58.サラの過去【2】
2069年三月四日(月曜日)。
あの日もあたしたちは真夜中の紛争地域で戦っていた。
まぁそれが仕事みたいなもので、実際にあたしたちからすればれっきとした仕事。
もちろん、その日も数人の負傷者を出したが、あたしを筆頭にベテランたちの力によって、数十人もの敵を殺すことに成功した。
集落に戻り、まずは仲間と共に食事を取る。
朝日が出て来たので一応朝食という扱いでいいだろう。
「あたしは先に水浴びしてくる」
「え? 冷めるけどいいの?」
「あ、うん」
一番仲の良かったエリットがそう声をかけてくれたが、あたしは水だけ飲んで、その日は珍しく食事を後にした。
エリットはあたしより六歳年上の青年。
昔、あたしの教育係を担当し、唯一あたしを『悪魔の子』扱いをしなかった不思議な仲間。
今も仲が良く、戦場ではあたしとコンビを組んでいる。
「冷たっ!」
春になったと言っても、三月上旬の夜明けはまだ寒い。
お風呂は基本シャワーだけなので、大丈夫だと思っていたのだが、想像以上に寒く体の芯まで冷え切ってしまい、少し漏らしてしまった。
そのまま「もういいや」となって謎の気持ち良さを感じながら出すものを全部出し、シャワーで綺麗に洗い流した。
その後、シャワーでもう一度体全体を軽く流し、これ以上の水浴びは風邪を引いてしまうと思い、すぐに着替えを済ませる。
服の生地はボロボロで薄いが裸よりかは温かい。
それに冷たい水を浴びたおかげで、逆に体がポカポカしてきて結果的にいい感じになった。
汗を洗い流し、体もポカポカし、そろそろお腹が空いてきたので、あたしは子供らしくスキップしながら先ほどの場所へ戻る。
さっきテーブルの上を軽く見た感じ朝食はパンと野菜のスープ。
肉がないのが寂しいけど、朝食なので仕方がない。
――グゥー!
「ぷぷぷっ!」
お腹が大きな音を鳴らしたことが面白くてあたしは一人で笑う。
本当にあたしのお腹はよく音を鳴らすから面白い。
「お腹のためにも早く食事を食べないとね!」
あたしは満面の笑みでそう一言だけ呟き、同時に先ほどの場所に着いた。
だが、そこにはもう食事はない。
それどころか……
「お、いいところに来たな、サラ」
「ペペ、何やってるの?」
ペペとはあたしの集落のトップであり、戦場で指示を送る指揮官でもある。
つまり、一番偉い人。
あたしを戦闘員にすることを決めたのもこのペペだ。
「見て分からないか? オレたちはこの集落を占領した!」
「何言ってるの? ここはペペの集落じゃない!」
「あー? 悪い、それ止めたわ。オレたちはこんな弱い集落じゃなくて、もっとデカくて武器が充実した場所に移転したんだよ! フハハッ!」
「それって――」
「サラ、そうだ! こいつらは僕らを裏切ったんだ!」
「おいおい、黙れよ若僧。裏切ったんじゃねぇ、ここを強くするための戦略だぁ!」
エリットはペペに胸倉を掴まれ、足が宙にブランブランと浮かぶ。
そしてそのまま思いっ切り地面に叩き落とされた。
「え、エリット!? だ、大丈夫?」
あたしはすぐさまエリットに近付き声をかける。
咳込み苦しそうにしていたが、見た感じ大きな怪我は無さそうだ。
「ゲホッ、ゲホッ……大丈夫」
「な、ならいいけど」
あたしはエリットの声を聞き「ふぅ~」と安堵のため息をつく。
「ガキのくせに口答えするからそうなるんだよ。ガキは黙って見ときな!」
そう言うと、ペペは楽しそうに笑い、他の裏切り者たちも同じように大きな声をあげながら笑みを浮かべる。
周りを見る限り、先ほどの戦いに出ていた戦闘員はほとんど裏切り者のようだ。
あたしが知らないうちに、裏でこんなことが行われていたなんて……信じられない。
でも、これが現実。それだけは理解していた。
「よく聞けよ、お前たち! これからオレたちは仲間じゃない。お前たちはオレたちの命令に従い、働く奴隷だ!」
「あなた、そんなことをしていいとでも――」
「黙っていろ! 殺すぞ?」
ペペの奥さんであるテテがそう口を挟むが、鋭い目付きとドスの効いた声音、それと銃口を向けられ、黙り込み膝から崩れ落ちる。
それを見てペペは鼻で笑い、話を再開する。
「今の見て分かる通り逆らう者には容赦する気は一切ない。もし、オレたちに逆らおうとしたやつがいたならば女でも、子供でも誰だったとしても殺す。分かったな?」
その言葉に誰も返事は出来ない。
音を立てることすら、みんな恐れている。
息さえも止めている人がいる。
こんなのは初めて見る光景だ。
「おいおい、返事は?」
ペペがそう言いながら、ライフルを肩に乗せて首をポキポキと鳴らす。
と、その時だった。
「ふざけんなぁぁぁぁぁあ!」
エリットが隙を見せたペペに襲いかかり、地面に叩きつけて馬乗りになる。
ペペのライフルは地面に叩きつけられた反動で地面を滑り、あたしの目の前に。
「何で裏切った!? 僕らは弱くない! 今のままでも充分戦ってこれただろっ!」
「ガキには分からない話さ。この世の中にはうまい話ってもんがあるだ。オレたちはそれに乗っただけ」
「そ、それだけの理由で……」
初めて見るエリットの殺意に満ち溢れれた顔。
眉間にしわを寄せ、目は瞳が飛び出るほど開き、息遣いは肉食動物のように荒々しく、首筋の血管が青白く浮き上がっている。
その姿はもう人間ではなく鬼。ただ見ているだけのあたしですら鳥肌が立った。
でも、一番近くでその表情を見ているペペはビビることはなく、微動だにしていない。
それどころか逆にガンを飛ばしている。
「じゃあ、お前は泥船と大船が目の前にあったらどっちに乗るんだ?」
「それは……」
「分かっただろ? ならそこから離れろ。その根性に免じて今回だけは生かしてやる」
「……だ、黙れよ……」
「あ?」
「黙れって言ってんだよっ!」
エリットは集落中に怒鳴り声を響かせ、ペペの頬を強く握った拳で殴りつける。
右、左、右。
ペペの口元は切れ、血が地面に飛び散る。
「ペペが大船に乗ろうが、僕は泥船に乗ってやる! だから――」
――バンッ!
「え、エリット!?」
ペペの仲間の一人にエリットは心臓を撃ち抜かれた。
そしてそのままあたしを見ながら、ペペの体の上に倒れ込んだ。
「邪魔だガキ! チッ、いってぇーな!」
ペペはエリットを叩き落とし、口元の血を手の甲で拭って血が絡まった唾を地面に吐く。
「はぁ……これで分かっただろ。オレたちは本気だ!」
――エリットが死んだ……エリットが殺された。
何で? 何で? 何で?
何であたしのエリットを殺すの?
何であたしの目の前でエリットを殺したの?
――ゆ、許さない……許せない。
「分かったなら返事をしろ!」
何が大船?
何が強くするため?
何がこれからは俺たちに従え?
何が逆らったら殺す?
――殺されるのはお前たちの方だ……。
「声は小さいがそれでいい。これでお前たちはオレたちの奴隷だ! まぁ逆らわない限りは生かしてやる……よ」
――バタンッ……。
「ペ、ペペ!?」
「う、嘘だろ……おい、ペペ!?」
「生きろってペペっ!」
あたしの手には何故か目の前に落ちていたはずのライフルがあった。
視界には額から血を流し、男たちに囲まれて心配されるペペ、いや、裏切り者の姿が存在した。
「おいっ! サラァァア! な、何してんだよっ!?」
――バーンッ!
「おい、嘘だろ……とにかくサラは裏切り者だ! ぶっ殺せぇぇぇえ!」
あたしが裏切り者?
どこが?
立場を履き違えるなよ、裏切り者たち。
お前たちが裏切り者で、あたしは……
「……悪魔の子、だ……」
全滅させるのに一分もかからなかったと思う。
いや、正直そこまでは分からない。
気付いた時には裏切り者たちが、頭や額から赤くドロドロとした綺麗な血を流しながら死んでいた。
そしてその場は静寂に包まれていた。
悲鳴も泣き声も、嗚咽も何も聞こえない。
耳に入ってくるのは風と水の音、それと草のざわめき。
あたしはそんな自然の音を壊すように、ライフルを捨てエリットに近付く。
「エリット……」
顔は土だらけ。
お腹は血だらけ。
脚は傷だらけ。
――何でこんなことに……。
「ごめん、エリット。あたしの動きが遅かったから……」
そう、あたしがあの時、動いていれば、エリットの姿に鳥肌を立たせず、銃声を立たせていれば、エリットを救えたかもしれない。
ああ、もうそんな後悔をしても遅いか。
この世にもうエリットはいない。
そして……
――さっきまでのあたしも……いない。
「あ、悪魔だ!? 悪魔の子だ」
「なんてことを……」
「酷い。息子も旦那もこんな姿に……」
聞こえてくる集落の人の声。
それはあたしを称えるものではなかった。
「何でこんなことしたの?」
――何でって裏切られたから。
「奴隷でも良かったじゃない」
――何で……さっきまで怯えていたじゃん。
「これではどちらにしてもこの集落は終わったも同然よ!」
――あたしがいるじゃん。
「子供のくせにどう責任取る気?」
――責任って何?
「悪魔の子さえいなければ良かった」
「そうよ。サラさえいなければ、まだマシな生活を送れたはずだわ」
「悪魔の子が全部悪い」
「悪魔の子が死ねば良かった」
「悪魔の子なんか……産まれなければ良かったのよ」
――あたしの行動は間違っていたの?
分からない。分からない。分からない。
みんな『悪魔の子』であるあたしに希望の瞳を向けていたじゃん。
なのに、何で今はそんな汚物を見るような冷たい瞳を向けているの?
そう思いながら、あたしは瞬きをすることなく、周りをぐるっと見渡す。
でも、もうどこにもあたしの居場所はなかった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
――みんなも裏切り者……。
数分後、周りに立つものはいなくなっていた。
呼吸音も聞こえない。
どこを見ても『血』『血』『血』。
それと『死体』『死体』『死体』。
最悪な光景だというのに、あたしは何も感じなかった。
いや、達成感を感じていたのかもしれない。
少し頬が緩み、口角が上がった気がする。
――この瞬間、あたしは本当に『悪魔の子』になったのかもしれない。
「はぁ……一人か」
自然と周りを見てそんな言葉が口から漏れる。
それから数時間後、あたしは武器と食料の入った鞄を持ち、その集落を後にした。
その後、約八年間、紛争地域で襲撃を繰り返し、アフガニスタンに血の海を作ったのであった。




