蠱惑の魔女
バルウィン家の屋敷がある高台を下り、ラウラは市街地に出た。
お気に入りのパン屋でパンとチーズを購入したあと、その足で町はずれの宿屋に向かう。
受付で二日分の宿代を先払いすると、宿屋の女将さんから小さな林檎を二個貰った。
お礼を言いながら階段を上がり、二階の角の部屋へ入る。
日当たりの良い部屋に一瞬喜んだラウラだったが、すぐ窓に向かいカーテンを引いた。
更に扉の鍵を閉め、前に小さなチェストを移動させる。
この場所でも何が起こるかわからない、用心の為だ。
ラウラは、テーブルの上に置かれている冠水瓶からグラスを取り、水を注いで一気に飲み干した。
まだ、あの香りが喉と鼻の奥にへばりついているように感じる。
宿屋の女将さんからもらった小さな林檎に歯を立てると、瑞々しい香りと果汁が口の中で広がり、思わず頬を押さえた。
あっという間に一個食べ終え、残りの一個はワンピースの袖で皮を磨いて、グラスの横に置いた。
「あー疲れた……」
小さなため息をつきながら椅子に座り、分厚い本をテーブルの上に置く。
この本は、ラウラが王宮を出るときに師であったランプロスから渡されたものだ。
原本は王立図書館に保存されているのだが、それをランプロスが全て手書きで写したのだという。
装丁の革張りも、背表紙の金の箔押しも手作りだ。
王宮に行った10歳の頃、勉強用にと渡され、ずっと読み続けていた。
表紙の革は色が変わり、魔法の基礎理論や呪文について書かれているページはよれている。
裏表紙には悪魔の種類を一覧にした目次があり、その部分は他と比べて綺麗だった。
ここは、聖女になってから勉強すればいいって言われたっけ……。
ラウラはまた小さなため息をつき、表紙を下に向けて裏表紙を開いた。
悪魔の名前がびっしりと書かれている中、魔女の項目を探す。
まさか、ロクセラーナって本当の名前じゃないよね?
そう思いながら、魔女の名前を一つ一つ確認したラウラだったが、やはりロクセラーナの名前は見つからなかった。
あとは、あの甘い香りや妖艶な容姿の特徴か……。
もう一度最初からページを捲り、似たような特徴の魔女がいないか確かめていく。
最後まで確認したが、数々の魔女の行為にただ嫌悪感を覚えるだけで、ロクセラーナらしき魔女は見つけることができなかった。
ラウラはグラスに入った水を一口飲み、白紙のページを捲る。
「ん?」
魔女に関する項目の次のページには、『魔族:能力不明』という項目が、おまけのように追加されていた。
その一番目に、ロクセラーナの名前が記されている。
「あった‼」
✥蠱惑の魔女ロクセラーナ
特徴:
銀色もしくは鈍色の髪。
薄桃色もしくは紅色の瞳を持つ。
抜けるような白磁の肌質と甘美な体香を特徴とする。
類まれな容姿の持ち主として記録が残る。
活動記録:
200年代 – ムンテ国に同名の王妃の記録あり(本個体との関連性は未確認)
313年 - ●●国、財政破綻
379年 - ○○家断絶
401年 - ◎◎家断絶
443年 - ◇◇国、財政破綻
509年 - △△国、財政破綻(最新記録)
魔力特性:
未確認。
魔術使用の痕跡がなく、特殊な魔族の可能性が指摘されている。
特異性:
通常の魔女と異なり、魔力の使用が一切確認されていない特異な存在。
知性と社会性を持つ存在である可能性が示唆されている。
その美貌と甘美な体香は、接触した者の理性を奪うとされるが、これが魔力によるものかは不明。
ただし、歴代の被害者が例外なく彼女との婚姻を望んだという記録は残されている。
直接的な危害を加えることなく、婚姻を通じて対象の経済的崩壊をもたらす。
「名前もそうだけど、特徴も同じ! 絶対にこれだわ……」
ラウラはロクセラーナについて書かれたページを読みながら、無意識に両腕をさすった。
体温が一気に下がってしまったように感じる。
やっぱり本当に魔女だったんだ……。
でも『魔術使用の痕跡がなく……』ってどういうこと?
あんなに皆がおかしくなって、私も気持ち悪くなったのに……。
しかも、誰にも危害を加えていないって?
財産を使い果たすみたいだけど、単なる贅沢が目的?
「んーーー」
ラウラはテーブルに肘をつき、頭を抱えた。
200年代に書かれているムンテは、私の故郷パドゥレの隣にあった国。
この国は、破綻したというより跡継ぎが生まれなくて消滅。
残った山林をパドゥレが引き継いだと聞いている。
このロクセラーナは同名で別人なのかしら?
あとは……聞いたことがない国や、海側の地域もあって統一性はまったくない。
最後の記録が509年で、今は607だから……えーっと、約100年ぶりだ!
ていうか、魔女って何年生きるんだろう……。
顔をあげると、ベッド横の小さな時計がラウラの目に入った。
時計の針は、もうすぐ8時を迎えようとしていた。
「えーまだこんな時間なのーーー」
早起きして作業をしていたため、いつもの始業時間にさえなっていない。
ラウラは肩を落とした。
フィデリオ様はもうこの国の近くまで戻って来てるのかな。
セルジュさんは昨夜「午前中には到着されます」と、言ってた。
料理長のネヴィルさんも、今晩のメニューはフィデリオ様の好物にすると、たくさんのブラックオリーブを用意してたっけ。
一週間ぶりに会えると思ってたのに……。
ラウラは、ふと、窓際で手を振るロクセラーナの余裕に満ちた表情を思い出す。
考えたくないことだけど、すでに二人は運命的な恋に落ちているのかも……。
ロクセラーナの特異性の項目にも、“美貌と甘美な体香は、接触した者の理性を奪うほど……歴代の被害者が例外なく彼女との婚姻を望んだという記録は残されている”って書いてある‼
フィデリオ様が、屋敷の男性達と同じ状態に……?
嫌―ーーっ! 絶対に見たくない‼
うつろな目のフィデリオ様を想像するだけで、全身がそわそわして落ち着かない。
うぅー胸が苦しいー。
ラウラはため息をつきながら、ベッドに寝転がった。
その時、ポケットから何かがこぼれ落ちた。
小さな音に気づいたラウラは急いで身を起こし、床に落ちたイヤリングを両手で包み込むように拾い上げた。
自分の瞳と同じ青紫色の宝石。
もう18年近くの付き合いになる。
最初は腕輪だったのよと、ラウラは両親から何度も聞かされた。
イヤリングに形を変えたその片方を、今フィデリオが持っている。
「あっ」
出発前、フィデリオ様にもう片方のイヤリングを渡したままだ。
どうしよう……。
ラウラは考えることが多すぎて、頭の中が真っ白になってしまった。
耐えきれずベッドに倒れ込み、手をバタバタさせてごろごろ転がる。
しかし、そんなことをしても何の解決にもならないのはわかっている。
「もう、なんなのよ……」
ラウラは毛布にくるまって小さく体を丸めた。
片方のイヤリングを握りしめ、そのまま眠りに落ちていた。
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