魔女の噂話
婚約? フィデリオ様が?
私がこの屋敷に来る前、カール侯爵家との縁談を一度断ったと聞いたことがある。
数年経って気が変わってしまったの?
魔女に追い出された私を待っていてくれたことが嬉しくて、自分のことばかり考えてた。
フィデリオ様の変わらない優しさに、無意識に甘えていたのかもしれない。
あの首飾り、本当は迷惑だったのかな。
どうしよう、手が痺れたみたいに動かない。
胸の中が重くて息が詰まりそう……。
ラウラはロクセラーナのじっとりとした視線に、ため息さえ出せなかった。
身体中が真っ暗な靄で埋め尽くされているような感覚になっていた。
「ねえどうしたの? まるで失恋したみたいな顔しちゃって。その表情たまらないわね」
「……大丈夫です」
「ふぅーん」
下からラウラを見上げていたロクセラーナが、背中まである長い髪をはらった。
満足げな微笑みを浮かべ、ソファに腰を下ろす。
「ねえ田舎娘。もしかして身分の差とか気にして何も言ってないの?」
「……そういう以前の問題です」
「好きなら関係ないじゃない?」
「……尊敬しています」
「ふっ我慢してんだー、あんた最高ね!」
ロクセラーナの唇から真っ赤な舌がちらりと見えた。
魔女はどんどん上機嫌になっていく。
話す気力を完全に失ったラウラは、大きなため息をついた。
「ああ楽しいわーで、他にまだ何かあるの?」
「あ、聞くことが……」
なぜ自分だけを追い出したのか? その理由を聞こうと思っていたラウラだが、もうどうでもよくなっていた。今はここに戻ってこられたのだから、聞いても意味がない。
「なあに聞きたい事って?」
「……どうして、私だけこの屋敷から追い出したの」
声に力が入らない。
「ああそんなこと。あんたが『聖女』なんて呼ばれてそんな石持ってるから、てっきり聖女を騙る偽物だと思ったのよ」
「……だから偽者って?」
「そうよ。あんた、あたしと似てるじゃない?」
似ている?
今の天使のような姿も、魔女の姿だったロクセラーナにも、自分を重ねられる部分は一切ない。
ラウラは少しだけ眉をひそめた。
「まあいいわ。だからあんたが邪魔だったの。でも本当に最悪よ! あいつ、ヴェル国で見た時は『精霊の石』つけてなかったんだもん、騙されたわ」
「え……つけていなかった」
ロクセラーナの言葉に、ラウラの背中に冷たいものが走った。
やっぱり迷惑だったんだ。
一人で調子に乗っちゃって馬鹿みたい。
フィデリオ様は貴族で、この土地の領主。
毎日顔を合わせて、ただ話せるだけで幸せだったのに。
欲張りになっていたんだ私……。
ラウラは冷たくなった指先をぎゅっと握りしめる。
そのとき、意地悪な笑みを浮かべていたロクセラーナが、突然視線を上に向けた。
何が起きたのかと思った瞬間、その美しい顔が一瞬で苦々しい表情に変わる。
「うわ最悪! ねえ、もういいでしょ。出てって!」
「え?」
「あいつがこの塔の近くに来てるの。寒気がする! 早く帰って!」
「あいつ?」
「いやあああぁぁぁーーーーーーー!」
突然、魔女は大声で泣き始めた。
澄んだ声が部屋中に響き渡る。
ラウラが耳をふさいだ瞬間、魔女は机の上のトレーを鉄格子に向かって投げつけた。
金属のぶつかる大きな音が、地下の部屋に反響する。
間もなく、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「ラウラさん? 大丈夫ですか?」
「はい大丈夫で……」
「うわああああああああんん」
ラウラの返事をかき消すように、ロクセラーナはさらに大声で泣き始めた。
扉の鍵が開く音が聞こえ、看守が顔だけ覗かせる。
「大丈夫ですか? 手助けが必要であれば人を呼んできます。中には入ってはいけないと言われているので」
「大丈夫です。もうここを出ます」
ラウラが返事をすると、ロクセラーナはぴたりと泣き止んだ。
ピンク色の美しい瞳には、涙一粒さえ溜まっていない。
「もう二度と会うことはないわね。たくさんありがと聖女ちゃん」
「……また明日来ます」
ロクセラーナはラウラの言葉を鼻で笑い、追い払うような仕草を見せてベッドにもぐり込んでしまった。
その姿を見届け、ラウラは地下牢を出た。
階段を上りながら考える。
あいつが来てるって言ってたけど、フィデリオ様がこの塔に?
そんなわけない……。
看守と一共に廊下を抜けて塔の外に出ると、不安そうな顔をしたフィデリオが立っていた。
「フィデリオ様……」
「ラウラ、大丈夫だったかい? やはり心配で来てしまったよ」
フィデリオの優しい声に、ロクセラーナから聞いた婚約話が頭をよぎる。
胸が苦しくなり、ラウラはただ頷くことしかできなかった。
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