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【第三十二話】騙し打ち



「ムーア公爵卿、よろしいでしょうか」


学園内の廊下を移動していると、使用人然とした男がウィリアム様に声をかけてきた。


「ん?何かな?」


ウィリアム様が立ち止まる。


「歴史学の教授がお呼びです。なんでも、お渡ししたいものがあるとか。本来であれば我が主がお伝えする予定だったのですが、急用の為にわたくしめが言い付かりました。よろしければわたくしめが教授の場所までお連れ致します」


そう話すと男は丁寧にお辞儀をした。


「そうなのだね、伝えてくれてありがとう。でも困ったな。僕はこれから国語学の教授に用があって…」


ウィリアム様が困ったような顔をする横で、一緒にいたフィンレー王太子とシャーロットがウィリアム様の影からひょこりと顔を覗かせる。


「後で伺う訳にはいかないのかしら」


シャーロットが男にそう問うと、男は曖昧な笑みを浮かべた。


「それが…このあと教授にはご用事があるようで、その前に来て頂きたいと。ムーア公爵卿ご本人でなくとも良いとのお話でしたので、そちらの護衛騎士の方がいらっしゃるのはいかがでしょうか」


そのように話す男に、ウィリアム様は戸惑った顔をする。

私は男の言葉に難色を示した。


「ウィリアム様の守りが手薄になるのはいただけません。その懸念が無ければ、あとはウィリアム様の御心次第ですが…」


私がそう言うとフィンレー王太子が口を開いた。


「護衛の事だったらエドワードがいる。エドワードは優秀な騎士だから王太子付きになったんだ。少しの間くらい俺たち3人を守るのなんて訳無いさ」


フィンレー王太子がそう言ってにかっと笑う。

ウィリアム様は迷っていたが、少しの間を経て私の方を向いた。


「やっぱり教授からのお話を無視する訳にはいかないよね…。リア、そこにいる彼と一緒に歴史学の教授の元へ行ってくれないかな?」


その言葉を受けて私はちらりとエドワードさんの方を伺う。

エドワードさんが私に向かって微かに首を縦に振るのを見て、私はウィリアム様に頷いた。


「仰せ付かりました」


(国語学の教授の研究室は目と鼻の先だ。それに人が多いこの往来でウィリアム様が襲われる可能性は低いだろう)

私がそんな事を考えていると、私たちのやりとりを見ていた男が近寄ってくる。


「それではご案内致します」


男の顔には笑みが浮かんでいた。























「…こちらは歴史学の研究室の方向ではないのでは?」


「教授の渡したいものがこちらにあるそうです。もうすぐ着きますよ」


私は男の進む方向に疑問を抱き尋ねるが、男はそんな私の疑念などどこ吹く風といったふうに廊下を進んでいく。

ひと気のない一角まで来ると、男はとある教室の前で立ち止まった。


「こちらです」


扉を開けてすたすたと中へ入っていく男の後に続き、私も教室へ入る。

(暗いな…)

私が教室の様子に引っ掛かりを覚えるのと、背後の扉が閉まり施錠される音がするのは同時だった。






私が驚くのも束の間、唐突に明かりが灯る。

教室の中には布で顔を隠した人影が十数人も蠢いており、彼らは明かりがつくが早いか一斉に襲いかかってきた。

考えるより早く攻撃を受け止める。

(しまった、嵌められた…‼︎)

私は見知らぬ男についてきてしまった事を軽率であったと後悔する。

(学園内なら安全だと過信してしまっていた。私をウィリアム様から引き離して何をするつもりだ?早くウィリアム様の元へ合流してお守りしなければ…‼︎)

私が臍を噛んでいる間にも次から次へと襲いかかってくる襲撃者たち。

私は敵の打撃を槍でいなしながら突破口がないか辺りを見渡した。






この教室は半地下にあるらしく、窓が異様に高い場所にある。脚立でもないと手が届かないだろう。

入ってきた出入り口は完全に施錠されている。内側から開かないかどうか確かめたいところだが、十数人もの武器を持った人間たちが出口を塞ぐように立ち回っているので近づくのは難しい。






そうこうしているうちに私は教室の隅に追いやられていた。いくら倒しても起き上がってくる襲撃者たちを見て腹を括る。

私は敵の1人の脛に槍の柄を当てると、手を敵の脚の裏側に添えて思い切り捻った。


「ぐぉッ、あがァァ⁉︎⁉︎」


骨が折れる嫌な感触と共に敵が崩れ落ちる。

(出来ればやりたくなかったが、一人一人物理的に戦闘不能にしていくしかない)

仲間が倒れて動揺しているらしき襲撃者たちに、私は改めて槍を構えると飛び掛かっていった。





















どれだけの時間が経過したのだろう。

ほんの少しの時間しか経っていないような気もするし、気が遠くなるほど長い時間が経ったような気もする。

攻撃をかわしながら何人かの輩を戦闘不能にしたがやはり多勢に無勢、いくつもの手に手足を掴まれ動けなくなった所を後ろから羽交い締めにされた。

私は敵に思い切り腹を殴られ胃液を吐き散らかす。


数えきれない程の殴打が全身に降り注ぐ。






吐き出す胃液に血が混じり始めた頃、突如青年のものらしい笑い声が響き渡った。場にそぐわない拍手の音と軽快な足音が近づいてくる。

私に殴りかかっていた輩が私の前を退く。

笑いながら私の目の前に現れたのは数人の貴族令息たちだった。


「あっはっはっは‼︎実に無様だな‼︎」


令息のうちの1人が愉しげに嗤う。


「この部屋に待機していた手勢の半数以上を倒した時には驚いたが、何の事はない。今晒している無様な姿が結果の全てだ‼︎」


私はそう言って嘲る貴族令息たちを見据えると血の味がする唾液を飲み込んで口を開いた。


「…何が望みだ。ウィリアム様は無事なのか」


私が発した言葉に令息たちはきょとんとした顔をして、やがて堪えきれないように噴き出す。


「はははははは‼︎『ウィリアム様は無事なのか』だと‼︎誰かこいつに教えてやりたまえよ、狙われていたのはムーア公爵卿じゃなくて貴様自身だってな‼︎」


「何…?」


呆気に取られていると、貴族令息たちは尚も嗤った。


「ムーア公爵卿の外出時、貴様が一緒の時に公爵卿が怪我をする事によって『主人を守りきれなかった騎士』として貴様を失墜させようとしたが、手下の不手際でそれは叶わなかった。だから今回強硬手段に出たというワケだ‼︎貴様が悪いんだ、ムーア公爵卿のまわりを貴様が纏わりつくから、我らが推薦した護衛騎士を公爵卿が取り立ててくださらない‼︎」


貴族令息の1人が私の横腹を蹴りつける。


「ムーア公爵卿は素晴らしい方だ。周りに侍るのはそれに相応しい人間でなければならない‼︎貴様のような奴はムーア公爵卿に相応しくないのだ‼︎」


そう言って令息は私の頬を張る。

衝突音と同時に私の頭は平手打ちされた方向へと大きく傾いだ。

目の前の令息は私の髪を鷲掴み引っ張り上げると、愉快そうな顔をしながら私と目を合わせた。


「はは、心配するな、殺しまではしないさ。…貴様に良い事を教えてやろう。事が終わった後、貴様はこの薬を飲む事になる」


令息は赤紫色の液体が入った瓶を取り出し、にやりと笑みを浮かべる。


「この薬は数時間の記憶を曖昧にする薬だ。貴様は我らのことは愚か、この教室に入った事すらも忘れる。貴様は護衛騎士の任を遂行出来ない程の傷を知らぬ内に負い、護衛騎士の座を追われるのだ。ははは‼︎」


貴族令息たちは嗤いながら私から離れていく。


「我々はそこの椅子で見物させてもらうよ。貴様の身体が壊れていく様をな」


令息たちが教室の一角に向かっていくと、布で顔を隠した者たちが私を再び囲い込む。


私は貴族令息たちを焦点の合わない目で追いながら呆然としていた。

(彼らは私を排除する為にウィリアム様へ怪我を負わせようとしていた…。私はウィリアム様を守ろうとしていたけれど、逆に私のせいでウィリアム様が危険に晒されていた…?)

クラクラする頭は混乱していて思考がまとまらない。

(シナリオが違っていたのは私が居たから…?物語の異物は私なのか…?見落としていたのはシナリオにおける私の存在そのものだった…?私は…)

目の前に立っている輩が私に向かって拳を振り上げた。逆光に照らされたその拳は鮮明に私の網膜へ焼き付く。




スローモーションのように拳が振り下ろされるのを、私はただぼんやりと見つめていた。






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