【第二十六話】彼女の話
シャーロットを囲んでいた貴族たちがそそくさと去った後、彼らの去り際をじっと見つめていた彼女は不意にウィリアム様を振り返った。
「ムーア公爵卿、護衛騎士様、ありがとうございました。あたし1人だったらきっと今頃無事では済まなかった」
そう言って、彼女は笑みを浮かべる。
「まぁ、今回の事は犬に噛まれたと思って忘れる事にするわ。あ〜あ、今日のお昼は何にしようかしら‼︎」
「…シャーロット嬢。僕に気を遣っているのなら、僕は今すぐここからいなくなる。だからそんな、無理矢理に笑顔を作らないで」
シャーロットの声を遮る様にウィリアム様が言葉を発すると、彼女は動揺する様に身体を震わせた。
「な、にを言っているの。あたし、無理なんてしていません。全くそんな…」
言い募ろうとするシャーロットの笑顔の仮面にひびが入る。
そんな彼女を見つめ、ウィリアム様は静かに語りかけた。
「君は強い人だ、シャーロット嬢。大人数で囲まれても動じる事なく自らの尊厳を守った」
彼の落ち着いた声が言葉と共に紡がれる。
「でも、どんな人だって自分より力のある人間に囲まれて害意を向けられたら恐怖を感じるものなんだよ。…怖かっただろう」
その言葉に、シャーロットの貼り付けられた脆い笑顔が剥がれ落ちた。
「…怖かった」
身体から沸き出る感情を堪える様に手を握りしめる。
「無事じゃ済まないかもしれないって思うと怖くてたまらなかった。でも、それよりも」
歯を噛み締めながら彼女は絞り出す様に呟く。
「母さんを侮辱された事の方が、何倍も悔しかったわ…‼︎」
そう言って彼女は顔に悔しさを滲ませた。
「これがスモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ。こっちはベーコンとポテトとほうれん草のキッシュ。飲み物はコーヒーだけど…良かった、まだ温かいみたいだ」
「わぁ‼︎美味しそうだわ‼︎」
取り皿を用意しながら私はシャーロットの様子を盗み見る。
昼食休憩も半ばを過ぎ、彼女の昼食の調達が間に合わないのではと危惧したウィリアム様は彼女を昼食に誘った。
先程まで感情を揺らしていたシャーロットはキラキラした目で昼食の入った籠を覗き込んでいる。
ウィリアム様の好物であるサーモンを彼へ多めに渡すべく、彼の取り皿にサンドイッチを多く取り分けて皿を差し出すと、ウィリアム様は相好を崩した。
「ありがとう、リア」
ウィリアム様がそう言って取り皿を受け取るのを見届けて、私はシャーロットにコーヒーが入ったカップを手渡す。
「ありがとうございます‼︎ええっと…」
彼女が言い淀むのを見て、口を開く。
「リア・フローレスと申します」
私が名乗ると彼女は向日葵の様な笑顔を浮かべた。
「フローレス様と仰るのね‼︎」
「ボクは貴方と同じ平民の出身です。様はいりませんよ」
そう断りを入れれば、彼女は逡巡した後に
「ではフローレスさんと呼ぶわ‼︎」
と笑顔を深くした。
「あたしの男親は酷い人だった。怒鳴ったり、殴ったり蹴ったりが毎日耐えなくてあたしと母さんは傷だらけだった。あんな奴、父とも呼びたくない。あたしたちは元々田舎の地方に住んでいたけれど、男親から姿を隠すために母さんはあたしを連れて王都の端に逃げてきたの」
仄かに温かいコーヒーを啜り一息つくと、彼女はぽつぽつと語り始めた。
「母さんは王都で働き口を探したけれど小さい子ども連れを雇ってくれる職場は見つからなかったわ。お金は男親が握っていて殆ど持ち出せなかったし、生活費はすぐに底をついてしまった。仕方なく行政に頼ってもすげなく追い返されて途方に暮れた時、母さんがやっと見つけた働き口が娼婦だった」
彼女の静かな語り口に、ウィリアム様は無言で耳を傾ける。
「早朝に帰ってくる母さんの首に赤黒い手形の痣がついていることもあったし、真っ青な顔で震えながら帰ってきた事もあった。生活はかつかつだったけれど、母さんは『働く暇があるなら教会に行って勉強を習いなさい。将来絶対に役に立つから』と言ってあたしを教会に行かせ続けたの」
「その言葉、並大抵の覚悟ではなかっただろう。立派な母君だったんだね」
ウィリアム様の言葉にシャーロットは頷く。
「あたし、死に物狂いで勉強したわ。動物たちの力を借りながら植物の研究をした時に、その研究の有用性が認められてこの学園から特待生として入学しないかと打診が来た。卒業後の仕事の斡旋もするという触れ込みで」
静かな校舎裏の空気にシャーロットの声が溶けていく。
「あたしは踊り上がって喜んだわ。母さんもその知らせを聞いてとっても喜んでくれた。…あたしは今まで守られてばかりだった。この学園で絶対に力をつけて、母さんを心や身体が傷つくような仕事から解放するの」
そう言いながらシャーロットはキッシュを頬張る。
もぐもぐと口に含んだ彼女は、
「やっぱりこのキッシュ美味しいわ‼︎」
と頬を緩ませた。
ウィリアム様は難しい顔で考え込む。
「貧困に追い込まれた人々への安全網が機能していないという話を聞いていたけれどそれ程までとは…。これは国としても各領地としても取り組まなければならない問題だ」
そう呟くと、彼は真剣な顔でシャーロットへ向き直った。
「シャーロット嬢、話してくれてありがとう」
ウィリアム様がそう言うと、キッシュを幸せそうに咀嚼していた彼女はあわあわと焦りだした。
「そ、そんな‼︎あたしが勝手に話しただけで、むしろ聞いてもらってお礼を言うのはこちらというか…」
ウィリアム様はきょとんとすると、彼女の慌てぶりに可笑しくなったのかくすくすと笑った。
「そんなに改まらなくていいよ。同じ学友だろう?君が良ければこれからは友人として仲良くして欲しいな」
「ええっ⁉︎ムーア公爵卿と友達なんて恐れ多いわ‼︎…っと、恐れ多い、です」
一層挙動不審になるシャーロットを見て、ウィリアム様は益々愉快そうに笑みを溢す。
「ムーア公爵卿なんて他人行儀な呼び方は辞めてよ。ウィリアムと呼んで」
「いや、それは流石にフローレスさんも認めないんじゃないかしら、なんて…」
救いを求めるようにシャーロットはこちらを伺ったが、
「ウィリアム様の思し召しのままに」
と私が言うとシャーロットは頭を抱えてしまった。
暫く彼女は
「あー…」
だか
「うー…」
だか呻いていたが、がばっと身体を起こすと
「いいわ、学友同士仲良くしましょ‼︎実はあたしもウィリアムと話がしてみたかったの‼︎」
と言ってその顔に笑みを浮かべた。
私は横からその情景を見ながら
(やはりこうなったか)
と考えていた。
私はこの展開を"知っている"。
一部の過激派貴族に囲まれたシャーロットの凛とした姿に感銘を受け、ウィリアム様はシャーロットと昼食を共にする。
シャーロットの生い立ちを聞いたウィリアム様は彼女の決意に胸を打たれ、今回の事件はウィリアム様がシャーロットへ恋をするきっかけとなるのだ。
私はコーヒーを飲みながら、楽しげにシャーロットと話すウィリアム様へと視線を向けた。
…今のウィリアム様の胸の内にはシャーロットへの淡い恋心が育っている事だろう。
しかし物語通りに進めばシャーロットはフィンレー王太子と結ばれる。ウィリアム様の恋は叶う事がないのだ。
(ウィリアム様には幸せになって頂きたい。しかし、シャーロットとフィンレー王太子の仲を引き裂くような真似をするのも…)
そんな事を考えていた私は、ウィリアム様とシャーロットの心配そうな声かけで我に返り慌てて笑顔を作った。




