8-7 : そこに道がある限り
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プァァアアアーンッ!!
耳を劈く汽笛に、ジェッツは顔を顰めていた。
「ちっ……うるさいぞ、レスロー……そいつは命乞いのつもりか?」
異形と化した〈蟻塚〉に、己の心の形を見いだしたジェッツは、もう取り繕うこともしなかった。
自分が生まれ育った故郷であり、恋人を奪った忌むべき土地でもある〈鉱脈都市レスロー〉への、黒い感情を燃え上がらせる。
ドーンッッ!!
ドーンッッ!!
ドーンッッ!!
ドーンッッ!!
ビル巨人が大地を打ち叩く轟音が、汽笛の音色を消し潰す。
「残り、二百秒……。それで全部終わる……全部、ただの荒野に戻るんだ。それを拝むのはこの俺一人だけでいい……そこまでやって初めて! 俺は世界を綺麗だと! 賞賛してやろう!!」
ジェッツを駆り立てる、黒い炎。
それは燃えれば燃えるほどに、熱を失う冷たい業火。
修羅はとうに、人であることを辞めている。
なればこそ、大深度〈鬼泥岩層〉、地の底に蓋をする地獄の門が口を開けるその瞬間に、人など在ってはならぬと修羅は言う。
その先に、たとえ――
「――その先に、たとえ何もないのだとしても! 俺は俺を止められない! サイハ! お前ならわかるよなぁ!? 俺たちみたいな男を突き動かすのは! 結局はこんな単純なこと! ここで脈打っていやがる、得体の知れない衝動だ! ハははハはっッ!!」
左胸を叩いたジェッツに呼応したビル巨人が、四対の組んだ拳を同時に振り上げる。
全体の骨格までを弓反らせて、いっぱいに。
サイハの逃げ込んだ坑道。その直上の地表は既に、地割れを生じて隆起している。
次の一撃でもって、その場は完全に崩壊するだろう。
サイハとリゼットを、何千トンもの岩の下敷きにして。
感情の爆発したジェッツの魔的な表情から、その瞬間、すっと熱が引いた。
「……。……詰みだな、サイハ……――あばよ」
ゴオォォォォオオッッッッ……………………!!!!!!!!
巨人の腕が弧を描く。
ただそれだけのことが、見る者を畏怖させる。
あまりに巨大。
あまりに強大。
あまりに、狂的。
現実感のない、白昼夢のような一瞬。
それを経て――
ドッッッッ…………………………と。
視界が揺れた。
音ではなく、衝撃が骨の芯を震わせる。
決定的な落盤が起きたという確信。
岩盤の隙間から噴き出した黒煙は、サイハたちのいた坑道が完全にひしゃげた証しだった。
「サイハぁぁぁぁぁあああああーっっっ!!!!」
聞こえたのは、遥か眼下で女たちが上げた残響。
ジェッツが葉巻入れを取り出した。
蓋を開ける。
残りは一本。
口に咥えて、火を点ける。
深く息を吸い込むと、ジリジリと葉巻の先端で火の粉が踊った。
肺に満ちた紫煙が血流に乗り、中毒物質をぶちまける。身体が熱を帯び、一時の陶酔の後、意識が澄み渡るいつもの感覚を得た。
「……。…………。……………………………………ふぅーっ……………………」
〝手こずらせてくれた礼だ、手向けにでもくれてやる〟――と、顔を上げたジェッツが煙を吐き出した。
無風のなかを、紫煙が真っ直ぐ、天へと昇ってゆく。
そこへ、一陣の風が吹き……。
「…………」
ジェッツはしばし、そのままの姿勢、そのままの表情で固まっていた。
「……………………」
数秒後、ジェッツは目を見開いた。
「……………………っ…………………………」
ジェッツが、咥えた葉巻を噛み潰す。
火が点いていることも忘れ、ぐしゃりと握り締めていた。
◆
「――……よぉ……すげぇよな……人間のド根性ってやつは……」
天に、再び。
「ハハッ、こンなモンでもッかい飛ぼうなンて、バカだよナァ、ほンとテメェは」
チンピラ男と、暴力女の声。
亡霊のそれではなく、それは確かな肉声で。
それは天にヒラヒラと舞う、小さな影。
〈レスロー号〉よりも、ずっと小さくて頼りない。
それはダブルベッドほどの大きさに帆を広げた、凧のように見えた。
大剣の、〝刃の殻〟。
それを限界まで展開させたもの。
横坑が潰れる間際、地中へ届いたレスローの汽笛。
サイハがそれに導かれた先、〈霊石〉の光で照らした先にあったのは、地表間近まで掘り上げられた縦坑だった。
そして、サイハがその足元に見いだしたのは――大量の火薬を詰め込んだ木箱であった。
どこにも繋がっていなかった坑道。
その正体は果たして、十年前までこの一帯を所有していた鉱夫組合、〈クチナワ鉱業〉の遺構。
未使用の、発破用の横坑だった。
火薬の爆風と、落盤で吹き上がった気流を銀の帆に受け。
薄い岩盤をかち砕き。
〈レスロー号〉の翼さえ借りることなく、サイハとリゼットは再び空高く舞い上がったのである。
◆
「――〝死に損ない〟ってのは、お前のためにある言葉だな……」
握り潰した葉巻の火で掌を火傷させながら、ジェッツが呟いた。
口調こそ穏やかだったが、その瞳にはこれまでよりも更に鋭い修羅の眼光。
「何度、俺を見下せば気がすむ、お前は……。天に一番近い所に手を伸ばすのは……あの太陽と日食をものにするのは……このジェッツだと、何度言わせれば……」
静かに握り締められる黒鉄の爪。それが肉へと食い込み、ポタリ、ポタリと血が滴る。
ビル巨人の八本腕が、威嚇する蜘蛛のように広がり威容を示す。
そしてジェッツの肩からゆらゆらと立ち上る、淀んだ色の〈霊石〉のオーラ。
「お前の後ろに……一体、何人分の意志を連れていやがる……」
落ち着き払ったジェッツの声音は、その実怒りの頂点を突き抜けて感情を置き去りにしていて。
「折っても……折っても、折っても折っても折っても折っても……! また、立ち上がりくさって……!」
ルグントのリミッター解除――日食まで、残り…………百秒。
サイハはその間際まで食い下がる。
決して諦めることなく。
そこに、まだ道が続く限り。
上空、サイハが銀の凧の背で、〈粉砕公〉を背中に振りかぶるのが見えた。
ジェッツの闘争本能が何かを予感し、ゾクリと背筋を冷たくさせる。
「……やらせるかよぉぉおーっ!! サイハぁぁぁぁああああーッッッ!!!!」
予感を言語化し、知性で理解するより先に。
ビル巨人が、拳を天へ突き上げた。




