3-3 : 路地裏の攻防
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ブリキの空き缶が蹴り飛ばされて、狭い路地を挟み込む壁をカランカランと弾み回った。
「あぁくっそ! やっちまった! ついカッとなった……!」
息せき切って走るサイハが、数分前のやりとりを思い返して悪態を吐く。
エーミールのお高くとまったもの言いと、すぐ隣で威勢良く喚いていたリゼット。
二人の女の空気についつい流されて、三下悪党じみた真似をしてしまった。
もっとやりようあったろうがと、誰よりもさっきの自分をぶん殴りたいサイハである。
「サイハァ! 何ケツ向けてやがンだこのヤロー!」
並走するリゼットががなった。
サイハが決め顔で宣戦布告を突きつけたことでリゼットは盛り上がっていたらしく、そんななかサイハがいきなり尻尾を巻いて逃げだしたものだから当たりが強い。
「あのオンナが売ッてきたケンカに! アタシらが売り返してやッたケンカだ! テメェだけ逃げれると思うなヨ!!」
「お前と関わってから碌なことがないんだよぉ! 一人でやってろ疫病神がぁ!」
「疫病神じャねェ! アタシは〈ノーブル〉で! テメェは操者だッて何度言わせやがンだバァカ!」
サイハの大声に、リゼットが輪をかけて噛みつき返す。
「〈ノーブル〉と操者はッ……えーッと、ナンつッたッけ……そーだ、いちれんたくしょー! どッちが抜けやがッても、ソレはケンカに負けるッつーことだ! テメェがよくてもアタシがよくネェ!」
「だから〈ノーブル〉って……操者って何なんだよぉ! くそったれぇい!!」
リゼットは明らかに、襲撃者と喋るカエル《ヤーギル》に関する情報を有している。追われる理由はどう考えてもそれ。
が、リゼットの言葉はあまりに感覚的で、それがサイハとリゼットの双方を苛立たせる。
「アァー……! イライラさせやがッて! フツー操者からリンク構築するモンだろが!!」
焦れったそうに頭を掻くと、リゼットが急停止した。ヒールがザリザリと砂を蹴る。
「立ち止まってる場合かよ!」と、振り返ったサイハが睨む。
「――イイかよく聞け、このバカが! アタシの権能は、〝形態制御〟!」
瞼かッ開いてよく見てろ! と、突き出したリゼットの手にあったのは、小さな〈霊石〉だった。
それをヒョイと、リゼットまるで氷砂糖を頬張るように口へ含んで、ボリボリと咀嚼しだす。
〈霊石〉は燃料資源である。たとえ天地がひっくり返っても食用になどならない。
「ちょ、何やってんだよお前……!」
サイハが「ぺっしなさい!」と駆け寄るより先に。
「……ウゲェマッズ! ゲロマズ!! オエェッ!!」
リゼットが悪態を吐きながら、噛み砕いた〈霊石〉をゴクリと呑み込んだ。
リゼットの瞳が、陽光にかざしたルビーのように赤く燃え、口から蒸気が噴き上がり――
「サイハ……《コード590、『そこから動くな』 》」
呪言が、告げられる。
「……うっ?!」
それ先の目抜き通りで、サイハがリゼットを振りきろうとした際に感じたのと同じ感覚だった。
リゼットに駆け寄ろうとした途上。右手と左足を上げたまま、サイハが固まる。
全身の金縛り。
『そこから動くな』という、リゼットの言葉そのままに。
「アー……〈ノーブル〉は……ナンて言やいいンだ……? グヌヌ……権能だよ、権能! ソレでわかりやがれ! そういうアレをアレしてだな、持ってンだヨ」
なにがしか説明しようとするも、語彙のないリゼットのそれは当を得ない。
「え? 何て?」
間抜けな片足立ちのまま、サイハがぽかんと訊き返す。
「ア゛ー、クソ! アタシの権能はこンな使い方しねェンだよフツーはァ! イッチイチ口で言わないとダメなバカが、管理者権限強奪まで使わせやがッて! これ奥の手なのにィ……!」
サイハよりも背の低いリゼットが、ヒールと背伸びでズイと顔を寄せてくる。
魔法のような金縛り、これがリゼットにとってはとびきりの隠し球だったようで、深紅の瞳が悔しげに揺れていた。
「よ、よくわからんが……てことはあの〈ノーブル〉も同じことができるって……?」
「違ェよ! 同じ権能は存在しねェ。クソガエルはアタシのとは全ッ然違う能力を隠してやがるッてコトだ。自分の権能自分でバラすバカな〈ノーブル〉がいるかヨ! バァカッ!」
サイハとの会話に齟齬が生じるたびに、リゼットが不機嫌な顔をする。先ほどがからゲシゲシと、リゼットの蹴りと拳が金縛り状態のサイハに降りかかっていた。
機械いじりと鉱石採掘に生きてきたサイハにとって、リゼットの話す内容はまるでお伽噺。
リゼットの〝権能〟なる、言葉一つで肉体を支配してしまう力には、全く理解が及ばない。
「あーもう! 何だっつんだ!? 想像してたより千倍はわけわか――」
頭から湯気を上げそうになっているサイハが、呻き声を上げたとき。
ブォンッ!
言葉を遮ったのは、唸りを上げる爆音だった。
サイハの記憶に既にある音。
聞き間違えようもない、蒸気エンジンの音……。
「――〈解体屋〉を見るのは初めてのようだね、サイハ」
〈グラスホッパー〉の咆哮と、エーミールの冷徹な声。
「私たちを甘く見ないほうがいい……元々は、周りが勝手に呼びだしたんだ――」
バリバリッ、ゴリゴリッ。
まるで坑道を掘り進める掘削機のような振動が続く。
「目標達成のためならば、いかなる障害も崩して突き進む……だから、〈解体屋〉とね」
〈グラスホッパー〉の履く、極太の金属車輪。
その表面から、無数のスパイクが突き出ていた。
高出力で回転するそれが、狭い路地の壁を容赦なく削りながら迫り来る。
「うげぇ?! 道をぶっ壊しながら走るバイクがあるかぁ!」
「逆だね。この〈グラスホッパー〉は見ての通り、規格外に大きいせいで通れない道のほうが多い。……つまり元々、そこに道なんてない。この子が通った後に道ができるんだ」
「澄まし顔で言う台詞かよ! 無茶苦茶か!!」
「ああ、自覚しているよ。これが〈解体屋〉のやり方だとね」
周囲の煉瓦を巻き込んで、瓦礫の山を築き、その上を踏み越え。サイハとリゼットの下へと、エーミールがぐんぐん迫る。右手には銃の鈍い煌めき。
ドンドン!
硬化弾頭の二連射が撃ち出される。
サイハとリゼットが左右にそれぞれ飛び退くと同時、二人が元々いた位置に弾丸が一発ずつ着弾する。
ジャキリッ。
三発目の撃鉄を起こしながらエーミールが振り向いたのは右。
サイハの方向。
「へっ……! やっぱオレかよ! さっきの『乳牛女』、気に入られちまったかなぁ!」
「あぁ、素敵な言葉をありがとう」
「どうせならもっと清楚で大人しい女にモテたいもんだ!」
「同感だね」
ドンドン! ドンッ!
引き金と撃鉄の動きが独立している単動撃発リボルバーは、引き金を引くと自動的に撃鉄が起きる連動撃発に比べて連射性能が劣る。
が、その不利を背負ってなお、エーミールの三連射は恐ろしく速い。
「だらぁっ!」
サイハのかけ声とともに、飛び散ったのは火花と金属の反射音。
サイハお手製、金属グローブ。
〝かっこいいから〟という理由だけで無駄に両の拳全体を覆う、これまた無駄に分厚い装甲が功を奏して、鉄拳がエーミールの弾丸を弾く。
しかし直撃こそ防いだものの、飛び退りながらの正面防御では弾丸の衝撃をどうにもできない。
直後、サイハはバランスを崩して転倒してしまう。
ジャキリッ。
六発目の撃鉄が起こされ、弾倉が回転した。
そしてエーミールは目撃する。
向けられた銃口を睨み返すサイハの顔が、未だ敗北を予感せず不敵に笑うのを。
「っ!」
駆けるバイクの右側面に乗り出してサイハと対峙していたエーミールが、左を振り返った。
瓦礫を轢き砕きながら走る〈グラスホッパー〉目がけ、白い脚が撓る。
「ハッハー! サイハに食いついたナ、オンナァ!」
躍り出たリゼットが、空中回し蹴りを放った。
「ちぃっ!」
紙一重。
咄嗟の判断。
仰け反ったエーミールの鼻先を、リゼットのヒールが擦過する。
「ナヌッ?!」
「これでぇ!」
ハンドルから両手を離し、車上に完全に寝そべった姿勢で、エーミールが引き金を引いた。
ドンッ!
発砲音と同時。リゼットが瓦礫を蹴りつけ、重力に引かれるばかりの落下運動から一転、ふわりと宙返りしてみせる。
その曲芸に、エーミールの軌道予測が狂い。
必中かに思われた弾丸が、標的を逃す。
「ちょこまかと……脚癖の悪い奴!」
思わず、エーミールの口から悪態が飛んだ。
スロットルレバーから手を離したことで、動力を遮断された〈グラスホッパー〉が自ら生んだ瓦礫にスパイク車輪を埋没させて停止する。
「六発! 今ので撃ち止めだ! エーミールぅぅぅ!!」
エーミールの動きが止まり、同時に銃が弾切れになったこの瞬間を好機と見て、サイハが飛び出した。
「イイとこ取らせて堪るかよ! ソイツにトドメブチ込むのはこのアタシだァ!!」
リゼットもそれに続く。我先に獲物にありつこうとする山猫のように。
それはチームワークなどではない。
互いが互いを囮にした、オレがアタシがのワンマンプレー。
バイクは停止。残弾ゼロ。
エーミールを丸裸にした。
二人とも、そう考えて疑わなかった。
エーミールがコートから弾丸を掴み出し、それを宙に放り上げるまでは。
「――ヤーギル! 高速再装填!」
ガツン!
エーミールが銃身を叩く。
ハの字に開いたフレームから空薬莢が一斉に排出される。
「ケロロォン!」
銃が気の抜ける声で鳴く。
そして開かれた弾倉から、見慣れぬ部品がペロンと生えた。
それはカエルの長い舌。
それがエーミールの放った弾丸を正確に捉え、向きさえ揃えて薬室に引きずり込む。
一連の動作は六連一瞬。わずか数秒にも満たない間に、弾丸がフル装填されて。
拳も蹴りも届かない間合いから、エーミールがリゼットへ照準を向けたのを、サイハは確かに見た。
ドンッ!
火薬の爆ぜる冷たい音と。
ビチャリ……。
液体の跳ねる音が聞こえ。
「っ……〈煙玉〉ぁ!」
直後、サイハが何かを地面に投げつけた。
掌に納まる、小さな金属球体。
表面には意図的に複数の切れ込みが入っていて、叩きつけられた衝撃でそこを基点に亀裂が走る。
ピシュー!
甲高い音を立てて、球体の中身である〈霊石〉から多量の水蒸気が噴き出し、周囲を塗り潰した。
目抜き通りで使用したのと同じ、蒸気煙幕。
しかし今回は入り組んだ路地内で風がなく、いくら待っても視界が晴れない。
エーミールには、サイハとリゼットがレスローの迷宮へ再び姿を消したのだけがわかった。
深い路地は、ここから更に無数の分岐を繰り返す。
常人による追跡は、ここが限界。
「ケロケロ! 右から三本目の路地へ、エーミール殿!」
が、銃は迷わずそう告げて。
『そのさき じゅーじろを ひだり。つづく てーじろを みぎで ありましゅ!』
続いた声は銃からではなく、エーミールの首元。
ネックチョーカーにぶら下げた、空薬莢のロケットから聞こえた。
ぴょこり。
ロケットの中から小さな顔を覗かせたのは、つぶらな瞳の可愛らしいオタマジャクシだった。
「ケロリロッ。我が権能、〝分霊付与〟! 弾丸でさえありますれば、弾頭だろうが空薬莢だろうが、小生の可愛い可愛い眷属を住み着かせますぞ! サイハ氏のバックパックには既に軟性弾頭を撃ち込んでおりますれば! その位置も会話も筒抜けであります!」
『そのとーりで ありましゅ!』
ヤーギルと分霊の会話に、エーミールが加わって状況を整理する。
「泳がせたお陰で、向こうの情勢は掴めた。権能は〈蒸気妖精〉一体につき一つ。リゼットの能力は恐らく、運動制御の類。嵌まれば厄介そうだけれど、あの二人では使いこなせないよ」
ポニーテールをさっと払って、エーミールが続ける。
「現状、喫緊の脅威にはあたらないと評価する。けれど、人間の生活圏に紛れ込んだ〝ヒト型〟は、存在自体を看過できない。よって当初の行動計画通り、リゼットの排除を継続する」
「ケロリロ! かしこまりまして!」
『いぎなしで ありましゅ!』
三者が方針を確認すると、エーミールは〈霊石〉を取り出した。
精神に感応することで高熱と蒸気を発生させるそれを、素手で一掴み。
すっと〈霊石〉を額に当てることわずか数秒。赤熱反応に至るより先に、バイクの燃焼室を開けて石を放り込む。蓋を閉めきる直前、〈霊石〉が燃え始めたのが一瞬だけ見えた。
サイハが数十秒から数分かけて、火傷しないよう革手袋までしてようやっとなせる〈霊石〉の燃焼反応を、エーミールは素手で瞬時にこなしてしまう。
ドルルンッ。
蒸気エンジンが唸りを強めたのを身体の下に感じて。
「面倒だ。最短距離で行くよ」
言うが早いか、エーミールがハンドルを左右に強く引っ張った。
ハンドルのロックが外れ、横一文字の形状であったそれがコの字に組み替えられる。
〝追い〈霊石〉〟によって圧力を高めた動力系が、車体に被さる瓦礫を掻き分け吹き飛ばす。
ほっそりとしたシルエットだった〈グラスホッパー〉が、仰々しい姿へと形を変えていった。




