愛よ欲よ、願いよ怒りよ、今静かに眠れ
今回は、作者様の願望や欲望の形としての創作と、その最後に訪れるラストシーンについて考察したいと思います。
最近、もう何度目か分からないハーレム論争が、エッセイの議題に上がる様になって来ました。
ハーレム展開をはっきりと否定すると言うよりは、ハーレム環境に置かれたキャラクターの心情を分析したり、作者様や読者様の姿勢に疑問を呈したりする流れが主体で、以前の様な頑ななダメ出しや、上から目線の作者様への人格否定みたいな過激な流れは収まりつつありますね。
まあこれは、ハーレム展開が容認されたと言うよりは、躍起になって批判していた側が遂に諦めてしまったからなんだと思います。
作者様兼業ではない読み専の男性ユーザー様や、登録をしていない来客タイプの男性読者様の多くにとって、ハーレム展開とはチート能力や俺TUEEE、ざまぁ以上に重要なものであると言えるでしょう。
寧ろ、イケメンでも金持ちでもない主人公がハーレム展開を呼ぶには、最低限悪党に対して強くなければいけないだろうと言う妥協策としてチート能力や俺TUEEEがあり、何もしないのに学園のアイドルからモテまくる一部ラブコメよりは硬派だろと言う、照れ笑い的な主張もあると思うんですよね(笑)。
いやいや、俺はハーレム展開は好きだが、そこまで見くびられちゃ黙っていられねえな!という方、落ち着いて下さい。
ハーレム展開には、陰惨ないじめや復讐の描写を避けて通れない作品の雰囲気を軽く出来る利点もありますから、排除すれば作品の質が上がる、とか、排除すれば女性の扱いが良くなるとか、そんな単純なレベルの話では無い事は私も理解しています。
さて、こんな話をしている私自身ですが、ハーレムにもチート能力にも俺TUEEEにもざまぁにも全く興味はありませんし、そんな作品を書いてみたいとも思いません。
しかしながら、それらの作品を否定は出来ません。
私は一般作品に於いてはハーレム展開に全く興味はありませんが、アダルト作品であれば、Hなシーンが多そうなハーレム展開には、ついつい期待してしまいますからね(笑)。
これはつまり、ハーレム展開を、アダルト作品限定としての「実際にあってはいけない、後ろめたいもの」として認知しているからなんです。
小説投稿サイト内で、不特定多数のユーザー様と意見交換したりする様なものでは無く、お金を出して買った小説を、罪悪感を感じながら一人で隠れて読むものである、という認識なんですよ。
ライトノベルにおける、「ハーレム展開」 が好きではない男性ユーザー様の殆どは、自身を律する為に、私と同じ様な価値観を捨てたいと思わない事が、その理由に当たると確信していますね。
結局の所、テーマやコンセプト、対象読者層が違うだけで、私の作品もハーレム展開作品も何の違いもない、ただの「なろう小説」に過ぎないのです。
創作には、作者様の願望や欲望等が反映されると言う現実は、否定する事が出来ません。
所謂ネガティブな意味で「なろう小説」と揶揄されるジャンルの作品は、作者様の願望や欲望が読者様のそれと重なる部分が多い為、良くも悪くも無駄の無い、強力なオーラを放ちます。
書きたい事を勿体ぶらずストレートに提示する為、Web小説で重要とされる「サクサク読める」読み心地は実現しているのですが、その結果、読者様が求めていない部分はあっさりと読み飛ばされる傾向も呼んでしまい、やがて自身のこだわりや、解釈の分かれる微妙な正義などの表現を諦める作者様が現れ始めるんですよね。
私は今まで、それなりに「なろう小説」に寄せた作品を書いていた作者様が、伸び悩むブックマークやポイントを嘆いた結果、信じられない程に文章とストーリーのレベルを下げた作品を書き始め、その恥ずかしさに耐えられず自ら作品を消去したり、最悪自分自身を恥じて退会する姿を何度か見送っていました。
ハーレム展開や俺TUEEEと作者様の願望や欲望の話をすると、「願望や欲望丸出しみたいな言い方はしないで欲しい。自分は別にハーレムを望んでいるから書いているんじゃなくて、なろうで受ける作品、読者に読んで貰える作品を書かないと意味が無いと思うから、ハーレム展開も入れているだけだよ」という意見が返って来ます。
好きでもないものを、受ける為、読んで貰う為に書いているというその事は、承認欲求の願望や欲望丸出しとは言わないのでしょうか?
それこそ、自分を恥じて退会してしまう事があり得る程の……。
私は、自分の書きたい作品を書きたい様にしか書いていませんが、それは決して正しい道では無く、自己顕示欲の願望や欲望を丸出しにしている証明でしか無いのです。
アマチュアでいられる間だけ「初心を忘れていない」、「ブレていない」と評価されるかも知れませんが、それだけなのです。
こうして、どの様な作品にも作者様の願望や欲望が提示され、多くの読者様の願望や欲望も巻き込みながら、それでいて感想欄トラブル等が無い限りは、穏やかに作品が育って行きます。
不思議な世界ですよね。
しかし、余りにも多くの願望や欲望を巻き込んでしまった作品には、終わらせる事が出来ないという、最後にして最大の問題が立ち塞がる事になります。
ハーレム展開の場合、主人公は最後に誰を選ぶのか?
俺TUEEE、ざまぁの場合、最後の敵をいつ倒すのか?
倒した後も、強さをインフレさせながら作品を続かせるのか?
この段階で、作者様にしっかりしたプロットがあり、どうしても書きたいラストシーンがあれば、作品を完結させる事は容易であるはずです。
しかしながら、この作品が作者様の書きたい事よりも、「小説家になろう」サイトで受ける事を優先していた作品であれば、ランキングや書籍化を睨んだ結果、連載を引き延ばす選択をしてしまう事がありますよね。
終わらせるタイミングを逃した作品は、根強い読者様に支えられて暫く人気は保てますが、厳しい読者様にはハーレム展開や俺TUEEE、ざまぁの限界を指摘され、またひとつ、ハーレム展開等への批判のネタを提供する事になってしまうのです。
私自身は、現在連載中の2作品と短編以外の連載は全て完結済み。
だからこそ言わせて貰うのですが、作品を完結させる時のラストシーンは、作中ではブックマークやポイントを気にする余り、なかなか自分の思い通りの展開に踏み切れなかった作者が、最後の意地を見せられる最高の舞台です。
このラストシーンに、自らが創作のモチベーションとして抱えてきた願望や欲望、作品への愛情や、時に感じるサイトのシステムや辛口の読者様、そして自身への怒り、全てを捨てて眠らせる事が出来るんですからね。
作者として、自身の作品のラストシーンを描く事が出来ないのは最大の不幸です。
ラストシーンに、抱えてきた愛と欲、願いと怒りを眠らせる事で、それまでのどのシーンにも無い深い余韻と、豚骨醤油ラーメンにとどめを刺してしまう魚粉の様な微細な味わいが満ちるのですから(笑)。
この連載作品ならではのラストシーンの微細な味わいは、どんな作者様のどんな作品からも感じられ、読み専の読者様が完結にこだわる方が多く、期待していた作品がエタるとわざわざレビューで失望したりする理由は、間違いなくここを味わいたいからという点にあると思います。
賛否両論を避けられないジャンル選択や、自身の願望や欲望を揶揄されながらも突き進む、決して楽しい事ばかりでは無い創作道。
全ての作者様が、ラストシーンに全てを眠らせて欲しいと祈っております。




