【第三十五話】強くなるために
夜、自室で書物を読んでいた私は、一際大きく響いた鳥の鳴き声に頁を捲る手を止める。
手元に置いたカンテラの灯りを時計に向かって掲げると、時計の針は深夜をまわっていた。
知らず知らずのうちに眉間に寄っていた皺を揉み解しながら本を閉じる。
手に持っていた本を部屋の隅にある書物の山の上に置いて、私は寝る支度を始めた。
ウィリアム様の精神と肉体を守る決意をした私が、強くなるためにまず最初にしたこと。
それは学園の図書館へ訪れることだった。
この国の叡智の結晶とも言われるルーク王立学園の図書館には様々な書籍が集められている。
私はその中でも兵法などの戦術に関する書籍や、武術についての本、人体解剖学などを記した本を借りて読み漁った。
私は今まで戦闘において、論理的に動きを計算して戦うという事が無かった。
騎士団での訓練は良くも悪くも直感的で、『とにかくやられる前に倒せ』という指導の元、勘と気力で鍛錬を受けてきた。
しかし学園の図書館で借りてきた本を見ていると、今までの私の戦い方はいかに無駄が多かったかという事を痛感する。
人体の急所、そしてそれを的確に狙う力、効果的な戦法、囲まれた時の対処法。それらを自らの血肉にするべく頭に叩き込む。
また学園卒業後、もし反王族派と戦うことになった際に必要になるであろう兵の率い方や陣の組み方までも、夜になる度に私はじっくりと学んでいった。
次に私がした事は、他の武人の身のこなしを観察する事だった。
貴族が集うこの学園には、護衛任務に就いている騎士たちが闊歩している。授業時間中などは特に彼らの鍛錬の様子が観察できる機会があった。
自分で編み出した戦い方だけではなく、そこに他人から吸収した身のこなしを組み合わせる事でより良い動きを獲得しようと考えたのである。
例えば、フィンレー王太子の護衛騎士であるエドワードさん。彼は恵まれた体格と筋力で他を圧倒する戦い方をするが、それだけではない。
観察した結果、彼は重心の移動を調節する術を駆使する事によって爆発的なパワーを発揮しているという事が分かった。
私はその動きを知識として吸収し、噛み砕き、自分の体に合った動きに変える事により、自身の体重を利用して瞬間的に多大なダメージを対象へ与える術を体得した。
そうやって他の武人の力を自分の力に変える事で、私は少しずつ、しかし着実に戦う術を増やしていった。
そして、最後に。
私は自身の得物である『槍』をより生かした戦い方を模索し始めた。
騎士見習い時代、私が槍を得物に選んだ理由は2つ。1つ目は、槍ならばもし私の身長が伸び悩んでもその分のリーチを補ってくれるため。2つ目は、力勝負になっても遠心力を上手く味方にすれば押し勝つ事が出来るため。
確かに、その2つは槍の利点ではある。
しかしそれだけで本当に槍の良さを引き出していたと言えるだろうか。
槍は持ち手である『柄』と刃の部分の『穂』から成り、其々を生かした戦い方が出来る。
私が使っている槍は直槍。装飾や枝刃が無いため刺突に適した槍だ。
『穂』の重みを生かした刺突や薙ぎ払い、『柄』を生かした絞技など、出来る事は多岐に渡る。
傷が癒えてきた私は、今日までの槍の扱い方を一から見直し何度も試行した。
槍の重心が滑らかに移動するよう、槍が身体の一部のように動くまで幾度も、何度でも。
身体の傷が癒えてきた頃、植物園が見える場所で鍛錬を行っていた私は、植物園に見慣れた人物を見かけた。
春の陽を浴びて黄金色に光る髪を靡かせながら植物園を歩くフィンレー王太子。彼は白詰草の群生の前で足を止める。
どうやら植物を観察する授業のようで、彼はしゃがみ込んでペンと紙を取り出すと白詰草をスケッチし始めた。
(植物園での観察…白詰草をスケッチする王太子…別クラスとの合同授業…。確か、この後…)
私が鍛錬の手を止めてフィンレー王太子を眺めていると、私の予想通り1人の少女が王太子の元やってきた。
赤茶けた髪の少女…シャーロットは、フィンレー王太子の横で同じくしゃがみ込み彼に話しかける。
彼らは暫く話をしていたが、フィンレー王太子が唐突に白詰草の花を一輪摘んだ。
その白い花をシャーロットの耳の横の髪にさす。赤茶けた髪と白い花との対比が美しい。
シャーロットは少しの間きょとんとしたが、やがて彼女は小麦色で薄くそばかすのあるその顔を花のように綻ばせた。
(私という異物は混じりこんでいるが、物語は概ねシナリオ通りに進んでいるように思える。しかし、この世界線では件の貴族令息や襲撃者たちを殺害した強大な力を持った組織が存在している…どこまでがシナリオ通りで、どこからがシナリオと違っているのか…)
私は平和にフィンレー王太子とシャーロットが笑い合う、"シナリオ通り"のその光景を暫く黙って眺め続けていた。




