蠱惑の魔女
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ラウラは自分の部屋に戻り、ため息をついた。
髪をほどいてそのままベッドに倒れ込む。
あれから、フィデリオと共にロクセラーナについて考え続けたが、答えは見つからなかった。
古い記録を読んでも、魔女や悪魔の類はほとんどが勇者や祓魔師によって退治されていたということしかわからない。
誓約書を交わす記述もあったが、互いに対価を与え合う必要があり、相手に何かを差し出すことができなければその契約は成立しない。
魔女に誓約書を書いてもらうことすら難しいことなのに、こちらが何かを差し出すことなど到底不可能だった。
捕まえたという記録のひとつは、読み進めるうちに内容があまりにも残虐すぎて、ラウラは途中で読むのをやめてしまった。
「困ったな……」
ラウラは無意識に呟き、枕をぎゅっと抱きしめる。
私は屋敷から追い出されたけど、ロクセラーナから危害を加えられてはいない。
それに、彼女をどうにかしてやろうとも思ってない。
じゃあどうすればいいの?
バルウィン領を抱えるトーア国には、魔術を専門的に研究する機関がない。
国王に知らせたところで、王宮の者たちが魔女の魅力に翻弄されてしまっては事態は深刻だ。
もちろん精霊の石を渡すわけにもいかない。
ラウラは枕を抱えたままイヤリングをはずして光に透かした。
青紫の不思議な光がキラキラと揺れている。
その光を見つめながら、地下牢で交わしたロクセラーナの言葉を思い出す。
――あたし、魔法使えないし何もしてない。ただ愛する人と一緒にいただけ
彼女はそんなことを言っていた。
フィデリオ様のことでからかわれたけど、あの言葉には嘘がないように感じる。
精霊の石を異常に嫌がってたから、ここから出て行きたいというのも本当なのだろう。
ラウラはイヤリングをナイトテーブルにそっと置き、枕を握りしめながら目を閉じた。
明日もう一度ロクセラーナに会いに行こう!
彼女が成長しているのではないかという疑念も確認したい。
もう一度話せば……きっと、何かわかるはず……
ラウラは大きく伸びをして、ベッドの上で丸くなった。
そのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
――北の塔
ドンドンッ
「……れかぁ……たすけ……」
塔の外にいる看守が扉に耳をつける。
「たすけて……いたぁい……」
微かな泣き声が、塔の中から聞こえてくる。
この塔から声がすると言えば、まちがいなくあの少女しかいない。
バルウィン家から、めずらしく守護団に依頼が来てから二日が過ぎた。
塔の中に居る『罪人』の対応が決まるまで、監視をしてほしいという依頼だった。
屋敷に侵入した『国に登録していない魔力保持者』を捕らえたと聞かされていたが、閉じ込められているのは小さな子供だ。
今日、この屋敷のラウラという少女を塔の中に案内した時、ほんの少しだけ姿が見えてしまった。
地下にいる少女は、訪ねてきた少女よりもかなり幼く見えた。
そして今までに見たことがないくらい、美しい子供だった……。
看守の男は、塔の扉にぴったりと耳をつけた。
あんなに小さな子供が、本当に危険な魔力保持者なのだろうか?
いままで子供の魔法使いがいるなんて聞いたこともない。
交代の看守の話を合わせると、この二日間、一度も食事も水も運ばれていないことになる。
罪人だと仮定しても、あんな幼い子にそんなことが許されるのだろうか……。
「おねが……あしが……たすけて……」
再び、弱々しい声が聞こえてきた。
この塔には地下への階段があり、その手前にもうひとつ扉があった。
この入り口を開けるくらいなら、きっと問題ないだろう。
もし少女に何かあれば、バルウィン侯爵にとっても良いことはないはずだ。
看守は手持ちのランプに灯りをともし、入り口の鍵をはずした。
ずっしりと重い細工の鍵を横に置き、ゆっくりと扉を開く。
今までに嗅いだことのない甘い匂いが、扉の隙間から流れでる。
そのあまりに芳醇な良い香りに、看守は無意識に扉を大きく開いた。
廊下の奥は真っ暗で、目を凝らしても何も見えない。
ひんやりとした空気と、頭の中が痺れるような甘い香りが足元をふらつかせる。
「えーっと、私は看守です。何かお困りですか?」
看守は廊下の奥に向かって声をかけた。
「だれか……いるのぉ?」
さらさらとシルクの上を滑るような、美しく可憐な声が聞こえてきた。
看守はごくりと唾をのみ、塔の中へ足を踏み入れてしまう。
「はい」
「よかった……転んで……足を怪我してしま……の、折れて……かも……はぁ」
その可憐な声は、今にも消え入りそうなほどに弱い。
余程痛みを感じているのか、呼吸がかすかに乱れているのがわかる。
看守は居たたまれない気持ちになった。
少女が一人で苦しんでいる。
いくら罪人とはいえ、怪我をしたまま放っておくのは倫理に反する。
しかも何日も食事も与えていない!
いくらバルウィン侯爵とはいえ、これはありえないだろう。
「今からそちらに行きます!」
看守はランプで足元を照らしながら、廊下を進んだ。
甘い香りはどんどん濃くなっていく。
足元がふらつく。
階段を降り、地下牢の扉の前に立った。
「すぐに開けますから!」
「ありがと♡」




