【第二十四話】学園での日常
薄く空が白み始める頃。
私は鍛錬を中断すると手巾で流れる汗を拭った。
(そろそろ時間か)
得物である槍を仕舞って自室へ戻る。
自室内の奥にあるドアを開けると簡素なシャワー室が私を出迎えた。
(使用人寮の個室にシャワー室が備え付けられていて本当に良かった。共同風呂しかなかったら途方に暮れていた所だ)
そう考えながら軽くシャワーを浴びて汗を洗い落とす。
濡れた体の水分を拭き取り、騎士制服に着替える頃には眩い陽光が窓から差し込んでいた。
装備や服装を確認し食堂へ向かうと、まだ人が疎らな食堂の一角で浅黒い肌をした男性が黙々とベーコンエッグを食しているのを発見した。
「エドワードさん、おはようございます」
朝食をのせたトレーを持ったまま挨拶をすれば王太子の護衛騎士である彼は無言でこちらへ向かって会釈をする。そのまま私は彼の横を通り過ぎ、窓際の席に座った。
今日の朝食のメニューは野菜がたっぷり入ったミネストローネに、胡椒がきいたベーコンエッグ、焼きたてのバゲッド。寒くなってきたこの季節の朝において湯気が立つほどあたたかな料理はありがたい。
味わいながら、それでいて速やかに咀嚼する。
私は朝食を食べ終えると、お礼と共に食器を返却してウィリアム様が待つ学生寮へと向かった。
学園が始まってから1ヶ月。
今日も1日が始まる。
この学園は1日の予定を大きく分けると2つに分類する事ができる。
一つは礼儀作法や舞踏、近隣の国々や各領地の特色、領地経営、計算に語学や歴史など、貴族としての教養を養う『午前の部』。
もう一つは自身が特に深めたい学問を各研究室に所属しながら研究する『午後の部』だ。
もっとも、新入生のこの時期は研究室の決定がまだ成されていない為、午後の部の時間は任意の研究室へ見学に行くのが通例だ。そして入学から半年経った春先に新入生は自分の所属する研究室を決定する。
現在は午前の部の時間。
授業中、使用人は主人に付き従う事ができない為、私はウィリアム様が勉学に勤しんでいる教室の近くで騎士制服が汚れない程度の鍛錬を熟していた。
陽に照らされて緩んできた空気の中、庭園での訓練の合間にウィリアム様がいる教室の方を見遣る。授業は丁度小休憩になったばかりのようで、ウィリアム様が教科書を持って教師に何事かを質問しているらしい様子が窓越しに僅かに見えた。いつも穏やかなその横顔が楽しげに笑みを浮かべている。
(いつも1人で勉学に励まれていたから、他の人間と勉学についての話が出来る今の環境が喜ばしいのだろう。ウィリアム様が嬉しそうでなによりだ)
そう考えて、私は思わず口元が緩んだ。
「おっ、シャーロット嬢もこの研究室に?」
午後の部が始まる直前。
ウィリアム様と連れ立って研究室の見学にやってきたフィンレー王太子は、研究室前の廊下で赤茶けた髪の少女を見つけにこやかに声をかけた。
シャーロットは私たちの方へ意識を向けると慣れない様子ながらも丁寧な跪礼をする。
「王太子殿下にムーア公爵卿、そして護衛騎士の方々、こんにちは。あたしはこの隣の研究室に用があるんです」
その姿を見てウィリアム様は感心したように顎に手をやった。
「…この1ヶ月で礼儀作法をここまで習得するなんて驚いたな。幼少期から礼儀作法を学んでいる貴族でもたまに間違える事があるのに、君の作法は手順が完璧だ」
「公爵卿にそう言葉掛けされるなんて、頑張った甲斐があったわ。これでもいつ間違えるかひやひやしているんです」
シャーロットは嬉しげに笑みを浮かべる。
そんな彼女の後ろから、シャーロットのクラスメイトたちが彼女に向かって呼びかけた。
少女は薄くそばかすのある顔に喜色をのせクラスメイトたちに返事をすると、フィンレー王太子とウィリアム様に向かってもう一度跪礼をした。
「それでは、人が待っているので失礼します」
そう言い残して彼女はクラスメイトたちの元へ足早に歩いていった。
フィンレー王太子は彼女の去っていく背中を眺めながらウィリアム様に話しかける。
「シャーロット嬢はクラスメイトたちと仲が良いよな。最初は礼儀作法も拙かったが今では随分上達したし。平民ということもあり入学当初は貴族たちから遠巻きにされていたものの、今や男女問わず慕われている」
その言葉にウィリアム様も頷いた。
「きっと彼女の人柄ゆえだろうね。同じクラスではないからこうして授業の合間に顔を合わせる程度だけど、その短いやり取りだけでも彼女の気質のあたたかさや人に対する敬いの気持ちが伝わってくる。…要注意人物として注視しなければならないとはいえ、彼女を疑い続けるのは良心を咎めるよ」
ウィリアム様がそう言って溜息をつくと、フィンレー王太子が肯定するように唸った。
「…フィン、そろそろ午後の部が始まる。今日見学する研究室に入らないと」
「そうだな。行こう」
王太子とウィリアム様は頷き合うと、研究室のドアから中へ入っていった。




