【第三十四話】後の出来事
その後、私は学園に併設された病院へ運ばれた。
肋骨にひびが入っており内臓もいくらか損傷していたものの、取り返しがつかない程の怪我でなかった事は不幸中の幸いと言えるだろう。
しかし怪我の具合よりも、私にはのっぴきならない問題があった。
私の担当医師は診察が終わった後、処置をする前に病室の人払いをした。
ウィリアム様は最後まで私のそばから離れる事を躊躇していたが、医師からの「治療のためです」という言葉に不承不承部屋から立ち去った。
「さて」
小柄で太り気味の、不健康そうな顔色をしたその医師は私の方を振り返る。
「骨折寸前ですし、内臓も損傷している。今の状態だとかなり痛いと思うので話は処置をしながらしましょう」
医師はツカツカと私に近づくと、薬を片手に私の服をめくり上げた。
肌が赤黒く変色し、所々切り傷がある胴体が空気に晒される。
医師は患部へ薬を塗布しながら淡々とした口調で事実確認をした。
「アナタ、女性ですね?」
その言葉を聞き、私は口を閉ざした。
(ああ、そうだよね。人体の構造を熟知している医師だもの、診察した時点で性別くらい分かるよね。でも…ここで私が女性だと分かってしまったら、ウィリアム様を守るという私の望みは…)
私が絶望的な気持ちになりながら黙っていると、医師はその不健康そうな色の顔を患部へと向けたまま再び口を開く。
「アナタにも事情があるのでしょうが、性別に関してはきちんと答えてもらわないと困ります。性別によって処方する薬の種類や量が多少違うので」
薬を塗り込む手を止めて彼は私と顔を合わせる。
「何のために人払いをしたと思っているんです。看護師が用事で帰ってくる前に早く答えて下さい。こっちだって服を剥ぎ取ってまで性別を確認したくないんですよ」
平坦な口調でそう述べる医師に、私は恐る恐る言葉を発した。
「…ボクの性別の事を告発しないんですか?」
「それをして、ワタシに何の得があるんです?」
呆れたようにそう言いながら彼は違う薬の瓶を取り出した。
「ほら、早く答えて下さい。次の薬が塗れないでしょう」
彼のあくまで事務的な様子に私は思わず答えてしまう。
「女性です…」
「よろしい」
彼は瓶の蓋を開けると新しい薬を塗布し始めた。
ぺたぺたと薬を塗る音だけが部屋に響く。そして医師は薬を塗り終わると丁寧に包帯を巻いた。
処置が終わった後に片付けをしながら彼は口を開く。
「アナタの性別は口外しません。患者のプライバシーに関わる問題なので。でも、そうですね…」
医師はこちらへ眼差しを向けた。
「性別の事を隠していると、まともに医者へかかれないでしょう。もし体調不良で困った時はワタシの所に来るといい。ワタシは薬の調合や毒物の対応が専門の医者なので、場合によってはお役に立てるか分かりませんが」
私はその言葉に目を瞬かせる。
「ワタシの名前はローガン・ターナー。国立病院のターナーと言えば話が通じるでしょう」
会ったばかりの人間から施された温もりのある言葉。その確かな親切に、じんわりとした暖かい気持ちが私の胸の底に広がった。
「…ありがとうございます、ターナー医師」
私は痛む身体を押さえつつ、深く頭を下げた。
治療から数日が経過した。
「何を読んでいるの?」
陽だまりの中のベンチで本の頁をめくっていると、横で同じく本を読んでいたウィリアム様が声をかけてきた。
怪我をして以降、まだ本調子でない私に負担をかけまいとしてかウィリアム様はこうしてベンチに座り読書をする事が増えた。
最初はベンチの横に立っていた私だが、ウィリアム様から横に座るようお願いされてからは共に座るようになり、
「リアも何か本を読んだらどうかな」
と言う更なる提案から今のスタイルになった。
私は本から視線を上げるとウィリアム様の瞳を見遣る。光に照らされたウィリアム様の瑠璃色の瞳は、無数の魚が跳ねる海のように煌めいていた。
「兵法の本ですよ」
「兵法の?」
怪訝そうなウィリアム様に向かって微笑みかける。
「どんなものでも、勉強するにこしたことはありませんから」
私の言葉を聞いてウィリアム様が口を開きかけた、その時。
「失礼致します」
近くにやってきた学園の衛兵が声をかけてきた。
「ムーア公爵卿、護衛騎士のフローレス様。学園長がお呼びです。学園長室までおいで下さい」
連れ立って学園長室にやってくると、部屋には学園長と見知らぬ屈強そうな壮年の男性が待っていた。
「来たようじゃな。まぁ、まずは椅子におかけなさい」
穏やかながらも威厳のある口調でそう言う学園長は、白く長い顎髭を撫でる。
彼はウィリアム様が椅子へ腰掛け、私がその横へ待機したのを見て目を細めた。
「護衛騎士くん。きみは怪我をしているのだから座るべきじゃ。常ならば主人の元へ待機するのが正解だが、今は怪我人じゃ。座ることを許可する」
学園長はそう言うとウィリアム様の横にある椅子に着席を促す。
私がその椅子に座ったのを待ち彼は口を開いた。
「2人に来てもらったのは他でもない。そこの護衛騎士…フローレスくんの襲撃を企てた者たちについての話じゃ」
学園長が壮年の男性へ目配せをすれば、屈強そうなその人は厳つい顔をこちらへ向ける。
「自分は王都の騎士団長をしているトーマスだ。今回の事件についての話をする為にやってきた」
トーマス騎士団長は手元から資料と思しき紙束を取り出した。
「さっそくだが今回の事件についての概要を話そう。5人の貴族令息たちが17人の外部の者たちを学園内に招き入れ、機会を見計らってムーア公爵卿付きの護衛騎士を襲った。被害者であるリア・フローレスは反撃し、9人の襲撃者を戦闘不能に。…うむ、読めば読むほど是非うちの騎士団に欲しい人材だ」
感心したように唸ったトーマス騎士団長にウィリアム様が静かに口を開く。
「リアは僕の騎士ですのでそれは無理です。それよりお話の続きは?」
「おお、申し訳ない」
騎士団長はウィリアム様に謝罪すると話を続けた。
「その後リア・フローレスは殴る蹴るなどの暴行を受け、肋骨がヒビ割れ内臓も損傷。また、今回の事件以前にも何回か不審者たちがムーア公爵卿を襲っていたという事件があり、それらも今回主犯の貴族令息たちと襲撃者によるものだというのが王都騎士団の見解だ。騎士フローレス、事実関係に間違いはないか?」
「はい、間違いございません」
私が首を縦に振ると、トーマス騎士団長は頷いた。
「うむ。…実は今回2人にわざわざ事実確認しにきたのはある事情からなのだ」
「ある事情?」
ウィリアム様が怪訝そうに聞き返すと、騎士団長は重々しくまた頷く。
トーマス騎士団長は学園長の方を振り向き
「本当にこの2人へ事実を伝えてもいいのですね?精神的なショックを受ける可能性がありますが…」
と問い掛けた。
「事態は深刻じゃ。やむを得んでしょう」
学園長が苦々しい顔でそう言うと、厳しい顔をした騎士団長はずいっと身体を私たちの方へ寄せ、声を顰めた。
「今朝方、主犯と思われる公爵令息5名と襲撃者たち17名が牢内で骸となって発見された」
その言葉に私とウィリアム様は息を飲んだ。
「死因は咽頭切断による失血。犯人は未だ見つかっていない。今回の事件の犯人たち22名全員を亡き者にした上で逃げ果せたという手際の鮮やかさから、犯人は複数人でありしかも騎士団内部にも手引きした者がいると考えられている」
そこまで話し彼は身体を後ろへ引いた。
「死人に口なし、もはや今回の犯人から話を聞く事は出来ない。だから事件について少しでも詳しい話を聞くために訪れたという訳なのだよ。話を聞かせてくれるな?」
否と言う雰囲気でもなく、私とウィリアム様は是と答える。
学園長室には重苦しい雰囲気が漂っていた。
学園長室からの帰り道、私は襲撃された時に貴族令息たちが言っていた言葉について思い出していた。
『貴様が悪いんだ、ムーア公爵卿のまわりを貴様が纏わりつくから、我らが推薦した護衛騎士を公爵卿が取り立ててくださらない‼︎』
『ムーア公爵卿は素晴らしい方だ。周りに侍るのはそれに相応しい人間でなければならない‼︎貴様のような奴はムーア公爵卿に相応しくないのだ‼︎』
私は単にそれを、ウィリアム様へ迫る事を妨害した私への敵意だと思っていた。
しかし…
『今朝方、主犯と思われる公爵令息5名と襲撃者たち17名が牢内で骸となって発見された』
『死因は咽頭切断による失血。犯人は未だ見つかっていない。今回の事件の犯人たち22名全員を亡き者にした上で逃げ果せたという手際の鮮やかさから、犯人は複数人でありしかも騎士団内部にも手引きした者がいると考えられている』
先程のトーマス騎士団長の言葉が頭をよぎる。
(捕まってしまい口を割りそうになったから口封じに殺害された…?つまり、今回の主犯である貴族令息たちを影で糸引いていた者がいる…?)
歩きながらその可能性について考え込む。
(だとしたら一体どこの誰が糸を引いていたというんだ。騎士団内部に内通者を潜り込ませられるような権力者…?)
「リア」
私の考えはウィリアム様の声かけによって中断される。
「はい、ウィリアム様」
私がそう応えると、彼はこちらを心配そうに見つめていた。
「怪我の方は大丈夫?治療したとは言ってもまだ痛むのだろう。それにこの所、ショッキングな事が続いているし…その…」
言葉に詰まりながら私を労ろうとするウィリアム様に、私は笑みを浮かべる。
「大丈夫です‼︎ほら、この通り‼︎」
「わっ⁉︎」
私は身体のバネを使ってウィリアム様を抱え上げた。その途端、肋骨に痛みが走り私は地面に座り込む。
「うわぁ⁉︎…もう、リア‼︎無茶しないでよ、僕を安心させようとしてかえって怪我が悪化したらどうするの‼︎」
「申し訳ございません…」
垂れ気味の目の端を釣り上げて私を叱るウィリアム様に、私はしゅんと下を向く。
そんな私たちの姿を太陽だけが見つめていた。




