書きたい小説を書いて、心の中に住む古い友人との約束を守りたい
今回は、「小説家になろう」サイトで活動を続ける作者様であれば、必ず1度は悩みの種になったであろうと思われる、「好きなものを書くべきか、売れる(読まれる)ものを書くべきか」という選択について考察してみたいと思います。
先日、私の書いた短編小説、「失恋した時に読むラブストーリー」が、読者様や相互ユーザー様の支持のお陰で「恋愛(現実世界)」ジャンルの日間ランキング62位まで上昇しました。
ポイントを入れていただいた方、感想を下さった方、目を通して下さった方に、深く感謝の意を捧げさせていただきます。
この作品は、私の高校時代の経験を元に書かれた作品であり、一見切ない失恋物語に見えますが、タグに「ハッピーエンド」が含まれている様に、登場人物2人の再出発を明るく照らす、希望の物語でもありました。
私自身がこの経験の後、学校の女性陣から男気を大いに認められ、純粋に女性の友達が増えましたし、私がバンド活動をしていた事もあり、ライヴに女子高生の団体が参戦して、ライバルバンドを嫉妬の炎で焼き焦がす経験が出来た事は、今でも良い思い出です。
私はミュージシャンをしていたとは言え、オタク趣味を持つ冴えないタイプの男でしたから、女性の友達は本当にただの友達だったんですけどね。
普段の私の実力ではそうそう近寄れない、「恋愛(現実世界)」ジャンルにランクイン出来た事で、私は自然にランキング作品を色々と読む経験が出来ました。
そして、激戦区のランキングを調べる事で今話題の「短編ガチャ」を始めとする、ランキング至上主義による弊害の真実も、しっかりとこの目に刻む事が出来たのです。
私個人は、「短編ガチャ」をはじめとする、ランキング至上主義による弊害を全て取り除くべきだとは考えていません。
一部のプロ作者様がその手法で延命を模索し、それを支える読者様も多数存在する現状に於いて、そんな改革はまず不可能でしょうし、混沌とした自由競争もある程度残しておかなければ、広告で成り立っている無料サイトは維持出来ませんからね。
しかしながら、私個人の見解としては、「短編ガチャ」の姿勢を崩さない作者様は、自分の書きたい小説を書いてはいませんでしたよ。
文章を読んでも、連載を決断するレベルのポイントが入るまでは本気を出さずに、随所で手を抜いている事が窺えましたし、連載が始まっても、30000文字程書かれた時点でポイントが10000に満たない作品からは、徐々に手を引いている傾向も見られました。
この様な傾向を、良いとか悪いとか議論しようとは思いませんが、書きたい小説を書かずに、PVやポイントの計算に囚われて複数の小説の命が奪われて行く事は残念です。
例えば、タッチの差で似たアイディアを考えていた別の作者様が、先に出た作品のパクり疑惑を懸念して先人に道を譲った後、その作品が納得の行かないPVやポイントという理由で放置されてしまったら、そのアイディア自体が死んでしまいます。
別の作者様が、そのアイディアで再び勝負しようと思っても、読者様からの印象は「最近短編ガチャして失敗した作品のパクり」という、最悪なものとなる訳ですからね。
かく言う私自身は、元来自分の書きたい小説を書く事だけを考えて、この「小説家になろう」サイトに来ており、今もその姿勢に特に変化はありません。
強いて言えば、私自身が長文で投稿する意味があると考える小説以外は、1話あたり3000文字レベルの投稿を心掛ける様になった程度で、内容に関しては読者様を優先した小説を書いてはいませんね。
そもそも私は、所謂「なろうテンプレ的作品」を書いてはいませんが、テンプレ的要素をわざと外す様な真似はしていません。
基本的にハッピーエンドが好きですし、ご都合主義的な展開もあります。
また、女性キャラクターも作品に必要であればガンガン出します。
私が読者様を優先した小説を書いていないのは、ストーリーが進むにつれて、必ずどんな読者様の好みにも該当するシーンや展開が含まれていると確信しているからですね。
この「唯我独尊」エッセイには、例え★5つの評価をしていても、次のエピソードがつまらなければ、その瞬間に評価を★4つに下げる厳しい読者様がおられます。
つまり、私が短編ガチャや人気作品のパクりに挑戦した所で、評価は上がるどころか下がる事は明白で(笑)、私がやるべき事は毎回毎回全力を尽くす事だけなんですよ。
とは言うものの、自分の書きたい小説を書いていても、書き続ける事に明確な信念が無ければ、目先のPVやポイントに一喜一憂してしまう現実がある事は否めません。
作者には、「書き続ける事で自分にいい事がある」という実感が必要なのです。
以前にこのエッセイでも述べましたが、私は小説のアイディアをノートやスマホにまとめたりはせず、全て自分の頭の中で管理しています。
こうする事により、日々の暮らしや仕事に振り回されて消えてしまう様な貧弱なアイディアは忘れ去られ、ちょっとやそっとではブレる事の無い、図太いアイディアだけが頭に残されるんですよね。
図太いアイディアというものは、結局の所オーソドックスなアイディアが多くなるので、私の小説には、所謂「大どんでん返し」みたいなものは余りありませんし、オーソドックスなアイディアが基本となれば、残酷描写や性表現と言った、刺激で勝負する作品は作りにくいと言っても良いでしょう。
だからこそ私は、「年齢制限無し」の作品を書き続ける事に誇りを持っています。
私が書き続けている連載作品は、キャラクターや世界観のアイディアから遡ると、既に3年程前から構想をぼんやりと練っていました。
最新のエピソードに書かれているシーンは、かれこれ2年前から頭の中にあり、心の中に住むもうひとりの自分に、「いつか書けるといいな。絶対書けよ」と励まされながら、遂に作品としてこのサイトに残す事が出来たのです。
勿論、私の頭の中には3年前から練られているアイディアが沢山あります。
それら全てを無駄にせず、周囲に惑わされずに作品として残す事は、心の中に住む古い友人との約束を守る事なんですよ。
そんな考えは自己満足だ、読まれなければ意味がないという意見もあるでしょう。
しかしながら私は、過去にエッセイで述べた様に、いじめを乗り越え、就職難を乗り越え、鬱病を乗り越え、ニート期間を乗り越え、資格を取って正社員になった上で今の作者としての自分になっています。
私が短編ガチャやパクり疑惑について、懸念はしても文句は言わない様に、私の姿勢にも文句は言わせません。
私の連載小説は、まさに自分の書きたい小説でしかなく、200000字の時点で僅か8ポイント、ブックマークは1でしたが、400000字の現在は88ポイント、ブックマーク12となりました。
この88ポイントは、やがて絶対に揺らぐ事の無い、心の中に住む古い友人となる事でしょう。
書きたい小説を書いて、自分自身だけでなく彼等との約束を守りたいと強く思います。
それでは最後に、「書きたい小説を書き続ける事で得られる、自分にとっての良い事」とは一体何なのでしょう?
それは、自分の頭の中に詰まっている創作活動への夢や希望が、作品に姿を変えて昇華された瞬間、頭の中に空いたスペースに、また新たな夢や希望が詰め込める事だと思います。




