3-6 : 撃ち込まれた因縁
「――負、けた……私、が……」
全身強打による呼吸困難で朦朧としながら、エーミールが言い零した。
「ヤー、ギル……無事かい……?」
よろよろと身を起こし、背中を振り返る。
エーミールが激突した壁にはベッコリ、カエルの型がついていた。
「ゲロゲーロ……しょ、小生、危うく三途の川を平泳ぎで渡りきるところでありました……」
『めが まわりましゅー……』
つぶらな瞳に渦を巻き、ヤーギルが伸びている。
それに連動して分霊も、エーミールの空薬莢のロケットからふにゃんと零れ出ていた。
「あぁ……無事なら、よかった……」
埃に汚れて、エーミールが弱々しく微笑んだ。
そこに。ガラガラと。
〈グラスホッパー〉によって轢き砕かれていた建材が、先の衝撃で家屋の壁面から剥がれ落ち、〈解体屋〉の頭上目がけて崩落する音。
押し潰されればひとたまりもない岩雪崩である。
「エ、エーミール殿ぉ! お逃げくださりますればぁ! 小生など置いて! お早くぅ!!」
『えーみーるしゃまぁ!』
叫ぶカエルとオタマジャクシを抱き締めて。
しかしエーミールは、その場から一歩も動かず背中を丸めた。
「駄目だよヤーギル、そんなことできないよ……だって、君は私の……大切な友達だもの……」
死を覚悟したエーミールが、儚く笑い――
「――しゃらっくせぇぇえ!」
サイハの怒号が、その悲壮へ切り込んだ。
「どうにかしやがれ! リゼットぉぉぉっ!!」
「ハッハー! こちとらご無沙汰だッたンだ! 一発キメたぐらいじャヤり足りねェゼェ!」
バチリッ!
リゼットのフレームが左右へスライドし、剣芯から火花が飛び散る。
露出したのは深紅に光り輝く無数の歯車とシリンダー。
ガルルンッ。
その神秘機関が、唸りを増す。
サイハとリゼットが、声を重ねて吠える。
ギュイィィィィン!!
「「――ぶっ……っパナすッ!!」」
巨大な力の奔流が、渦を巻き、
「《機関解放》>>>《炸裂!》ォォォッ」
衝撃波が、駆け抜けた。
岩雪崩も家屋も貫いて。
深紅の流星が、レスローの空に放たれていった。
南採掘区……露天鉱床、〈PDマテリアル〉の所在する方角へ――
◆ ◇ ◆
所変わって、同時刻――〈PDマテリアル〉本社、通称〈蟻塚〉。
書類の山へのサインと押印。
葉巻を口の端に咥えた〈PDマテリアル〉CEO、ジェッツ・ヤコブソンその人が、日々の職務をこなしていた。
傍らには、処理ずみの書類の束を両手にいただく秘書の男。
背中の大窓から差すギラついた陽光が、CEO室に強烈なコントラストを浮かばせる。
「ったく……全然、全く、からっきし。一向に片づかないわけだが? 何なんだよどいつもこいつもこの書類の山は……いじめか? いじめなのか?」
やれ不服げに、ジェッツが鼻から紫煙をムワと立ち上らせる。
「いいえ。それは貴方様がCEOだからです、CEO」
ジェッツの愚痴に、秘書の男が簡潔明瞭に答えてみせる。
「CEOってのは罰ゲームか何かなのか?」
「違います。CEOとは最高経営責任者。端的に言うと我が社で最も偉いお方という意味」
「ああ知ってる。よく知ってる。喩えるなら昼時には腹が減って、いい女に作らせた弁当が食いたくなるってことぐらい、よぉーく知ってる。当然なわけだが? レスローの男なら誰だって、そういうのに必ず一度は憧れる。だから俺は、今ここにいる」
「それは失礼いたしました、CEO。てっきり書類仕事が嫌になってサボろうとしていらしたのかと思いまして」
「えぇ……何それいきなり辛辣……」
ジェットと秘書の男。二人の距離感は傍から見ていると測りかねる。
談笑しているふうにも見えるが、その実彼らは無表情。紫煙踊るCEO室には、終始ピリピリとした空気が滞留していた。
「そういえば、だ」
ジェッツがガリガリとサインを殴り書きながら口を開く。
何十枚目になるかわからない紙面上、走る筆致はもはや誰の名前なのか読み取れないほどイライラと乱れて。
「……エーミール女史。奴はどうなった?」
葉巻を叩いて灰を落とすジェッツに、秘書の男が大して興味もなさそうに目を向けた。
「エーミール……? ああ、〈解体屋〉の。そういえばそんな外注先もありましたね」
大窓に目をやり、眼下に広がる鉱脈都市を見下ろして。
「先日の〝アレ〟……〈鬼泥岩層〉の下に埋もれていた〈蒸気妖精〉。回収が上手くいっていればよいのですが」
「回収? 笑わせる。そりゃ〈解体屋〉に持ち逃げされるって意味なわけだが? どんな権能を持ってるのか知らんが、没収されるのもどこぞの盗人に持たせとくのも面倒極まりない。あのエロ巨乳女が都合良くぶっ壊しでもしてくれていればな……」
「そのご発言はエーミール氏にセクハラで訴えられかねませんが、CEO」
「だよな、気をつけよ……今のはオフレコだ。……さて、書類お化けもこいつで終いだ」
最後の紙束をまとめてどさりと放り、ジェッツがデスクチェアに身を沈めて一息吐く。
しばし目を閉じ、そして壁に掛けられた機械仕掛けの万年カレンダーを見やった。
とある日づけと、とある時刻に、赤いインクで目印がつけられている。
……何かへの、カウントダウン。
「あと、十日を切った、か……」
ジェッツがもう一度目を閉じ、深く息を吸い込む。
ヘッドレストに首を預け、まるで息を引き取ったかのように数十秒間呼吸を止めて……それからゆっくりと、ゆっくりと吐き出した。
肺に染みついた、キツい葉巻の獣臭が口の中に広がる。そんな臭いは大嫌いだったが、それを体臭として認知したジェッツの身体は、もう何も感じない。そんな彼の顔つきは、影の悪戯だろうか、三十路を前にした二十代とは思えないほど老け込んで見えた。
ジェッツがデスクの片隅に目を向ける。
高級品ばかりが並ぶなか、それだけが安物とわかる写真立て。
写真の焦げ跡に指を這わせ、想いを馳せる。
そんなジェッツの横顔は、危ういほどに幼く見えた。
「……。…………マリン……」
小さな小さな震える声で、ジェッツが誰かの名を呼んだ。
そこへ。
前触れもなく。
CEO室が、深紅の閃光に染まった。
「んっ!? 何だ、どうした、一体これは……!?」
「――失礼します、CEO」
突然のことに固まったジェッツを、秘書の男が書類の山を投げ捨てて突き飛ばした。
次の瞬間。
ジェッツの見ている目の前で、嵌め殺しの大窓が粉々に砕け散った。
音を置き去りにした粉砕。
キラキラと舞う無数のガラス片。
まるで、走馬灯のような。
あ……死ぬのか? 俺……――ジェッツは自分でも驚くほど淡泊に、ただそう思った。
ガラス片の雨が、ジェッツをズタズタに――
ズッ……ズンッ。
何か硬い衝撃があって。
間もなく、遅れて届いた爆音が空気を揺らした。
パチパチパチパチ……
弾けるような音がそれに続く。
ジェッツが恐る恐る顔を上げると、目の前に〝PD〟と刻まれた巨大な社章が鎮座していた。
「……はぁん?」
その珍妙な声は問いかけである。「何が起きた?」と。
「攻撃されたようです、CEO。ご無事ですか?」
窓辺から外を見ながら、秘書の男がぽつりと言った。革靴がガラス片の山を踏む。
「あ、ああ……どうにか無事だ……」
ガラス片がジェッツに飛来したと同時に、窓辺に吊していた社章が落下して盾となっていたのだった。
「ハリネズミにも、首無しにもならずにすんだってとこか……」
位置とタイミングがわずかでも違えば、ガラス片に貫かれていたか、社章の下敷きになって首が落ちていたか……。
秘書の男に手を引かれ、底冷えを感じながらジェッツが立ち上がる。
「……攻撃?」
随分遅れて、ジェッツがぴくりと頬を震わせた。
「攻撃されただ?」
「はい。これは明らかな武力行使です。何か、長射程の――」
「んなことはどうでもいい! どこのどいつだこんな真似しやがったのは! あ゛ぁ?!」
CEO室の惨状を目の当たりにして、ジェッツのなかに遅れて激情が湧き上がる。
先ほどまで腰掛けていたデスクチェアは、ガラス片に切り刻まれてズタボロになっている。
デスクは重量物にも関わらず衝撃でひっくり返り、真っ二つに割れていた。
サインしたばかりの書類の山が、暴れ回った鳥の羽毛のようにそこら中に舞っている。
「このような破壊形態は、現代ののいかなる技術にも該当しません」
改めてじっくりと、最終処分場のような混沌と化した室内を検分し、秘書の男が呟いた。
砲弾を撃ち込まれたのではない。
爆薬が炸裂したわけでもない。
ただ、室内にあったものが、粉砕されただけ。
つまり、これだけの破壊をなしたのは、非物質兵器……。
そんな技術、〈霊石〉からもたらされる蒸気を動力源とするこの世界には、存在しない。
「……。……ははは……」
無価値と帰した瓦礫の山を踏み分けながら、ふいにジェッツが笑いだす。
「はははは……つまりお前はこう言いたいわけだな? こいつをやりやがったのは、地下に眠る大昔の糞迷惑な置き土産――〈蒸気妖精〉の仕業じゃありませんかと」
「はい。状況からの推察ですが。十中八九――」
ドガッ!
ジェッツが割れたデスクを力の限り蹴り飛ばした。
「十中八九どころじゃねぇんだよなぁ?! 一万パーセント〈蒸気妖精〉だっ!! 最初っからわかってんだよそんなこたぁっ!!!」
ふーっ、ふーっ……過呼吸になりながら、日陰にジェッツの肩が上下する。
「恐れていたことだ……ああ、こうなるのを恐れていたんだ、俺はっ! 大深度地下で、あの休眠状態の〈蒸気妖精〉を見つけちまったときから! 何で今なんだ畜生! あと半年早く見つかっていれば……一月遅く出ていれば! 何で! 今なんだっ!! あ゛ぁぁあっ!!」
足元に降り積もった書類を蹴散らし、乱れたジェッツがあらゆるものに当たり散らす。
地上百メートル。砕けた窓から乾いた風が吹き込む。
そして彼の姿が、初めて光の下に照らし出された。
ジェッツ・ヤコブソン。
短く切り揃えられた顎髭。
両側頭部のみ刈り上げにしたツーブロックヘアーをオールバックにして、パリッとした黒スーツを着込んだ男。
細く剃った眉の下には怒りに燃える凶暴な目。
そしてその両手、十本の指先には生爪がなく、代わりに黒鉄が埋め込まれていた。
一介の鉱夫組合の長……そんな堅気には、とてもではないが見えない人物だった。
「舐められたら、そこで終わりだ……」
ジェッツが、据わった目でボソリと零す。
「この俺に直接楯突こうって奴らには、俺が直々に手を下す……俺はそうやってのし上がってきた。今も昔も、それだけは変わらん。変えてはならん。それが俺の、絶対のルールだ……」
「では……高みの見物はここまでですか、CEO」
乱れた室内とジェッツを置いて、秘書の男だけがこれまでと変わらぬ調子で問いかける。
「ああ、そういうわけだが? 舐め腐ったモグラどもを炙りだす……。俺の〝計画〟の邪魔はさせん、断じて。お前にも精々、汚れ仕事に励んでもらうぞ……」
「はい、かしこまりました。ご指示とあれば、何なりと……」
秘書の男がジェッツに先回りして、エレベーターのボタンを押す。
エレベーターボーイよろしく待機している秘書の下へ向かう道すがら、ジェッツは割れた写真立てから取り出した写真をくしゃりと握り、それをそっとスーツの裏ポケットへ忍ばせた。




