【第三十三話】生きる覚悟
もう少しで拳が私に叩きつけられるという、その瞬間。
鼓膜を揺らす、凄まじい轟音が教室内に響き渡る。
それと同時に教室の扉と思しき物体が吹っ飛んできて、私の目の前に立っていた輩に勢いよく打ち当たった。
「ぎゃあッ⁉︎」
私に向かって拳を振り下ろそうとしていた輩は叫び声を上げてその場に倒れ込む。
薄暗い教室にまばゆい光が差し込み、私は眩しさに目を細めた。
埃が舞う中、光を背にして入り口に立っていたのは片脚を振り抜いた状態のエドワードさんだった。
(まさか…鍵ごと扉を蹴破ったのか…?)
信じられない思いで入口の方を見遣っていると、学園の衛兵たちが一気に教室へ雪崩れ込んでくる。
教室の中にいた者たちが次々と捕縛されていく渦中で、教室の端にいた貴族令息の内の1人が喚き叫んだ。
「どういう事だ⁉︎何故学園の衛兵が…⁉︎」
私を拘束していた者たちも、衛兵から逃れようとして私から乱暴に手を離す。
もはや自重を支えられない程に損傷を負っていた私の身体は重力に従って崩れ落ちていった。
そんな中、私に向かってくる人影があった。
その人影は脇目もふらずまるで弾丸のように私の元へやってくると、倒れ伏す寸前の私の身体を受け止めた。
私の事を抱え上げたその人は慎重な手つきで私を床に横たえる。
私は覚束ない眼差しで、その人の瑠璃色の瞳を見上げた。
「ウィ、リアム、さ、ま」
まわらない口で言葉を紡げば胃から迫り上がってきた血反吐が口の端から溢れ落ちる。
「無理してしゃべらないで。すぐに医師が来てくれるからね」
彼のその口振りは不自然なほど穏やかで、私を安心させようと無理矢理に自らの心を静めようとしているのは明らかだった。事実、隠しきれない感情が彼の顔から滲み出ている。
「な、ぜ」
少ない言葉だったが、私が何を言いたいか察したのだろう。私の手を掬い上げながら彼は口を開く。
「国語学の教授とお話している最中、歴史学の教授がそこに訪れたんだ。歴史学の教授は僕を呼んだ覚えなど無いと仰っていた。それでもしやと思って学園内にあるひと気の無い場所を探したんだよ。…君が見つかって良かった。本当に、良かった」
そう言うと彼は私の手を握り込んだ。
彼の言葉を聞きつつも、私の頭の中には自分自身への問答がぐるぐるとまわり続けていた。
(守っているつもりだったのに、逆にウィリアム様に守られてしまった。私のせいでウィリアム様が危険に晒されていた。そして、物語の異物は…私だった)
「は、はは」
自分があまりに滑稽で乾いた笑いが漏れる。
「貴方をお守、りするのが騎士の、務、め、なのに、逆に守られていては貴方の騎、士失格です、ね」
思わず口から言葉が溢れる。
ウィリアム様は一瞬目を見開いた後にその顔を歪ませた。
「そんな…」
彼は握った私の手を彼の顔の側に寄せる。
「そんな、『貴方の騎士失格』だなんて悲しい事、言わないでくれ…‼︎」
悲痛な表情で私を見つめるその瞳は、嵐の海のように波立っていた。
「君は…『貴方以外の主君はいらない』と以前僕に言ってくれたよね。僕にとってもそうだ。この先僕の部下が増えたって、僕の親愛なる騎士は君だけだ…君だけなんだ…‼︎」
彼は私の手をより一層強く握り込む。
「君は僕にとって掛け替えの無い大切な人だよ」
彼は祈るように目を瞑ると私の手の甲へ口付けた。
私は彼の激しい感情の発露を目の当たりにして、
ウィリアム様の中の私の存在が思ったよりずっと大きくなっていた事に驚き目を見張った。
(こんなにも私の事を大事に思って下さっていたなんて)
それを実感すると同時に私は自らの心の弱さを自覚した。
(弱気になっている場合ではない。…こうなってしまっては私がもし物語の中の異物だとしても、もう後には引けない)
自分が持っていた甘えを叱咤するように唇を噛み締める。
(今まではウィリアム様を守るためなら最悪自分はどうなっても良いと…例えこの身を呈しても構わないと思っていた)
ウィリアム様の顔を見て私は目を瞬かせた。
(でも、それではもう駄目なんだ。ウィリアム様の中に私の存在が深く入り込んでしまった以上、私が死んでしまうという事がどれだけウィリアム様の精神に傷を負わせる事になるか分からない。ウィリアム様の心を損なわせないためにも私は何としてでも生きる必要がある)
その為には強くあらねばならない。
身体も、心も、頭脳も。
(守る。今より強くなって、ウィリアム様の身体も、ウィリアム様の心も、守りきるんだ)
その時、廊下の方から騒々しい足音が近付いて来た。
「リア、医師が来たよ‼︎」
入り口を伺ったウィリアム様が私に告げる。
激情を押さえ付けて私に対し元気付けるように精一杯笑いかけるウィリアム様を見つめながら、私は新たに覚悟を決めたのだった。




