終 : 花言葉
◆ ◇ ◆
雲一つなく突き抜ける青空に、一筋の蒸気雲が伸びていた。
それは初めのうちは真っ直ぐに天へ白線を引き、次第に蛇行し、高度を落とし、やがて地上へと繋がっていた。
荒野を吹き渡ってきた乾いた風が、不時着した〈レスロー号〉を撫でる。
サラサラと砂の巻き上がる音に混じって、大地を蹴るのは複数の足音。
「――サイハーっ! サイハぁーっ!!」
ロングコートに赤髪のポニーテールを揺らして、エーミールの声が荒野に響く。
「サイハ氏ーっ! どちらにいらっしゃるのですぞーっ! ケロロォーン!!」
喉袋をぷくりと膨らませ、シルクハットを被ったカエルがゲコゲコ鳴いている。
「サイハーっ! お義兄ちゃーんっ! 返事してーっ!!」
コルセットスカートを穿いたお腹へ一杯に息を吸い込んで、メナリィが義兄の名を呼ぶ。
「ゴルァッ! サイハァッ! いねェなら『いねェ』ッて返事しやがれボケェ! ア゛ァ?!」
そしてケンカ腰で無茶なことを言って憚らないのは、銀髪赤目の暴力女、リゼットである。
〈レスロー号〉に乗って崩れゆく露天鉱床からの脱出に成功してからこの方、一同はサイハを探して方々を走り回っていた。
〈鉱脈都市レスロー〉南端地域である〈PDマテリアル〉本社から、更に南へ向かって〈レスロー号〉は飛翔したため、荒野から街へ戻ってくるだけで一苦労。それから行き先も告げずに消えてしまったサイハが、何食わぬ顔で現れないかとしばらく待ったが、彼は帰ってこなかった。
〝あのサイハがくたばるわけがない〟――そんな想いも、時間が経つにつれて不安に変わっていって。
「……どこ行ったんだよ、馬鹿ぁー!」
特にエーミールにそれが顕著で、もう目元を拭いながらでなければ捜索を続けられないでいた。涙声になって叫ぶ彼女を、ヤーギルが健気に励ましている。
「リゼットさん、お義兄ちゃんのこと探せないんですか……? こう、びびびーって」
大渓谷の前にまでやってきたところで、メナリィがリゼットに問うた。
リゼットは思わず「ハ? ンだよ〝ビビビッ〟て」と突っ込み返しそうになったが、メナリィが眉をハの字に下げて不安そうにしているものだから、返答に困る〈粉砕公〉である。
「……ウ、ウッシ……こうなりャダメもとだ……!」
サイハとのバディで仕様外の二段階変形までやってみせたリゼットである。「もしかしてアタシ、そーいうコトもデキたりすンじャね?」と、両のこめかみへ指を当てて真顔で〝ビビビ〟とやってみる。
「…………ハッ! アッチの気がするゼ!」
何か閃きが走った気がして、リゼットがビシリと東を指差した。
ちょうどそのとき。
「――……おぉーい! みなさーん!!」
遠くから、細くて高い、少年の声が聞こえた。
声のしたほうへ視線を向けると、大渓谷の向こう岸、その崖際で両腕を振っているヨシューの姿があった。
よく見ると、ヨシューはミニスカメイド衣装のままクマ社長に肩車されている。
「あれ! あれ見てくださぁい!」
そしてヨシューがしきりに、西の空を指し示した。
サイハを探して終始足元ばかりを見ていた一同が、促されて同時に顔を上げる。
次の瞬間……
「――――――――――――――――――――――わ」
と、全員が、思わず息を呑んでいた。
絶景だった。
大空に、天の青を背景にして、鮮やかな桃色の帯が浮かび上がっていた。
まるで、染めたてのレースを風に舞い上がらせたような。
まるで、蒼穹に滑らかな筆を走らせたような。
それはそれは美しい、優しい色合いの帯が、上昇気流に乗ってレスローの空を彩っていたのである。
「……きれえ……」
目的も忘れて、その幻想的な光景に見入ったメナリィの口からポツリ。言葉が零れる。
「スッゲ……ナンッだコレ…………ヘ、ヘ……ヘッブシッ!」
唖然となって口を半開きにしていたリゼットが、急に豪快なくしゃみを放って飛び上がる。
「! ケロンッ。……エーミール殿、これは……?」
桃色の風が吹き抜けたのに合わせ、ピョンッと跳び上がったヤーギルが何かを掴む。
「? 何だろう……見たことないけれど……」
エーミールが顎に手をやり、じっと観察する。
そしてふわりと、〝それ〟を両手に包み込んで。
「これは……何かの〝花〟……かな……?」
それは桃色の綿毛をもこもこと生やした、花弁とも種子ともつかない植物の一部だった。
皆が首を傾げていると、何を思ったか、リゼットが突然走りだした。
「! リゼットさーん、どこ行っちゃうんですかー?」
「どこッて! ヤローのトコに決まッてンだろッ!!」
呼び止めようと声をかけたメナリィを走りながら振り返り、リゼットが息を弾ませる。
「サイハだ! あのバカがこーゆーオカシなことに巻き込まれないワケがねェゼ!」
それだけ言い残して、リゼットは無数の桃色が吹き上がる上昇気流の根元目指して走ってゆく。
それは何の根拠もない主張だったが、疑う者は誰一人としていなかった。
ただ、こくりと頷き合う。
エーミールも、
ヤーギルも、
メナリィも、
一斉にリゼットの後を追う。
大渓谷の彼岸では、ヨシューとクマ社長も同じ方角へ走りだしていた。
「サイハ!」
「サイハ氏ー!」
「お義兄ちゃーん!」
「サイハさーん!」
「サイハよーい!」
プァァーン! と、汽笛の音色も鳴り響く。
皆が彼の名を、今日一番の大声で呼んでいた。
ロマンを夢見た、その男の名を――
◆
――世界の果てを、見に行くと。
それはあの出逢いの日、地の底で彼が語った言葉。
今度は、その言葉を一番近くで聞いていたリゼットが――――彼方まで、呼び返す。
「――サイハァ! 果ての果てまで、連れてけヨ! アタシの操者ァーッ!」
◆
「――…………ああ……」
困り顔で、呟く声があった。
「そんなに大声で呼ばなくたって、聞こえてるっつの……」
近づいてくる、仲間たちの声を聞きながら。
サイハもまた、皆と同じ絶景を見上げていた。
……慰霊区の大地に倒れたままのサイハを、奈落の穴が呑み込むことはなかった。
その大穴は慰霊碑とジェッツだけを呑み込んで、今はその深奥から、桃色に染まる綿花を風に乗せていた。
地下の、ずっとずっと奥深く。
超硬質の大深度〈鬼泥岩層〉にすら、その細くか弱い根を、しっかりと張って。
陽の差すことのない暗黒世界に息づいていたその植物の名は、〈コカゲサカズ〉。
十年前、大切なものをすべて失ったジェッツが、それまでの己を殺すためにこの場へと投げ捨てた、恋人の花。
日食と同じ周期で数時間だけ咲く、雑草の見た目からは想像もつかない、強く美しい花だった。
「よぉ、ジェッツ……こいつを見てないなんて言うなよ? この世の眺めじゃないぐらいに、綺麗だぞ……」
まるで天上の世界にまで届きそうな桃色の道に向かって、サイハが語りかけた。
ジェッツの遺体が、奈落の底から引き上げられることはないだろう。
十年前の事故の犠牲者たちとともに、やがてこの場は新たな慰霊公園として再建されるだろう。
けれど、不思議とサイハにはわかる。はっきりと。
深い深いこの大穴の向こうで、あの男は大切な人との再会を果たしたはずだと。
その枯れ果てた瞳と心に、静かに溢れて流れるものがあったはずだと。
なぜならば、ここは鉱脈都市――
人の想いに応えてくれる、神秘の石が集まる場所だから。
「こんなに強く想ったんだ……奇跡の一つや二つ、〈霊石〉が運んでくれないわけがないだろ……」
サイハの頬を、花弁がそっと撫でて飛んでゆく。
想いを乗せて、世界の果てまで飛んでゆく。
すぅー……と、サイハは、胸いっぱいに、息を吸い込んだ。
「――……見てろよぉ! 俺も! 必ず! その果ての向こうを、見に行くからなぁ!」
……世界を渡り飛ぶ、〈コカゲサカズ〉の花。
それは飛行機乗りの間では、旅の幸運を祝福する花と言われている。
その花言葉は、〝良い旅になりますように〟。
それから、もう一つ……
――ね? 私、言ったじゃない。可愛くて綺麗なお花が咲くのよって。
――ああ、そういや……そんなことも言ってたっけな。
――何よそれ、私の言ったこと、信じてなかったくせに。
――花とか、よくわかんねんだよ、俺。…………あぁそうだ、言い忘れてた。
――なぁに?
――……。……ただいま。ただいま、マリン…………やっと、君のいる家に、帰ってこれた。
――……ふふっ! はい、おかえりなさい……ジェッツ。
〈コカゲサカズ〉の、もう一つの花言葉は……
―――――――――――〝あなたの帰りを、待っています〟―――――――――――
おしまい




