7-6 : メナリィ・ルイニィ
◆ ◇ ◆
――同時刻、〈蟻塚〉。
コツ、コツ……と反響するのは、革靴が石床を踏み鳴らす音。
「……ふぅーっ……お前の権能は無敵だ。天変地異すら引き起こせる」
葉巻を燻らせながら、ジェッツが感慨深げに独り言つ。
「少ない人材と機材で露天掘りを成功できたのも、〈クチナワ鉱業〉をぶっ潰せたのも、こうして邪魔者どもを一掃できたのも、全部あのとき――あの崩落現場でお前を拾ったからだ、ルグント」
ジェッツがちらと、背後へ視線を回す。
その先には、足音一つ立てぬ秘書の男――
ヒト型蒸気妖精、〈隠遁公〉ルグントのつき従う姿があった。
「私の特性を活かしきった貴方だからこそなせたことです、CEO」
ルグントがぺこりと一礼する。
「〝日時計〟と〝ヒト〟の中間二元存在であるこの身に、〈蟻塚〉という莫大な建造コストを割いていただいた賜。……でなければ私の権能など、あの〈粉砕公〉には遠く及びません」
謙遜ではなく、ただ事実として。ルグントは己の特性について語る。
その表情は幻影のように定まらず、十年来の操者であるジェッツにすら、ルグントの顔を記憶に留めることができた試しはない。
「全くだ。〝依代がでかいほど力が強まる権能〟……とんだ金食い虫め。その上それだけじゃ飽き足らず、もっと深いとこに〝リミッター〟が掛けられてるとくれば尚更、だ」
不貞腐れるように零したジェッツの言葉は、本心から呟かれたもの。
「権能が強力すぎるがゆえに、限定条件がついて回る……まるで馬力だけ無駄に高い重機だ。小回りが利かないのが扱い辛いったらない。お前を製造した古代〈蒸気妖精文明〉の技師に、クレームの一つでも入れたいわけだが?」
「その〝リミッター〟も、じきに解除されます」
それは反論ではなく、またもただ真実としてルグントが言い添えて。
「日時計を日時計たらしめる真の要素は、あの天に浮かぶ〝太陽〟そのもの。それが欠けるとき……〝日食〟をもって、私の権能は極大期を迎えるのです」
「そのために、俺は十年も待たされた……」
忌々しげに、ジェッツが床を蹴る。
が、それとは裏腹に、ジェッツの頬は歪んだ期待に吊り上がっていた。
「第一の月の部分日食ですらこの力だ。第二の月の皆既日食まであと数時間……そこで俺はすべてを手に入れる。これまで影の届かなかった大深度〈鬼泥岩層〉に溢れる大鉱脈も。邪魔立てする〈解体屋〉の本部も。そしてマリンの弔いも――すべてに、今日俺はけりをつける」
その道程は底なしに泥臭く、目指すものは恐ろしく明確に。
十年という時の重みと、恋人の死――それらがジェッツから〝夢〟という憧憬を奪い去り、冷酷な現実主義者へと変貌させた。
金と、権力と、復讐心……それがこの男を駆り立てるすべて。
「……それにしても、静かなもんだねぇ。ああ、いっそ清々しい。そうは思わないか?」
〈蟻塚〉内部のとある場所へと向かいながら、ジェッツがフランクな物言いに戻って言った。
「おっしゃるとおりです、CEO。たとえ長期休暇中でも、ここまで静かにはならないでしょう」
ルグントはその身まで影であると言わんばかりに気配を消して、ただ頷き返す。
「清掃係のおばちゃんまでいないってのは俺も初めての経験だ。寂しいじゃあないか、陰でこそこそあることないこと噂にしやがる奴らの声が聞こえないってのも」
豪奢な掘り細工の施された扉の前に至ると、ジェッツはノックもせずにそこを開けた。
「――どうだい、お宅もそうは思わないかね?」
通路側からの陽光が扉の内側へ差し込んで、天蓋つきのベッドを照らした。
「う……っ」
そこから、か細い声が聞こえた。
突然の真昼の日差しを、正面から浴びて。
眩しげに片手で目を覆う、メナリィがそこにいた。
「『おはよう、お姫様』」
無遠慮に葉巻を吹かし放題のジェッツが部屋に踏み入り、少女を覗き込む。
「『よく眠れたかな?』……あぁ、一度言ってみたかったんだ、この手の場面でこういう台詞」
バチンッ。
声よりも先に返ってきたのは、メナリィの手がジェッツの頬を叩いた音だった。
葉巻から飛び散った灰が、真っ白なシーツにぽとりと落ちる。
「……。……なぁ、なぁなぁ、なぁー? 酷かないかい? ここはうちで一等の客室。お姉ちゃんみたいな町娘が普通泊まれる部屋じゃないわけよ。そこんとこわかってほしいねぇ」
「サイハやみんなに酷いことしたら、わたし……あなたのこと許しませんから……!」
ヘビのような目で覗き込んでくるジェッツに対して、メナリィの態度は気丈だった。
そこは広々とした客室だった。
天蓋つきの上品なベッドに、高級品だらけの内装。
本来はバルコニーから景観が見渡せるところ、しかし今は木の板が打ちつけられていて室内は暗い。
かれこれこの場に三日間監禁されていたが、メナリィは衣食住が保証され不自由はなかった。暴力の類も、ここへ押し込まれたこと以外には何もされていない。
だからといって、彼女がジェッツを咎める目つきは変わらなかったが。
「怖い怖い。三十路前にもなると、若い娘から嫌われるって精神的に堪えるんだわ、これが実際」
メナリィは、二日前に起きたジェッツとサイハたちとの衝突について知らない。
防音が施された上に窓を塞がれたこの部屋にあっては、外の情報は一切入ってこなかった。
それを承知の上で、ジェッツがからかうように続ける。
「既に俺は何かやらかしているかもしれないが、ちょいとこれがわからない。男と女の感性ってのは大分違う。かなり違う。全然違う。俺にとってはセーフなことが、お姉ちゃん的にはアウトかもしれない。〝個人の感想です。効果には個人差があります〟ってやつよ」
バチンッ。
メナリィが返す手の甲で、ジェッツの頬をもう一度叩いた。
「あなたのそういう……! 周りの人みんなを馬鹿にした喋り方、わたし嫌いです……!」
非難の声が飛ぶ先で、ジェッツは首を捻ったまま固まっている。
数秒の沈黙の後、ルグントの差し出した灰皿へ葉巻を押しつけ火を消すと、ジェッツのギロリと冷たい視線がメナリィを射た。
「……っ!」
「お姉ちゃん……あまり調子に乗りすぎちゃあ駄目だ……お宅のためにも言っておく。次は俺も手が出てしまう。口は災いの元、沈黙は己の身を守る。肝に銘じておくといい……」
ジェッツの読心眼。
それを前にしてはメナリィの強がりなど裸も同然だった。
不安と恐怖で張り裂けそうになっている心が見透かされる。〝見透かされている〟ということがヘビの目から逆に伝わってきさえする。
メナリィはそれ以上はもう、どうやっても強がれなかった。
「……オーケー、忠告をきちんと守れる素直な若者は好印象だ。採用試験なら一次面接合格ってところかね。……さてと、こんな話をわざわざしにきたわけじゃないのよ俺は。用件に移ろうか」
そう言うなり、ベッドの縁に腰かけたジェッツが、ずいとメナリィに顔を近づけた。
「な、何を……っ」
「なぁに、大したことじゃあない……」
黒鉄の爪が、少女の喉元を撫でる。
メナリィは捕食者の気迫に呑まれて、悲鳴も出なかった。
やがて、ジェッツが要求する。
「――……飯を、作っちゃくれないだろうかね?」
それを聞いたメナリィの凍りついたままの口が、「……え?」という形に開いた。
◆
「――この〈蟻塚〉には今、俺たち三人しか残っていない。雇ってたコックにも逃げられちまったわけよ。そいつが仕込んでた分も、昨日の晩で平らげてしまった」
〈蟻塚〉内、ここは厨房。
ジェッツが広い調理台の一角に頬杖をついて、相変わらずの掴み所のない口調で世間話を交えつつ、自分たちの立たされている食糧事情について説明していた。
「食材はたんまりとあるんだが、如何せん俺もルグントも家事ってやつがからっきしでね。そこで思い出したのよ。そういやお宅、飯屋のお姉ちゃんだったじゃあないかと」
「…………」
ジェッツが見つめる先、メナリィはただ無言でいる。
声の代わりに聞こえてくるのは、トントントンと包丁がまな板を打つリズミカルな音だった。
その横では鍋とフライパンが合計三つ、〈霊石コンロ〉にかけられている。
「へぇーっ……器用なもんだ。あぁ言っておくけども、毒を盛ろうとしても無駄だ。俺の目は誤魔化せ――」
「お料理にそんなもの混ぜたりなんてしません。馬鹿にしないでください」
肩越しに振り返ったメナリィの瞳は糸目で見えないが、ジェッツのことを睨んだのは確かで。
「そんなこと言うようだったら、ご飯作ってあげませんからねッ」
「おぉ怖……それは困る。俺みたいなのはこういうとこにいるべきじゃないな。退屈になるとついつまらんことを口にしたくなる」
ふんっと手元へ向き直り、メナリィは黙々と手を動かす。
タマネギを刻み、挽き肉を炒め、茹でたジャガイモをマッシャーで潰し……やがて油の弾ける軽快な音が聞こえだした。
脅されて料理を作らされているわけだが、これはメナリィにとっては救いだった。
真っ暗な部屋に押し込められているよりも、調理に没頭しているほうがよほど気が紛れるというものである。
「…………」
そんな少女のエプロン姿を、ジェッツはどこか、遠い景色を眺めるように黙って見ていた。
「――はい、おまちどうさまですッ」
ドンッ。
それは見事な手際。
あっという間に、ジェッツの前に大皿一杯のコロッケの山が現れた。
「えらく無愛想だなこれまた……駄賃を弾ませるから多少はスマイルをだね――」
「お代なんて結構ですッ」
「う、むぅ……これだから苦手なんだ、レスローの女は……」
「文句を言う前に召し上がったらどうですか。せっかく言われたとおりに作ったのに」
厨房に立ったメナリィは、この地こそ我が戦場とばかりの迫力であった。「もう作ってあげませんッ」なんて言われては堪らないものだから、ジェッツも言い返せない。こればかりは計算外であった。
「…………」
不服げな表情を浮かべたまま、ジェッツが無言でコロッケに手を伸ばす。
「こらッ」
ジェッツがコロッケに食らいつこうとした瞬間、メナリィがむっと腕組みして叱りつけた。
「な、何だねいきなり……」
「食べる前に、『いただきます』を忘れてますッ」
プンプンしながらそう言うメナリィの目は真剣。
「……ふん、生意気な娘が……。…………。……いただきます」
少女に渋々従って、ジェッツはようやく食事にありつく。
コロッケに一口歯を立てると、狐色の衣がサクリと良い音を立てた。
一個を丸々平らげて、しばしジェッツが黙り込む。
店を滅茶苦茶にされた恨みこそあるが、自分の料理へどんな批評が下されるのかとメナリィがそわそわとする。
「……ま、所詮は大衆食堂の腕だ。一流の味には遠く及ばん。はっきり言って不味い」
冷たく言い捨てたヘビの瞳に、メナリィの傷ついた顔が映っていて。
「用はすんだ。連れていけ、ルグント」
無言のまま頷いて、ルグントがメナリィを厨房から引っ張りだしてゆく。
ジェッツとすれ違いざま、少女が悔しそうに唇を噛み締めているのが見えた。
「ふん、舐めた真似するからそうなる。言われたとおりにだけしてればよかろうに。馬鹿な娘だ」
厨房に一人残ったジェッツが、山盛りのコロッケをゴミのように見やる。
己以外の何者も信じられなくなった男は、そうやって誰も彼もを傷つける。
……サクリ、と。
衣の崩れる音がした。
ジェッツの背中が、二個目のコロッケを飲み込んで揺れた。
「だが、まぁ……腹に入れないよりはマシか……」
サクリ……。
「ああ、不味い……」
サクリ……。
「本当に不味い」
サクリ……。
「酷い味だ」
サクリ……。
「…………」
サクリ……。
サクリ……。
サクリ……。
サクリ……。
「…………。……葉巻で、舌が馬鹿になっちまったんだ……もう覚えてねぇよ、家庭の味なんて……」
ブツブツと文句ばかりを垂れるジェッツの背中は、少しだけ小さく見えた。
◆
「――CEO」
それからいくらか時が経ち。
メナリィを再び客室へ監禁してから厨房に戻ってきたルグントの声音は、出ていったときよりも随分と硬くなっていた。
「侵入者です。こちら側へ、渓谷を越えた者がおります」
調理台に突っ伏して微睡んでいたジェッツの背中が、のそりと起き上がる。
「…………あぁそぉ。皆既日食までは残りいくらだ?」
「はい。あと、五十八分二十秒です」
「全く……最後の最後まで邪魔をしてくれる」
ジェッツが立ち上がり、葉巻を咥え、ガシュ……とガスライターで火を点けた。
「……ふぅーっ……。……いいだろう、楯突く奴らは全員後悔させてきた。今回もそれと同じこと。メインイベントの前座として、せいぜい盛り上げてくれることだ――」
コツ、コツ、コツ、コツ。
背後に秘書兼〈蒸気妖精〉を従え、〈PDマテリアル〉CEOが己の定めた戦場へ向かう。
堂々としたその足取りに、迷いなどありはしなかった。
「――なぁ、そうだろう? エーミール女史……」




