忘れないでほしい
「……全く」
僕は、美沙ねえ――いや、黒崎先生と一緒に教室を出て屋上に来ていた。そして面倒くさそうに肩を竦めながら僕を真正面に立つと
「大体……理由は、察したけど」
僕にジト目を向けていう。
「あの時は、ああするのが一番だと思った」
僕は、黒崎先生の視線に耐えきれず目を逸らしながら答える。その答えに黒崎先生は溜息を吐くと、屋上から覗く広大な青空を眺めながら
「最近の貴方は目に活気も出てきて……少し、変わってきたと思ったんだけど」
僕はその言葉に何も返せない。それは間違いなく僕もそう思ってたことだから。そして、その変化の切っ掛けをくれたのは……。
『なんで、あの時手を上げたのよっ……あんな事しなかったら貴方がここまで苦しむこともなかったのにっ!!』
頭の中で、ついこの前の事が蘇る。そう……僕が中山に襲われそうになっていた山岸さんを助けた後のやり取りが僕の頭の中で再生される。山岸奏は、クラスで空気同然の存在である僕なんかの為に泣いてくれた。
あの時、僕は嬉しかった……何故だろう? 何故そう思ったのかは分からない。他人の気持ちや意図を大体察することは出来るけど僕自身のことは、全く分からない……我ながら面倒くさい性格をしていると思う。
だけどあの時は純粋に、友達になりたいと思った。
山岸奏は僕みたいな捻くれた人間とも、また僕の嫌いな人種とも違う。
山岸奏は裏表のない真っ直ぐな人間だ……だからこそ僕は
「山岸奏さんなんでしょ……」
そこまで考えていると急に黒埼先生が今思っていた人物の名前を口にした事で全身が固まる。
「集ちゃん、最近山岸さんと一緒にいるから」
そんな僕を気にも留めずに、優しく包み込むような微笑みを浮かべる。
「そろそろ、私が見守る必要はない。そう思ったんだけ、どっ」
そう言って僕の傍まで来ると僕の頭を思いっきり撫でてくる。小さい頃から僕に元気がない時よく、こうして撫でてもらっていた。
「いい?集ちゃん」
撫でたまま美沙ねえはいう。
「確かに集ちゃんのやり方は、間違っているとは言わない。社会に出れば……あんな事は別段珍しくもない」
そして僕を撫でる手を止め、僕と目線の高さを合わせてから
「だけど、集ちゃんはまだ若いんだ……。無理に大人の汚い部分に、今から染まる必要はないのよ」
僕はその言葉に息を呑む。誰かに言ってほしかったんだ……。このやり方は間違ってはないけど、正しくもない……。
「もう気づいてるんでしょう?」
僕は美沙ねえの言葉を黙って聞く。
「そのやり方では、もう通らないって事を」
美沙ねえの顔は真剣味を帯びていた……今僕の目の前にいるのは教師じゃなく、僕のたった一人の姉の顔がそこにあった。
僕は、美沙ねえに背を向ける……泣き出してしまいそうだったからだ。10年前のあの日から僕は家族はおろか、他人の前じゃ泣き顔を見せないようにしてきた。
最近の僕は……涙腺が緩いな。つい先日、山岸さんの前で泣いたばかりなのに。
背中に暖かいものが触れる……美沙ねえが背中に寄りかかってきたのだ。
「集ちゃん、忘れないでほしい」
美沙ねえの声はすごく穏やかで僕の心に抱えてる闇を少しずつ照らしていく。
「あのやり方を取ることによって、傷付く人間がいるという事を……」
けど、今更気付いたってもう遅い……。僕があの方法を取ったばかりに泣かせてしまった。そんなこと……今まで気にも留めなかった。
涙で霞んでいく視界の中で、僕は自分のやってしまった行為に深く後悔するのであった。
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