過去16 首飾り
ラウラは廊下で、大きな扉を見つめていた。
よく考えると、仕事以外で自分からフィデリオを訊ねるのは初めてだった。
いつも見慣れている扉なのに、ノックを躊躇して立ち止まってしまう。
「誰かいるのかい?」
ラウラの気配に気づいたのか、部屋の中からフィデリオの声が聞こえた。
小さな物音とともに、扉が開く。
本の整理をしていたらしいフィデリオは、片手に本を持っていた。
「ラウラだったのか。あれ、今日約束していたっけ?」
「いえ、その……」
「何かあったの? お茶を淹れようか」
フィデリオは手に持った本を棚にいれ、扉を大きく開けて一歩下がった。
部屋の中からは、薬草の爽やかな香りが漂ってくる。
「いえ、ちがうんです。ここで大丈夫です」
「どうしたんだい?」
フィデリオは首を傾げた。
普段は束ねられている髪が解かれ、焦げ茶色の髪がさらりと肩から落ちる。
ラウラは震える手で、革紐に通したイヤリングを差し出した。
「これを...旅のお守りに持っていってください」
フィデリオは、ラウラが差し出した首飾りを見て目を見開いた。
そして、ラウラの瞳と首飾りを交互に見つめる。
「これは、君がいつも身に着けているイヤリングじゃないか」
「はい。生まれた時にもらったものです」
「それは素敵だ。初めて見た時から美しくて不思議な石だと思っていたよ」
「はい! だから、この石がフィデリオ様を守ってくれると思って...」
「えっ? 気持ちは嬉しいけど、こんな大切な物を手放しちゃ駄目だよ」
フィデリオはラウラの手を優しく押し返した。
ラウラも、そのしなやかな指を押し返す。
「私……私達には、フィデリオ様が大切なんです! 無事に帰ってきてほしいです!」
言葉に詰まりながらも、ラウラは精一杯の気持ちを伝えた。
最後の方は、力が入りすぎて声が掠れてしまう。
フィデリオは、ラウラの真剣な様子に目を細めて微笑んだ。
諦めない想いが伝わったのか、静かに頷き、ゆっくり身を屈めて目線を合わせる。
優しい薄青色の瞳に見つめられ、ラウラは瞬きさえできなくなった。
「ありがとう。じゃあ、この旅の間だけ借りようかな」
「はい!」
「かけてもらえるかい?」
「もちろんですっ!」
ラウラは首飾りを手に持ち、少しだけ背伸びをした。
フィデリオの首に手を回そうとした時、上から見る睫毛の長さに息が止まりそうになる。
首飾りを掛け終わると同時に、慌てて後ろに跳び退いた。
フィデリオの胸元で、自分がずっと身につけていた精霊の石が揺れている。
それはとても美しくて、なんだか不思議な気分だった。
「ラウラ、素敵なお守りをありがとう。すぐに戻ってくるからね」
フィデリオは眉を下げ、ラウラの瞳を見つめながら優しく微笑んだ。
笑いながら首を傾げるいつもの仕草。
ラウラは、フィデリオのこの癖がとても好きだった。
フィデリオは、首に掛けられた青紫色の石を手に取り、まるで少年のような瞳で見つめている。
その姿を見ていると、なぜか自分が見られているようで、ラウラは急に恥ずかしくなった。
「来週戻ったら君の誕生会をしよう」
「えっ、覚えて……」
「やったー!パーティだー!」
突然、後方の廊下からエルノの声が聞こえた。
薄暗い廊下に、彼の明るい声が響く。
「エルノさん、いつからそこに!?」
ラウラが声をかけると、エルノは金色の巻き毛を揺らしながら近づいてきた。
「だって、廊下から声が聞こえたら気になるだろ?」
「早く声をかけてくれればよかったのに」
「えーよかったの?」
エルノはいたずらっ子のようにニヤリと笑った。
ラウラの頬が一気に熱くなる。
「はい? 全然大丈夫ですけどっ」
「ふうーーーん。あっそうそう、グレイスが聖女ちゃんのことさがしてたよ。ナッツクッキー焼いたって」
「ナッツクッキー!」
「うん、行こ行こ」
はしゃいだエルノが、ラウラの腕を掴んだ。
その様子を見ていたフィデリオの視線が、ゆっくりとラウラに向けられる。
二人の目が合った瞬間、ラウラは慌てて目をそらしてしまった。
胸の中でフィデリオへの想いが溢れそうになり、自分から訪ねたにもかかわらず早くこの場を離れたくなっていた。
エルノはそんなことに気づかず、フィデリオに話しかけている。
「じゃあフィデリオ様のクッキーは、後でたくさん持ってきますから!」
「ああ頼むよエルノ」
「では失礼しまーす」
「……失礼いたしました」
二人で頭を下げ、ラウラはエルノと並んで歩き始めた。
フィデリオのほうを振り返ることなく、ただ黙々と廊下を進んでいく。
エルノが何か話しているが、ラウラの耳にはまったく入ってこない。
いつものようにフィデリオ様と話しただけなのに。
頭の中もからっぽになってしまったみたい、何も考えられない。
我慢してたはずなのに……。
「……ね! 聖女ちゃん聞いてる?」
「えっ? えーっと……グレイスのクッキー楽しみね!」
「あーやっぱり聞いてないー」
「ごめんなさいエルノさん、早く食べたくって」
「よし、じゃあ急ご」
「うん」
ラウラは、軽くなった左耳に触れながらエルノを追いかけた。
廊下の後ろで、扉の閉まる音が聞こえた。
本日の更新はここまでです(*˙˘˙*)
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