私が「ざまぁ」や「追放もの」を書かない本当の理由
今回は色々と誤解を招く表現があるかも知れませんが、私個人としては真摯に考えています。
意見や批判には、誠意を持って応えたいと思います。
なろうユーザーの皆様、新年・明けましておめでとうございます!
私シサマも皆様と同じ様に、仕事や私生活では思い通りにならない事が沢山あります。
ですから、せめてこの「小説家になろう」サイトでは自分に快適なやり方を貫き、「信念・曲げましておめでとう!」とならない様に頑張りますよ(笑)。
さて、今回は新年1発目のエッセイとして、現在のなろうトレンド最前線であり、少なくとも新型コロナウイルスパニックが収まるまではその座を譲らないであろうと思われる、「ざまぁ」「追放もの」について述べたいと思います。
私個人としては、こだわりのある相互ユーザー様の作品を始めとして、「ざまぁ」「追放もの」の中にも面白い作品はあるという認識ですが、進んで読んだり、自分で書いたりしてみようとは思わないのが正直な所ですね。
昔のエッセイで述べたと思うのですが、ひとりの人間を否定するには余りにも弱い追放の動機であったり、それなりの地位を得る為に努力してきた人間とは思えない、敵役の薄っぺらさを認められないという点が、最大の要因です。
とは言うものの、自分自身が問題点を分析出来ているのであれば、そこを改善した「ざまぁ」「追放もの」が書けるはずなんですよね。
なろうユーザー様は、「ざまぁ」「追放もの」に、どうしようもないクズを完膚無きまでに叩き潰して欲しいという期待を寄せている方の比率が高いと考えられる為、私が欠点を改善した作品が受ける保証はありません(笑)。
それでも、トレンドに寄ったタイトルやあらすじで、少なくともPVだけは増える可能性がある訳ですから、自分に自信があるなら挑戦してみるべきだと考える方もいると思います。
しかし私には、「ざまぁ」「追放もの」を書かない、いや、書けない絶対的な理由がありました。
それは、「ざまぁ」「追放もの」を書くマインドというものが、私が鬱病に苦しんでいた時期のマインドと重なる為、私自身にとってその作品を書く事が無益、むしろマイナスに作用するという点です。
私はブラックな労働環境で働かされていた頃に、精神の不安定さや自殺願望・放浪願望に襲われ、職場放棄して川に入水自殺を図り、汚い川の水が余りにまずい為に目が覚めた(笑)という経験があります。
そこから心療内科の診断を受け、1ヶ月程休職して職場に復帰し、辞職前提で残務をこなし、辞職後は半年程実家でニート生活を送りました。
幸い、家族は職場の辛さを認識してくれていたので、家族仲が悪くなる事はありませんでした。
その環境で回復が早まり、元気を取り戻した私は社会復帰したくなくなってしまい(笑)、時折駄々をこねたりしたものの、早朝の力仕事アルバイトで心と身体のリハビリをこなし、介護の資格を取得して現在の仕事へと至ります。
その「鬱病期間」のマインドが、なろうに於ける「ざまぁ」「追放もの」のキャラクターやストーリーに見事にダブるのですよね。
まず、現実世界に於いて、「ざまぁ」「追放もの」の主人公の様に、努力をしていても結果が出せない、或いは貢献を過小評価される事でその立場を失うというイベントは、ままある事です。
ですが、努力をしている姿は周囲に知られていて、最小限でも貢献をしている人間に対して、組織全員が敵になる事はあり得ません。
多数決の意見に押し出される事はあっても、組織内に必ず理解者がいて、例え仕事をクビになっても、理解者を中心に少しはその後のキャリアに尽力してくれますよ。
しかしながら、これが鬱病期間のマインドに支配されると、自分以外が全て敵に見え、ありもしない最悪の事態ばかりを想像してしまいます。
例えば、顔が気に入らないという理由でクビにされる。
例えば、職場の先輩から見て、私が浪人までして大学に行かせて貰った事が悔しいという理由でクビにされる。
例えば、家族の仲がいい話をしたからこいつは苦労していない、だから許せないという理由でクビにされる。
……の様な妄想が頭を支配し、毎日が疑心暗鬼の連続。
その結果、信頼出来ない相手は勿論、元来理解者になってくれそうな同僚にも突き放す様な態度を取ってしまう事が、鬱病状態の人間にはあります。
勿論、全てのケースには当てはまりませんが。
なろうで「ざまぁ」「追放もの」を書く作者様は、まずは読んで貰う事。そこからのランキング好評価・或いは書籍化を目指して。
「ざまぁ」「追放もの」を読む読者様は、日々の軽い気晴らし目的で。
……そんな理由からのトレンドに、新型コロナウイルスパニックによる閉塞感が加わったのですから、なろうの現在の状況に対して危機感を抱いたり、何となくもやもやしたりする必要は無いでしょう。
とは言え、私は勝手に、作者様や読者様の中にかつての私の様なマインドに支配されている方がいないか、心配になる事もあるんですよね。
出版不況の中、ラノベ作家が生き残る為には、ヒット作を出し、一番搾りだろうと二番搾りだろうとヒット作を追従して行く事が求められる現実は、なろうから輩出された専業作家の大半の作品傾向を見れば分かると思います。
「ざまぁ」「追放もの」が自分の書きたいジャンルでは無く、あくまでプロになる近道として選んでいたとしても「もう遅い」。
また、なろうで「ざまぁ」「追放もの」を愛読されているユーザー様の中には、イチ推しの作品の更新期間が待てない間、ランキングから似た傾向の作品を読んで埋め合わせをする方もおられると思います。
しかし、その行為が尋常ではないスケールで行われているからこその現在のランキングであり、そこにはもう、日々の軽い気晴らしや暇潰しの域は超越している意思も幾らかは存在していると思うのです。
勿論、大半のユーザー様はあくまで趣味の範疇か、自身の腕試しの為に行動しているとは思いますよ。
しかし、時折感想欄に寄せられる、主人公の常識的な優しさや甘さを強烈に批判する意見を目にすると、私と同じ選択をするべきユーザー様も小数ながら存在していると考えてしまいますね。
その焦り、その怒り、抱えずに済む道もあるはずです。




