「たった数人の選ばれた人間が世界を救う」というセオリーを疑う事が、ファンタジーを信じるという事
今回は、「ご都合主義は是か非か?」をテーマに考察して行きましょう。
私達がこの「小説家になろう」サイトで作品を投稿する活動を行う中、結論から言えば、フィクションの物語を成立させる以上、最低限の「ご都合主義」は必要不可欠であると私は考えています。
例えば全く無能扱いの主人公を、ストーリーの展開上、出会ったヒロインにアピールさせておくという理由だけで悪党相手に大活躍させたとしましょう。
この程度であれば多くの読者様から見て、「主人公らしい底力だな」と、特に問題なく受け入れられると思いますが、ご都合主義を嫌う読者様からすれば、「せめて訓練する描写くらいは入れておけよ!」という気持ちになり、作品の好感度に影響するかも知れません。
しかしながら、「ご都合主義」とも取られかねない展開は、現実の世界にも多々存在しているのです。
私はプロサッカーが好きでよく観るのですが、来日してから全く結果が出せず、チームのブレーキになっていた外国人ストライカーが、奥さんとお子さんが来日した試合で2ゴールなどという現実がままありますね。
チームの連携が深まった、芝生とスパイクがジャストフィットした……といった理由もあるかと思いますが、何より家族の来日でコンディションとモチベーションが上がったと考えるのが妥当でしょう。
時と場合によっては、「ご都合主義」は理屈で説明出来る「現実」となるのです。
とは言ってみたものの、フィクションの世界でも行き過ぎたご都合主義というものは確かに存在しており、元来そのご都合主義が魅力のひとつでもあったはずのファンタジー小説に於いても、批判が絶える事はありません。
無能に思えた主人公や、ギャグやハーレム重視で集まったパーティーが初仕事から目標達成までストレスフリー展開で進まなければならないとなると、余程のコメディーぶりで惹き付けない限り、ご都合主義への批判を封じる事は出来ないでしょうね。
近年では「ゴブリンスレイヤー」に影響された様な、熟練していない冒険者の無謀な楽観を戒める様な、ご都合主義を抑えた現実的な「痛み」の描写を加えた作品も増えてきました。
この現象は、日本に於けるファンタジー小説の読者層が10代や20代にとどまっていない現実を考えれば、むしろ原点回帰の兆しがあるとも言えそうですね。
ところで、実は私は今日、とあるユーザー様のレビューを見た事がきっかけで、投稿後「その他」のジャンルの上位を長きに渡ってキープし続ける名作、『勇者「魔王倒したし帰るか」』を初めて読ませていただきました。
これだけ長きに渡ってランキング上位をキープし続けている作品であれば、万人向けの無難な作品だろうと考えていたのですが、そのレビューから伝わる想いは強烈で、即座に読む事を決意し、衝撃を受けたのです。
ネタバレを避ける為に詳しい解説はしませんが、ファンタジーやRPGの世界で私達読者やプレイヤーが漠然と持っていた幻想を打ち砕く、乾いた悲劇が展開されています。
更に本編に追加された手記を読み進める内に、乾いた悲劇に追い討ちをかけるやるせない潤いが追加されて行く感覚を味わった私は、その時点で★5つの評価を入れさせていただきました。
作者様はこの作品について、「ご都合主義的な不都合作品」と説明しています。
考え得る限り最悪のバッドエンドに向けて、登場人物の行動や心情、世界観の背景を隅々まで計算して作り上げた、ある意味では「一大逆張りヘイト絵巻」とも取れる作品です。
そのヘイトが作者様の心の底から沸き上がる「何か」に対してのものなのか、単純にファンタジー小説やRPGのご都合主義や綺麗事にうんざりしていたのかどうかを、赤の他人が詮索してはいけないと思います。
ただ、本編で主人公である勇者の口調から覗いていた「ヘイト感」を浄化するかの様に、後半の手記ではやるせなさを堪えた未来への視線が哀しくも美しい詩情を紡ぎ出しており、この手記の部分は、ファンタジー界の「火垂るの墓」とでも命名すべき作品であると言えるでしょうね。
一度読めば脳裏にこびりつくので、正直繰り返して読みたいとは思いませんが、誰もその存在価値を疑う事は出来ないと思います。
さて、今挙げさせていただいた「ご都合主義的なファンタジー作品」と、「ご都合主義的な不都合作品(逆張り)」は、内容的には対照的と言えますが、実はどちらも全く同じきっかけから始まっているんですよね。
「たった数人の選ばれた人間が世界を救う」というセオリーへの疑問です。
現在ではやや食傷気味に感じる事もある「ご都合主義的なファンタジー作品」ですが、これらの作品も元を辿れば、5人のパーティーで世界が救えるのなら、5人に分散していた能力を主人公1人に集めて、後は可愛い女の子を集めたらもっとストレスフリーで楽しいんじゃね?という、ある意味「作者様から読者様への善意」から生まれたものであると言えます。
また、「ご都合主義的な不都合作品」も、自らの人生経験等を反映した作者様が、5人やそこらの選ばれた人間だけで世界が救えるって、どういう事だよ!という、権力者の無責任な姿勢や矢面に立たされる人間の悲哀を「作者様から読者様への善意」として描き切ったものであると言えますよね。
つまり、一見対立して互いの作風を批判する材料になりがちな両者は、実はともに並び立たなければ意味が無いのです。
どちらかのスタイルでファンタジー小説を書いている作者様や、どちらかのスタイルのファンタジー小説しか読んでいない読者様は、是非とも両者を読み比べて欲しいと思います。
何故ならば、その両者のブレンドこそが、本来あるべき姿の「ファンタジー小説の王道」であるはずなのですから……。




