら、そうかしら。確かに盛りだくさんなお話ではあったけれど、あたしは聞いていてワクワクしちゃったわ。わざわざ山に出向いて植生調査が出来るなんて素敵‼︎」
「シャーロット、それは君が植物学の研究をしている人だからじゃないかな。あの話の長さには僕もさすがに疲れてしまったよ…」
ウィリアム様が苦笑する。
フィンレー王太子もウィリアム様の言葉に頷いた。
「心から同意する…。まぁ、でも山で生き延びる術を学ぶっていうのは楽しみだ。何というか夢があるだろ、そういうのって」
「うーん…夢があるかどうかは分からないけど、民のためにどんな状況でも生き延びる必要があるという話には感銘を受けたな。上に立つ者としては頑張って生き残る術を習得したい所だよね」
「そういうのじゃない…ウィルの言っていることは凄く正しいんだが、そういうのじゃないんだよなぁ…」
がっくりと肩を落としたフィンレー王太子に、ウィリアム様はきょとんとした顔で首を傾げた。
首を傾げたまま、きょろりと視線を動かしたウィリアム様と目が合う。
ウィリアム様は私の目を見つめると微笑みを浮かべた。
(あの事は忘れて、以前のように…いつも通り…)
私は表情筋を動かし、ぎこちない笑みで彼に微笑み返した。




