過去と現在で戦い続ける読者に未来を提示出来ない作者は、やがて追い詰められていく
今回は、作品の中で作者様と読者様の夢や願望を叶える、という行動について考察して行きましょう。
いやしかし、長いサブタイトルですね。これぞ「小説家になろう」ですよね(笑)!
とは言え、熟考を重ねた上でこれより良いサブタイトルは浮かびませんでした。そこは御了承下さい。
さて現在、「小説家になろう」で高い人気を誇っている作品は、異世界転生型のチート能力無双・ハーレム結成ファンタジーや悪役令嬢の追放・婚約破棄もの、悪徳勇者・幼馴染み等の他者からの仕打ちに対する"ざまあ復讐もの"等々です。
これらの作品は、不遇な環境に置かれていた主人公やヒロインが、与えられた能力や前世の記憶等を駆使して成り上がり、自らを迫害した者達に復讐したり、富や名誉、異性からの求愛等を勝ち取るというストーリーが基本線。
悪役令嬢ものの特徴は、貴族階級や権力者を中心とした舞台設定がなされている為、復讐の対象がヒロインより階級や権力が上にある者となり、どちらかと言えば社会的・組織的な怒りや不満に立ち向かう夢や願望を叶えるコンセプトに従っていると感じます。
職場の上司や、家事や育児に無理解な旦那様(笑)からのストレス等を解消する為の需要や人気が高そうですよね。
一方、異世界転生型のチート能力無双・ハーレム結成ファンタジーはもっとシンプルに、「小説の中くらいは強くありたい、異性にモテたい」という夢や願望を叶えるコンセプトに従っている様に感じます。
これは日常のストレスに止まらず、作者様や読者様が抱えるコンプレックスの緩和という意味での需要や人気も高そうですね。
そして、他者からの仕打ちに対する"ざまあ復讐もの"は、同情の余地の無いクズや悪党から理不尽な迫害や暴力・差別等を受けた主人公が、「時と場合によっては受けた傷以上の鉄槌を復讐相手に振り降ろしたい」という夢や願望を叶えるコンセプトに従っている様に感じます。
これは作者様や読者様が、かつて実際に受けたいじめや差別によって今も心の奥底に残る傷の癒し、或いはさ迷える哀しい魂の解放・浄化という意味での需要や人気が高そうに思えますね。
こういった作品の人気の傾向を分析すると、「読者も作者も現実逃避のキモオタだ!」とか、「ダサい奴が多い」等という批判が挙がりがちですが、そんな言葉では片付けられない、かなり戦略的な実情があります。
人気作品、流行ジャンルの作品を模倣して手軽に人気を獲得したい、流行に乗りたいという願望はあらゆる業界に蔓延しているものですし、プロット構築の過程で躓きやすい新人の作者様が、定型パターンの確立されたジャンルで習作するという流れもごく一般的に見受けられますからね。
ちなみに、私が「小説家になろう」に来て最初に完結させた作品、「貴方を救いたいという若者が何故か俺を殺る気満々なんだが」(←宣伝)も、主人公のトラック運転手が人を跳ねてしまって苦悩するという、「なろう裏テンプレ」から始まっているんですよ(笑)!
また、読者様の側に立ってみても、そういった作品を心から欲しているかどうかとは関係なく、単純にいつもランキングを賑わせている作品には興味を持たれるでしょうし、「復讐がエグい」等という評判を目にすれば、興味本意で他の読者様や作者様の心の闇を覗きたくなるものではないでしょうか?
現在の「小説家になろう」のランキングや流行に不満を持たれる方は多いかと思われますが、私達ユーザー全てが過去と現在の人生を戦い続けている限り、未来への夢や願望を叶えるコンセプトの作品が廃れる事はないと言えるでしょうね。
しかし、ここから私は声を大にして言いたいのですが、夢や願望を叶えるコンセプトに全身全霊で取り組んでいる作品と、お手軽な人気と流行を欲しただけの作品は、第1話を読んだだけでもすぐに判別出来ます。
どちらが良いとか悪いとかとは関係なく、判別は出来ます。
それは上記させていただいた「心の傷」や、「さ迷える哀しい魂」を圧殺しながら前を見ている作者様の姿が文章から滲み出るからで、例え両者に全く同じ文章を書かせても、全身全霊で取り組んでいる作者様は、その「心の傷」や「さ迷える哀しい魂」が改行のタイミングや句読点の位置をねじ曲げ、より心に突き刺さる怒りや哀しみを表現出来る文章になっているからなんですよ。
文芸に於いて、知識や経験が魂に為す術なく敗北していく瞬間ですね。
小説ではなく魂を読んだ瞬間……。
ある意味これがアマチュア小説最大の存在意義だと思います。
とある作品で、酷いいじめを描くにあたって主人公が虫を食べさせられるという表現がありますが、これは作者様が実際にいじめで虫を食べさせられた経験が無ければ生まれない発想でしょう。
似た経験をしている読者様の立場から見れば、作者様が自らの過去に慟哭しながらも敢えて選択したこの表現に心が震えて、「この作者様は本物だ、ついていく」と決断された方が数多くおられたはずです。
部外者の立場から見れば、「ああいう作品、願望が表に出過ぎていてキモいな」とか、「あんな復讐、やり過ぎじゃないのか」等と言った批判が生まれる事はおかしくありません。
しかしながら、該当作品に携わる作者様と読者様の一体感こそが、互いの「心の傷」や「さ迷える哀しい魂」の捨て場所に相応しいものであるとも言えますよね。
ですから、作者様と読者様の足並みが揃っている間は、幸せな形として見守るべきだと考えてみてはいかがでしょうか。
一方で、作者様の立場に立つと、自らの作品が評価され、多くの読者からの共感や称賛を得られた時に彼等の心は満たされていき、自分を苦しめてきた過去を許す選択肢が自らの心のウィンドウに表示されます。
その心境を"ざまあ復讐もの"作品に例えると、「残虐な復讐はここで止めよう、殺すのは一番悪い奴だけにしよう」等という、ある意味良心的な判断が可能になりますよね。
しかしここで重要なのは、読者様は人生でまだ何の称賛も得る事無く、自らの過去と現在で戦い続けているという事です。
怒りや哀しみを分かち合える大切な仲間が出来た事と、作品中の復讐の手を緩める事とは何の関係も無いのです。
ここで作者様が、人間としてはごく真っ当とも言える「復讐は何も生まない」といった気持ちを表現する事は、読者様から見れば「ヌルい裏切り者」の烙印を押されかねません。
実際、「周囲の批判に負けないで、徹底的に復讐して下さい」といった、懇願に近い感想が沢山見られます。
"ざまあ復讐もの"に限らず、自らと読者様の夢や願望を叶えるコンセプトの作品を手掛けた作者様には、過去と現在で戦い続ける読者様に、「自らが決断を下した未来」を、恐れずに提示しなくてはいけない義務があると、私個人は考えますね。
初心を貫いて読者様と夢や願望に心中する覚悟を見せるか、批判覚悟で自らの新たな決断による未来を提示するか、出来るだけ早急な実行が求められると思います。
何故ならば、読者様に未来を提示出来ない作者様は、例え作品自体に高い支持があっても、連載を続けながらその作品とともに追い詰められていく事になるのですから。
それでは最後に、私の作品、「幸運の剣士をあなたに。」から宣伝を兼ねて(笑)、実力以上に強くなった主人公が不遇な悪党を敢えて助け、彼に話した「未来」で本エッセイを終わらせていただきます。
『僕は18歳まで最悪な人生だったけど、19歳で最高の人生になった。でもそれは、ただの幸運のおかげ。誰にでもいつか訪れる幸運を信じて、1日でも長く生きていて欲しい。これを伝えるのにふさわしい人は、きっと他にいたと思うけど、今、目の前で救えるのがあなただけだった』
それではまた次回!




