85.ウォータースライダーは頭に双丘を乗せて
アスレチックプールが荒れに荒れ、強制的に本日終了になってから数時間後。
時刻は午後五時。
大型プール施設の閉園まで残り二時間。
僕たちは最後にこの大型プール施設の目玉でもあるウォータースライダーに並んでいた。
「こんなに上まで来るとはな」
「本当にね。もう人がゴミのようだわ」
「ゴミゴミ!」
「オブラートに包めよ。ミニチュアみたいとかさ」
はぁ……言葉を選んで口にしてほしい。
そう見えることは間違いないが、やはり人をゴミ扱いするのはあまり良くはない。
けど、それぐらい人が小さく見えることは事実だ。
つまり、かなり上まで来たということなのだが、ウォータースライダーのスタート地点はもう少し上。
かなりの高さである。
「リア、ウォータースライダーってどんな感じ?」
「そうね。超長い滑り台みたいな感じかな」
「滑り台?」
「あー、例えが悪かったわね。ジェットコースターみたいな感じよ」
「ジェットコースター?」
サラは滑り台もジェットコースターも知らないらしい。
その結果、リアが「助けて」と訴えかけるように青い瞳で僕を見つめてきた。
特に見捨てる理由もないので僕が代わりに説明する。
「サラ、ウォータースライダーというものはだな」
「うん」
「流れるプールを傾けてグニャグニャに曲げたものだ」
「なるほど!」
「へ? そ、それで理解したの!?」
何でリアの奴は声が裏返るぐらい驚いているだ。
こんなに分かりやい説明はないだろう。
それに実際、サラは理解したようだしな。
「うん、理解した。つまり、蛇の中を滑るってことでしょ?」
「例えは独特だけど、間違ってはいないわね。でも、なんか納得はいかないわ」
リアはそう言いながら、僕のことを何故か横目で睨みつけてくる。
それに気付き、僕はサッと目を逸らした。
数ヶ月リアと過ごした頭と体が察したのだ。
このまま目を合わせていると、面倒なことになるとな。
軽い雑談をしながら順番を待つこと数分。
ついに僕たちの番が来た。
「「「ようこそ~ウォータースライダーへ!!!」」」
僕たちは若い女性と若い男性二人に笑顔と大きめのジェスチャーで歓迎される。
だが、目がいくのは女性の胸元……じゃなくて、その三人が囲むウォータースライダー用の縦長の浮き輪とその先にあるウォータースライダーのスタート地点の穴。
「それでは早速説明しますね」
僕たちの視線に気付いたのか、すぐによく通る声で若い女性が説明を始める。
「今皆さんが見ている浮き輪は三人用です。前、真ん中、後ろという感じで乗ってもらいます。スタートの合図はこちらが出しますので、それまでは勝手にスタートしないでください」
簡単にそのような説明を受け、僕たちは無言で顔を合わせる。
現在、どのような状況かというと「前、真ん中、後ろ」それぞれどこにするか駆け引きをしているのだ。
その理由は場所によって楽しさが変わってくるからである。
ただそれだけ理由で、と思うかもしれないが、ウォータースライダーにおいて浮き輪の場所選びは最重要。
場所によっては天と地の差ほど楽しさが変わると言っても過言ではない。
普通に考えて、ウォータースライダーにおいて一番楽しいのは前。
水を浴び、風を受け、スタートからゴールまでウォータースライダー内で次々と変わる景色を最初に見ることができ、急なカーブなども最初に体験することができる。
とても爽快感があり、いわゆる特等席だ。
二番目は後ろ。
前とは真逆でゆっくりとじっくりと全てを楽しめることが特徴。
じっくりと楽しめることで満足度も高く、前より好きな人という人も少なからずいる。
で、三番目=最悪の場所は真ん中。
一番中途半端で、前と後ろに全てを持って行かれている場所である。
最初から最後まで前と後ろの二人にもみくちゃにされ、ウォータースライダーを楽しめないというデメリットしかない。
そういうわけで、僕たちは真ん中以外を手に入れるために駆け引きしているのだが、最初に動いたのはリアだった。
「私は後ろでいいわ」
その発言に僕とサラは思わず一瞬固まる。
数秒の硬直から先に解けたのはサラ。
僕が戸惑っている姿を横目で見るや、すかさず口を開く。
「それじゃあ、あたしは前で」
といつもより早口で言い、僕に止める隙すら与えることなく、俊敏な動きで前に座った。
そしてこの瞬間、僕は詰んだ。
一番最初に後ろ選んだリアに譲ってほしいとは絶対に言えないので、いや、言っても断られることは目に見えているので、もう真ん中を選ぶしかないというか、真ん中しかない。
完全にリアの先手で何もできなかった。
心の中で「はぁ……」と重いため息をつき、僕は肩を落としながら静かにサラの後ろの真ん中に座る。
初めてのウォータースライダーということで、意外と楽しみにしていただけあって残念だ。
そう無言で悲しんでいると頭に大きな何かが乗る。
同時に僕の体は滑り、視線が天井に変わった。
「よいしょ! はぁ……肩が軽いわぁ~」
「り、リア、頭が重いんだが」
「気のせいよ」
平然とした口調でよくそんな言葉が口から出たものだ。
普通に考えて、頭が重いことが気のせいなわけがない。
もし、それが本当に気のせいだったら僕は完全に病気と言えるだろう。
まぁ病気じゃないので、気のせいじゃないのだが。
てか、軽く目を上に向けると微かに肌色が見えているんだよな。
想像するに、いや、しなくても頭に乗っているものはアレに違いない。
体の真ん中のちょっと上にある女性がよく発達する二つの双丘。
最初の一瞬だけ「これなら真ん中でもいいのでは?」と男として思ってしまったが、リアのビックマウンテンダブルまでなるとシンプルに重い。
首が悲鳴をあげているレベルだ。
とにかくどうにかしないと思い、僕は重さに耐えながら口を開く。
「じゃあさ、座り直したいからどけてくれないか?」
「悪いけどそんなスペースはないわ。その位置で我慢してちょうだい」
僕にこの位置のままウォータースライダーを滑れと言うのか、この巨乳は。
視界の先は天井だぞ天井。
頭が自由に動かない以上、ウォータースライダー中はずっとこの景色なのか。
その上、頭の上に錘を乗せ、首に多大な負担をかけながら……。
これは新手の拷問か何かなのか?
現実に絶望したところで時間は止まることはなく、先ほどの女性が元気な声でカウントダウンを始める。
「それではスタートまで三秒前! 三! ニ! 一!」
「「「いってらっしゃい!!!」」」
三人のそんな声がした途端、急に「崖?」と思うぐらい凄い角度の坂を一気に滑り始め、ウォータースライダーがスタート。
同時に前からサラの「うわぁ~」という声が、後ろからはリアの「キャ~」という声が聞こえてくる。
一方、僕の口はビクともせず、僕の首だけが「ぎぃ~」という悲鳴をあげていた。
僕の目から見えるのは天井だけだが、ウォータースライダーの中はかなりカラフルで、次々と天井の色が変わっていく。
まるで、虹の中を駆け抜けているようで、天井だけでも意外と楽しい。
と思ったのも束の間、最初の直線の後は緩いカーブや厳しいカーブが長々と続く。
カーブの度に体は右、左、右、右、左とぐにゃぐにゃと横に傾き、体には軽く水がかかる。
しかし、頭は固定されているので、首はゴキゴキと聞いたこともないような音を鳴らし、メトロノームように連続して左右に揺れ続けた。
「やっほぉ~! 楽しい!」
「いぇーい~! 最高ォ~!」
二人は慣れてきたようで両手をあげながら盛り上がっている。
そのおかげでリアの体が軽く上がり、首が少しだけ楽になった。
あっという間にウォータースライダーは後半戦に突入。
一度、トンネルの中から飛び出してシーソーゾーンへ。
ここでは浮き輪が反り立つ壁を上って一番高い位置で一瞬だけ止まり、そのまま勢い良く下がるという感じだ。
で、それを数回繰り返す。
「「うおぉ……うわぁぁぁぁぁあ!!」」
二人は楽しそうにこんな声をあげているが、僕は歯を食いしばっているのでそんな声は一切出ない。
見えるのは青い空、白い雲のみ。
体が揺れる感覚はあるものの、景色が変わらないというのは何とも言えない感じだ。
数秒、シーソーゾーンを繰り返した後はついにラスト。
もう一度、トンネル内に入って先ほどより急な坂を風と水を切るように一直線上を駆け滑る。
そして「バッシャーンッ!」という音と共にゴールであるプールに到着。
同時に二人はゴール地点のプールに勢い良く滑り落ちる。
この瞬間、やっと僕は拷問のような時間から解放された。
「いやぁ~、楽しかったね!」
「うん! ウォータースライダー最高!」
二人は満面の笑みでそう言い合い、ピョンピョンと飛び跳ねてはしゃいでいる。
その傍らで僕は動けずにいた。
僕のウォータースライダーはトンネルの天井から始まり、青い空と白い雲を挟んで、トンネルの天井で終わった。
頭で重いものを支えていたせいか首は何と言えば分からないような変な感覚。
体がいつもより重く感じることから、今ので相当疲労が溜まったのだと感じる。
だがしかし、そんなことを知らない二人は元気な声で僕を呼ぶ。
「ゼロ! 何してるのよ!」
「もう一度! もう一度!」
首を右手で抑えながら、ゆっくり体を起こすと二人が瞳を輝かせながらこちらを見つめていた。
サラに関しては足踏みまでしている。
――そんなに楽しかったのか。
そう思いながら、僕は浮き輪から降りて二人のもとへ。
「あそこの連続カーブが――」
「――分かる。でも、上がって下がるところも最高!」
僕には分からない話を二人がしている。
耳には入ってきているのに、全く理解できない。
こんなことが未だかつてあっただろうか。
それからウォータースライダーに三回ほど乗ったが、僕が真ん中以外を乗らせてもらえることは一度もなかった。




