7-2 : ヨシュー・タナン
◆ ◇ ◆
ヨシュー・タナンは、あれからずっと考えていた。
――ぼくには、何ができるだろう?
サイハとエーミールがぶつかった日も。
メナリィが誘拐されてクマ社長が倒れた日も。
サイハが今まで見たこともないぐらい激怒して、〈PDマテリアル〉に殴り込んだときも。
ヨシューには、その何れのときも、何もすることができなかった。
言い訳なら、いくらでもできた――「しょうがない」と。
まだ、たった十二歳の少年だから。
知らないことが多すぎるから。
強くないから。
なよなよしている性格だから。
でも。と、
そこでヨシュー少年は自問する。
――何もできないからって、何もしなくていいのかな。
サイハを殴ったリゼットは、「オマエなンか認めねェ」と、ボロボロの身体で出ていった。
エーミールは、涙を流して「さよなら」と言って去っていった。
ヤーギルは扉が閉まる瞬間まで、サイハとヨシューへ「御達者で」と、寂しそうに手を振っていた。
そしてサイハは、ずっとみんなに背を向けて、みんなをバラバラにしてしまった自分の無力に泣いていた。
ヨシューには結局、何もできなかった。
だからヨシューは、あれからずっと考えていた。
そして、考え抜いた末――
少年は、行動を起こす。
◆
……まずは、サイハとリゼットが手当を受けた二階へ向かった。
窓を開けて空気を入れ換え、シーツを干して床を磨いた。
メナリィの寝室と、衣装部屋も掃除して回る。
数日前まであんなに賑やかだったのに、今は建物中がしんと薄暗い。
けれどそよ風を招き入れ、干したシーツに太陽の匂いが染み込んでいくと、少しだけ部屋の中が明るくなった気がした。
二階がすむと、ヨシューは一休みして一階に手をつける。
散乱した椅子と、割れた食器にひっくり返った調理器具。
〝来い。〈蟻塚〉へ〟と、テーブルに血糊で書かれた文字。
小さな身体で椅子を戻し、箒で食器の欠片を掃き集め、調理器具を一つ一つ丁寧に洗って元の場所へ。
濡れ雑巾でゴシゴシとやって、汗塗れになりながら血糊をすべて拭き取った。
「――ふぅ……」
そのようにしてヨシューは、何時間もかけてその場所をたった一人で元通りにした。
しかし少年は、何か腑に落ちずに首を傾げていた。
「……うーん……おかしいなぁ。何だか、何かが足りない気がする……」
うろうろ行ったり来たりして、ヨシューは考える。
ずっとずっと考える。
――ぼくには、何ができるだろう?
うろうろした果てに、いつの間にか外に出ていた。
そしてヨシューが、建物を見上げ返すと……
その視線の先では、親指を立てたオケラのデフォルメイラストが、口の端から舌を覗かせてウインクしていた。
そこで、ポンッと。
ヨシューが手を叩く。
「……あ、そっかぁ」
自分にしかできないことを見いだして、ヨシューはてってと建物の中へ駆け戻っていった。
◆
「――…………」
形見のゴーグルを握り締めたサイハが、行き先も定めずただ足を運んでいた。
理由なんて、特にない。
ただ、この足を止めてしまうのが、無性に許せないだけだった。
いちいち覚えてなどいないが、街をぐるりと一周歩いた気がする。
東採掘区の〈クマヒミズ組〉社屋を通り、北採掘区の共同開発地、西採掘区の〈ジャコウユニオン〉事務局へと反時計回りに。
そして南方、〈隠遁公〉ルグントによって削り取られた大地と、その彼岸に〈PDマテリアル〉の歪んだ塔たる〈蟻塚〉を見た。
道中、街の住人とは誰ともすれ違わなかった。
日食とともに大地が割れたこの異常事態に、誰もが家の中でじっとしているのだ。
そこが一番安全と信じて。
無理もないことだった。
そんな、荒野の乾いた風が吹き抜けるだけの〈鉱脈都市レスロー〉は、まるでゴーストタウンだった。
「……。……しけてんなぁ……」
そんな言葉がぽつりと零れ、大地に染み込んでゆく。
そして、いつ振りかにようやく歩みを止めたサイハがぼんやりと顔を上げると……見慣れたオケラの看板と目が合った。
「…………」
帰巣本能というやつだろうか。
自宅でこそなかったが、一番思い出の多い場所。
〈ぽかぽかオケラ亭〉。
全く無意識の内に、サイハはそこへと流れ着いていたのだった。
「……ん……?」
そして、店先に出ている表示を目にして、サイハは眉根を寄せた。
〝営業中〟と。
そこにはそう書かれている。
はてなと、訝しみながら扉を開けた。
店内は、外と同じく無人だった。
やっぱりなと、サイハが背を向ける。そんなことあるわけねぇと。
店を後にし、扉を閉めようとした、そのとき。
「――い、いらっしゃいませぇ……!」
パタパタと足音がして、厨房の奥から人影が現れた。
メイド服姿のヨシューが、内股でミニスカートを押さえながらそこに立っていた。
「……は?」
「……あっ」
顔を見合わせたサイハとヨシューが、同時に面食らう。
数秒間、沈黙があって。
「……悪ぃ。邪魔したな……」
サイハが今度こそ出ていこうと、外へ振り返った。
そこへ。
「……いらっしゃいませぇえーっ!!」
ヨシューの張り上げたその大声に、サイハはびくりと飛び上がった。
「……ヨシュー?」
「お好きなお席へどうぞ!」
盆を片手に、ヨシューが店内を指して客を迎える。
「いや、オレは客なんかじゃ――」
「お席へ! どーぞっ!!」
目を決して逸らすことなく。ヨシューの声は有無を言わせなかった。
「お、おぅ……」
その勢いに押し負けて、サイハは流れでカウンター席に腰かける。
「ご注文はお決まりですかっ!」
カウンター越し、ヨシューがひょこりと顔を覗かせる。足元に踏み台でもある様子。
何も注文しないわけにはいかない空気だった。
「え、えーっと……それじゃ、〝ミミズヌードル〟……」
「かしこまりましたっ! しょーしょーお待ちくださいっ!!」
てててと厨房へ消えるヨシュー。
ホールスタッフの身で、どうやら本気で客に出す料理を作る気らしい。
鍋の煮え立つ音と、フライパンを振る気配がしてくる。何かをひっくり返して「わひゃぁ!?」と悲鳴。
それから随分待たされて、厨房へ消える前よりもメイド服の汚れたヨシューが現れた。
「お待たせしましたっ!」
ドンッ!
料理の盛られた器がサイハの前に供される。
濁ったスープに、焦げた具材。
ビロビロに伸びて器からはみ出すピンクの麺。
〝ミミズヌードル(のようなもの)〟が、生臭い湯気を立ち上らせていた。
「えっ……これ食うの……?」
それを見たサイハの口から、思わず本音が漏れた。
「うぐっ……! お、お気に召しませんでしたら! お代はけっこーですのでぇっ!」
そう言いきったヨシューであったが、「うぐっ」とショックを受けた顔をされては食わず嫌いは忍びない。
「……い、いただきます……」
ゴクリ……。
食欲とは別の固唾を呑んで、サイハがビロビロの麺を口に運んだ。
「……ぶっ?!」
微かに聞こえたのは呻き声だろうか。
「……ど、どうでしょうか……? がんばって作ったんですけど……」
ヨシューが不安げに訊く。
一口、重い動作で食してから。
サイハは〝ミミズヌードル(的な何か)〟を横へ押しやった。
「……。……ヨシュー、客商売舐めんなよ……本物のミミズ食ってるほうがマシだ、こんなもん」
「あ……はい、ごめんなさい……」
しゅんと口を窄めるヨシュー。
カウンターを潜り、申し訳なさそうにサイハの隣へやってくる。
「ぼく、その……何もできないことはわかってます」
涙声になりながら、少年は小さな拳をきゅっと握り締めた。
「……でもっ、ぼくはそれを言い訳にしたくない! みんながバラバラになったままでいい理由になんてしたくないんです!」
そこからは、堰を切ったようにヨシューの想いが溢れていった。
「だって! みんなこのお店のメニューが、メナリィさんの料理が大好きだったじゃないですか! またあの味を食べたくなって、誰かがふらっと戻ってくるかもしれないじゃないですか! そんなときに、お店がやってなかったら……寂しいじゃないですかぁっ!!」
一息に喋ると、ヨシューは客に出していた水をかっぱらって一息に飲み干した。そこでようやく少年は「ふぅ」と落ち着きを見せる。
「……そんなに甘かねぇよ、世の中」
今度はサイハのほうが、暗澹とした表情で口を開く。
「勢いだけじゃどうにもできないことがあるってよ、今回思い知らされたんだ……。ジェッツ……あいつの覚悟と実力は本物だった。舐めてたんだ、オレ……お高く止まってるだけの成金野郎ってな」
またも先日の光景がフラッシュバックして、サイハは熱にうなされるように額へ手をやる。
「その結果が、このざまだ……いっそ酒に溺れて、堕ちるとこまで堕ちてやろうと思ったけど、それもできなかった……何やっても中途半端なんだ、オレ……。だからみんなを、バラバラにしちまった……オレのせいだ。全部、オレの……」
「そんなことないですよ」
ヨシューが首を振った。
もう内股でも、スカートを押さえてもいない。
「そんなことあるだろ。これが現実だ」
「そんなことないですってば」
サイハの漏らす弱音を、ヨシューが即座に否定する。
サイハはムッと顔を顰めた。
「ある」
「ないです」
「いいや、ある!」
「ないですぅ!」
「あるったらある!」
「ないったらないっ!」
「あるって言ってんだろ!」
「だからぁ! そんなことないって! 言ってるでしょーっ!!」
細い肩を怒らせて、ヨシューが叫んでいた。
少年のそれは全く迫力のない威勢。まるでリスか何かである。
「…………」
けれど、その口喧嘩で先に黙り込んだのは――サイハのほうだった。
「そんなこと、ないんですってば……。誰も中途半端でも、バラバラでもないですよ」
ヨシューが小さな手を、サイハの傷だらけの手に重ねて。
「だってサイハさん、ここに戻ってきてくれたじゃないですか……」
「……。……ヨシュー、お前……」
サイハはようやく理解した。
ヨシューはヨシューなりの選択を――店に〝営業中〟と看板を出して、待ち続けることを選択したのだ。
〈ぽかぽかオケラ亭〉に、再び皆が集まるまで、
一人だけ残ったアルバイトとして。
それは逃げ出すよりも遥かに難しい、強い意志があってこそできること。
サイハは、縮こめていた背筋を伸ばされる思いだった。
「だから、迷わないでください、サイハさん……図太くて喧嘩っ早い、いつものサイハさんでいてくださいよ。――ぼく、そんな兄貴分のこと、頼りにしてるんですから」
ヨシューの瞳の奥に、サイハは――自分の姿が映り込んでいるのを見た。
――あ……なんだ……。
打ちひしがれて、孤独になっていた胸の奥に……サイハは、小さな熱が灯るのを感じる。
――オレ、今までこの方、ずっと……独りなんかじゃ、なかったんだな……。
手元にちらと目を向ける。
形見のゴーグルのレンズにも、自分の姿が映っていて。
――……これが言いたかったってのか? なぁ、義親父……。
「――……あの。これ、片づけちゃいますね」
無言でいるサイハの横から、ヨシューが器へ手を伸ばした。
「ごめんなさい、こんな不味いもの出しちゃって。あ、あはは……食材がもったいないや」
すんと鼻を一つ啜って、ヨシューが〝ミミズヌードル(推定)〟を下げようとしたとき。
がっしと、ヨシューの細腕が握り締められた。
「わひゃっ!? サ、サイハさん?!」
「おい……誰がもう食わないなんて言った」
それだけ言うと、サイハはヨシューの手から器を引ったくって、〝ミミズヌードル(邪)〟を掻き込んだ。
でろでろの麺をズルズル啜り、濁ったスープをゴクゴク飲み干す。
〝(名状しがたき)ミミズヌードル〟との死闘の末、サイハは空にした器と飯代を改めてヨシューに押しつけた。
「……げふっ……。……ったく……こんなもん出してたら秒で潰れるぞこの店……」
それから、ゆっくりと立ち上がり。
「ヨシュー、お前は大人しく店番してろ……――見てらんないから、従業員集め直してきてやる、オレが」
「サイハさん……!」
その背中と、目つきの悪い顔。
ヨシュー少年のよく知るチンピラ――サイハ・スミガネがそこにいた。
非力な少年の想いが、一人の負け犬を再びここに立ち上がらせる。
赤土色の瞳には守るべき場所と仲間の姿が映り込み、迷いの色はもう消えていた。
ズン。と、力強く一歩を踏みだして。
そこでサイハは、少年に背中を向けたまま言った。
「ところでヨシュー、出かける前に頼みがある……」
「はい! なんでしょーか!」
ゆらり。
尋常ならざる気配を纏い、サイハが振り返る。
「……。……み、水と胃薬をくれ……やばい、さっきのヌードル、不味すぎて吐きそう……」
きざに決まっていたサイハの顔面が、食中りで真っ青になっていた。
◆ ◇ ◆
――ヨシュー預かる〈ぽかぽかオケラ亭〉を後にして、サイハが一人居住区を行く。
もうその足取りは、惨めな負け犬のそれではない。
店を出る前にヨシューと交わした会話が、サイハの中で反芻される。
――『ジェッツの野郎と、もう一度喧嘩だ。今度こそ、メナリィを連れて帰る。そのためには……あいつらの力がいる。オレ一人じゃ、何にもできねぇ』
――『でも……リゼットさんもエーミールさんも、どこ行っちゃたかわかんないですよぅ』
――『なぁに、一人は大方見当がついてる。……どんな顔されるかまではわからないけどな』
とある場所へ、サイハは迷いなく進む。
ジェッツに思い知らされたあの言葉が、自ずと口を衝いて出ていた。
「……自分の落とし前は、自分でつけるさ……」




