8-3 : 相棒
「………………サイハよぉ……お前さぁ……」
ゴゴ……………………ゴッッッ。
地面を陥没させた大質量が、ジェッツの声に呼応して持ち上がった。
その動作の、何と緩慢なことか。
いや。
その実、それは緩慢な動作などではなく。
「このジェッツに対して……何様のつもりだ……?」
そう見えてしまうのは、そのあまりの巨大さゆえの錯覚。
ビル巨人。
〈PDマテリアル〉本社ビル――通称〈蟻塚〉。
全高百五十メートルの巨大建造物。
その歪な輪郭が、更にねじくれ容姿を変えてゆく。
ジェッツの中で燃え上がる、復讐の業火に掻き立てられて。
〈蟻塚〉の壁面、縦に二本の亀裂が走る。
それを境に外壁が展開すれば、現れたのは五本指を生やしたダンスホールほどに巨大な掌。
鉱床に落ちる影は、まさに剛腕を振り上げる巨人。
これまで〈蟻塚〉の落とす巨大な虚像を武器としていたルグントが、遂にはその実体たる〈蟻塚〉自体を質量兵器へ至らせる。
その権能の強大さゆえ、古代の技師たちの手で日食を施された〈隠遁公〉の、これが奥の手。
「知ったふうな口で語ってくれるじゃあないか、えぇ? それでこの俺を丸裸にしたつもりか?」
ジェッツの言葉は、先のサイハの言葉を否定している。
しかしその表情は引き吊り上げて、喜怒哀楽の何れを表しているのかすらわからない有様だった。
その態度が、如実に語る――「お前は十年前の傷心を引きずっているだけの、未だに立ち上がれてさえいない負け犬だ」と言ったサイハの言葉が、真実であることを。
「困ったなぁ……ああ、これは非常に困った……。サイハぁ……俺を何度も……何度も何度も何度も邪魔しやがって…………お前さえいなければ、お前さえ……!」
額に手をやり、ジェッツがくっくと乾いた声で笑う。
その左右には、主に跪く騎士のように地面に突き建つビル巨人の巨拳。
「どうしてくれる……ぶっ殺してやりたいのに、お前を軽く五回は殺さないと俺のこの気は収まりそうにない……。何で同じ野郎を一回しか殺せないんだ? 釣り合わないわけだが? 俺のこの屈辱の数と、お前の命の数とが……!」
直後、ジェッツが咆哮を上げた。
修羅となり果てた男の、人語を外れた怨嗟の叫び。
それに呼応し、ビル巨人の両拳が飛んだ。サイハ目がけて一直線に。
ズゴンッッッ!
ズゴゴンッッッ!!
岩の拳が大地を抉る。
「サイハぁーっ!!」
直撃すれば、人体など原形を留めない一撃……。
エーミールが真っ青になって叫んだ。
「……――やれねぇよ」
ゆらり。
砂煙に浮かび上がる人影と、サイハの声。
「こんなもんで、ジェッツ……お前はオレをやれねぇ。なぜならオレを今この場で殺しちまったら、お前は一生、オレに舐められたままになるからだ」
巨人の拳が擦過するなか、サイハはその場から一歩も動いてはいなかった。
恐れ戦いたからではない。
自分の意志で、その場にどっしと仁王立つ。
そして意趣返しするにように、サイハが己の心臓を拳で叩いた。
「――オレの心が、折れない限り……お前は、オレを殺せねぇ!」
驚くべき胆力。
すさまじい度胸。
わずか数分、空を飛んでみせただけのことで。人間というやつはここまで成長するものかと、皆はサイハに度肝を抜かれた。
噛み締めた歯を剥き出しにして、ジェッツの頬に冷たい汗が筋を引く。
「サイハ……サイハっ、サイハサイハサイハぁーっ!!」
ジェッツが腹の底から怒声を上げる。
ビル巨人を従えるジェッツは、この荒野で最も巨大な存在のはずだった。
にもかかわらず、その怒声は王者の貫禄ではなく、威嚇の色を帯びていて。
片や、天を衝く巨人。
片や、身の丈小さなチンピラ。
それが今、図体のでかさなど置き去りにして、完全に拮抗していた。
「……達磨にしてやる……両手両足引きちぎって! 自分の血と小便と糞に溺れさせてやるッ! その舐め腐った口で! お願いだから殺してくれと! 懇願するまで! 生き地獄を見せてやるッッ!!」
サイハに己の化けの皮を剥がされたジェッツの、純粋な怒り。そのまま手も触れずに相手を卒倒させることができようかというほどの殺意。
「……エーミール」
その修羅を前に立ち塞がって。首だけ振り返らせたサイハが、〈解体屋〉を呼んだ。
「そういや、あんたに聞いてなかった……。オレとリゼットの監視がどうこうってやつ、ありゃ結局、どうなったんだ?」
「……。……こんなときに、そんなこと訊くなよ……」
よろよろと立ち上がるエーミールが、困り顔で笑う。
「サイハは、図面のセンスが全然だし……リゼットには、デリカシーの欠片もないけど……そんな君たちは、最高のバディだ……。〈解体屋〉にスカウトしたいぐらいだよ……」
いつもと変わらぬ調子のエーミールの声を聞き、サイハがくすりと笑い返した。
それからいくらか、視線を動かし。
サイハは次に、少女を見つめた。
「……メナリィ。ごめんな……独りにさせて。悲しい思い、させちまった」
この数日のことだけではない。この十年分の想いを籠めて、語りかける。
「……ううん、そんなことない。そんなことないよ? だってサイハ、来てくれたもの。〈レスロー号〉の飛んでるところ、見せてくれたもの……」
糸目を殊更にっこりとさせて、メナリィが優しい声で即答する。
「ヨシューの奴がさ、今も店番してんだ。早く帰ってやんないと、ここが片づくより先に店のほうが潰れちまう――べらぼうに不味ぃんだよ、あいつの料理。どうにかしてくれ」
「ふふっ! わかりましたー。〈ぽかぽかオケラ亭〉で、またみんなでお夕飯にしましょうねー♪」
おっとりした口調で、母性溢れる笑顔を振りまく。少女店主メナリィの姿がそこにあった。
「……にひひ! ……あぁ……ずっとつっかえてたもんが、ようやく取れた……」
喧嘩別れに終わっていたエーミールと、〈レスロー号〉の完成を伝えられないでいたメナリィと言葉を交わし。
にかりと満面で笑ってみせると、晴れ晴れとした表情でサイハが前へ向き直る。
そして最後に……傍らに立つ気配へ向けて。
「よぉ、リゼット」
そう、じゃじゃ馬の名を呼ぶ。
「ア゛? ナニ?」
リゼットが、耳を掻きながら怠げに応じる。
「悪いな……多分、お前にはかなり無茶させる」
サイハの言葉に、フンッと鼻先であしらう声がして。
それからふいに、サイハは身体に重みを感じた。
「……ナァ? アタシ、テメェに言ッたよなァ……『胸張りやがれ』ッてサァ」
スレンダーな身体をサイハにもたれかからせて、リゼットが上目遣いで睨んだ。
細く冷たい指先で彼の顎を掴み、背の低い自分のほうをぐっと振り向かせる。
「バカはバカらしく、イキッてりャイインだよ――燃えるダロ? そのほうが。クヒヒッ」
深紅の瞳と、白い肌。
絹のような銀髪に、攻撃的な笑みを浮かべて。
リゼットが艶めかしい唇を震わせながら、それはそれは悪い顔で囁いた。
「……くはははっ! 確かにそのほうが、オレたちらしいな!」
大笑いすると、サイハのほうもリゼットの顎先に指を引っかけ、生意気な女を上向かせる。
そんな二人を差し置いて、ジェッツが日時計へと命じる。
「……ルグント、出力は最大にしておけ。日食を迎えた瞬間に、すべてひねり潰せるように」
「は。ですがそうしますと、〈蟻塚〉と露天鉱床の形状維持は困難になりますが」
「構わん。惜しいものなんぞ、何もない……――俺には、お前の力だけあればいい」
「かしこまりました――――ジェッツ」
そうして命じられるまま、その愚直な〈蒸気妖精〉は権能を振るう。
ただ忠実に。
ただ誠実に。
己が操者と定めた者の、ただ望む役割を。
ルグントにとって、それが信じる道だった。
ジェッツが、ビル巨人の差し出す掌へ飛び乗る。
岩の腕がグワと上昇し、次に主を下ろした先は〈蟻塚〉最上階、CEO室。
「――制限時間つきデスマッチ……ってところかねぇ。まぁ、派手にいこうじゃあないか……」
ジェッツが、今し方まで自分もいた露天鉱床最下層を見下ろす。
そこに溢れる、目を灼く閃光。
今一度、唇を重ね合わせたサイハとリゼットが、これまでで最も強く輝いた。
美しい、透き通るような銀の刃。
その柄をがっしと掴んだサイハの身体に、バチリと鋭い電流が走る。
「トばすゼ、サイハァ……アタシのこと気にするヒマもねェぐらい、ゴキゲンにしてやるヨ」
「上等。どのみち、負けたらみんなお陀仏なんだ。オレごとぶっ壊す気でやってみせろや、〈粉砕公〉」
「ハッハァー! イイねェ、身の程知らずのバカヤロー! やっぱりテメェは、最低で最高の操者だゼ!」
リゼットの第一の権能、〝形態制御〟。
サイハが己の肉体を、大剣と同期させる。
〈霊石〉のオーラを纏ったサイハは重い大剣を片手で軽々と振り回し、クソガキのごとくニヤリと笑った。
「そんじゃ、まぁ――」
「ウッシャ、いッちョ――」
今ここに。
チンピラ男と暴力女が、一つとなって。
「「――――――――――――――――いくぜ、相棒」」




