【第二十八話】星空
汗が流れる灼熱の昼間から一転、幾分か涼しい風が吹く夏の夜。私は街灯が燈る道を歩きながら学生寮へと向かっていた。
昼間、「夜に行きたいところがある。同行してくれないか?」とウィリアム様に言われたためだ。
ウィリアム様とシャーロットとフィンレー王太子は春先につつがなく各研究室への配属が決まり、時は1学年の終わりへと差し掛かっていた。
学生寮へ到着し立派な設えの門に近づくと、私は門番に声をかける。
「失礼致します、ムーア公爵卿であるウィリアム・ムーア様付きのフローレスと申します。ウィリアム様に取り次いで頂けますか」
それを聞いた門番は愛想良く笑みを浮かべながら
「身分証のご提示をお願いします」
とこちらへ手を差し出した。
私は胸元の衣嚢から身分証を取り出し門番に渡す。
身分証にサッと目を通した門番は私にそれを返却すると頷いた。
「確かに確認致しました。ムーア公爵卿でしたら、先程から門の内側でお待ちになっていらっしゃいますよ。係のものがお声がけして参りますので少々お待ちください」
そう言うが早いか、門番の後ろにいた衛兵が門の奥に姿を消す。
程なくして奥からウィリアム様が歩いてきた。
「リア、わざわざ夜に来てもらって悪いね」
私に声をかけながら微笑むウィリアム様に向かって首を横に振る。
「いえ、気になさらないで下さい。主君に頼って頂けるのは騎士の誉れです。それより…ウィリアム様、外でボクのことを待っていらっしゃったのですか?そんな事をなさらずともよろしかったのに…」
私がそう言うとウィリアム様は穏やかに笑みを浮かべた。
「部屋にいるより外にいた方が風がある分いくらか涼しい。それに門の内側にいた方が少しでも早く会えるだろう?」
にこにこと笑うウィリアム様にそれ以上言い募る言葉もなく、私は黙って頷く。
「ここで立ち話するのもなんだし、そろそろ行こうか。着いてきて」
歩き出したウィリアム様を見て、私もその背中を追って歩みを進めた。
坂道を何度も登る。
何度目かの坂道を通って奥まった茂みにやってきた時、ウィリアム様はようやく足を止めた。
「確かこの向こうのはず…」
そう呟きつつ茂みの間に見える獣道から向こうを確認する。獣道は入り組んでいて、先を見通すことは出来ない。
敵が潜んでいても迎撃出来なさそうな狭さに私は警戒を強めたが、ウィリアム様はカンテラを掲げて迷いなく獣道を進んでいった。
長いような短いような狭い道を抜けた。パッとひらけた視界に私は目を瞬かせる。
そこはどうやら崖の上のようだった。
ウィリアム様は奥へ歩いて行き、崖から辺りをぐるりと見渡した。
「話には聞いていたけれど、確かにこれは見事だな。…リア、来てごらん」
ウィリアム様の言葉に、私も崖の縁に近づく。
崖の下には家々の光が無数に続いていた。見渡す限り、地平線の向こうまで星を撒いたかのように輝く光の群。そして空には本物の星々がその姿を誇示するかのように煌めいている。
月はとうに沈み、星と家々の光だけが瞬く空間。
それは自分がまるで星々の間を遊泳しているかのような錯覚を起こさせた。
暫く目の前の光景に魅入っていた私は、
「…素敵な景色だね」
というウィリアム様の声で我に返った。
「クラスメイトに教えてもらったんだ。王都でもとっておきの場所だと言っていた」
彼はこちらを向いて微笑む。
「君と一緒に見たかったんだ」
その幸せそうな笑顔に、私は何も言えなくなった。
シャーロットでもなくフィンレー王太子でもなく、『ボク』と。
この『ボク』と、とっておきの景色が見たかったのだとウィリアム様は言う。
ウィリアム様の中へ、自分の存在が思いの外深く入り込んでいた事に私は動揺した。
『ボク』は長くウィリアム様の側にいる事が出来ない。歳を重ねるごとに性別を偽る事が難しくなっているのを私は確かに実感していた。
ウィリアム様を守りきった後、いつか私は自らの意思で彼の側を離れる時が来るだろう。
その時に『ボク』がウィリアム様の元を離れることで彼の心の傷になるのは困る。そう、困るのだ。
ウィリアム様の中の『ボク』の存在がどれだけの大きさになっているのかをはかりかねて私は思案した。
(私はただの騎士。ウィリアム様にとって使用人のうちの1人に過ぎない。情の深いウィリアム様の事だ、一介の騎士である私にも他の使用人と同様に思い入れを持って下さっているのだろう。そうに違いない)
私はそう自分を納得させようとした。
(しかし…万が一ウィリアム様が私に他の使用人より深い愛着を持って下さっているとしたら?そんな可能性、考えてもみなかった。私はただウィリアム様が幸せに生きる事が出来ればと考えるばかりで、私がいなくなった後のことを想定していなかった。ウィリアム様を悲しませたくない。私はどうすればいい?どうすれば…)
答えが出せないまま、私は暗闇の中の輝きを見つめた。
目の前のまたたきは私の頭の中など関係なくただきらきらと煌めき続けていた。




