十六話 薄黄色の小さい花
目を切り替え、辺りをぐるりと見回す……変な気配はない。
『白き魔女』を狙う者も、この時間は流石にお休み中ですかね。
と、立ち上がる寸前、こちらに近づく小さな影が二つ。
少しだけ警戒する……あまり目立たない位置、この場所にわざわざ来るのだ、俺に用があるのだろう。
ひょこひょこと、変な歩き方をする頬を腫らした男の子と、それに引っ付いて歩く女の子。
……どう考えても敵とか、そういうのではない。
目を戻して、また溜め息をついた。
兄妹だろうか、数メートルの距離を置いてぴたりと立ち止まり……こちらを見上げている。
裸足で、髪も顔も汚れと脂でべとべとしている、着の身着のまま。
どこかで拾ったのか小さい革袋と……何かの端材だろうか、石を握り締めている。
「……」
「……」
沈黙が、気まずい。
睨まれているような、しかし今すぐにも泣き出しそうな……何かを恐れているような。
「えぇと……」
どうしようかなと口を開くと、抱き合うような形の小さな兄妹は、身体をびくりと震わせた。
……そんなに見た目怖いですかね、俺。
ただのおチビちゃんの筈なんですけど。
互いに身体を支えあうようにして立つ小さな兄妹は手足が細く骨ばっていて、節々に痣が残り、痛々しい。
注視しないと分からないほどに小さく震えているのは、夜の寒さかそれとも相対する俺のせいか。
男の子は妹から手を離し、庇うように前に出た。
座る俺からはまだ……三メートルは離れている。
何かの欠片か、石を握る手に、ぐ、と力が入る。
……あぁ、そういうこと。
男の子の呼吸が早くなる。
緊張しているのだろう、目の焦点がブレている。
歯を噛み締めているが、抜けた前歯からひゅうひゅうと漏れるそれは、泣き声にも聞こえた。
「……それ、何が入ってるの?」
声をかけると、じりじりとにじり寄る汚れた小さな足がびくりと跳ねて固まった。
喉の奥から聞き取れない呻き声。
ひょい、と柵から飛び降り、無造作に歩み寄る。
城塞都市レグルスで会った、靴磨きの男の子を思い出した。
あの子は今、どうしているだろうか。
「見せて」
目の前で屈むと、男の子は一歩後ずさり……しかし、耐えた。
後ろには落ち窪んだまなじりに、涙を溜めた妹がいるから。
「う、ううぅぅ……っ!」
獣のような唸り声を上げ、手を振り被った男の子は、敵意もなく害意もなく、その手を振り下ろした。
フード越しに軽い衝撃。
痛みのないそれが、あまりにも軽すぎて、少しだけ泣きそうになる。
一度殴ったからだろう、引っかかっていた小さなタガが外れた男の子は、再度腕を振り上げた。
その拍子に手から石の欠片がすっぽ抜け、遠くに転がっていった。
「あっ、ぁ……」
こんな小さな子の顔に浮かぶ絶望の表情なんて、見たことがなかった。
その中に僅かに残った覚悟は、人としてではなく、お兄ちゃんとしてのものか。
手を握り直し、もう一度低く唸った小さな獣は、しかし固まってしまった。
俺の手に、握っていた筈のぼろぼろの革袋が揺れていたから。
……あまりに隙だらけだった。
「半分の銅貨二枚と貝殻と……花?」
呆気に取られている男の子の前で中身を検分する。
花は薄い黄色の花弁と葉っぱが一枚かろうじてくっついていて、しおれてしまっている。
男の子の後ろで、小さな女の子が、ひっくひっくとしゃくり上げている。
「ぁ……っ、か、返して」
「お姉さんはね」
男の子の声を呼吸を動きを遮るように、口を開いた。
何やってるんだろうな、と頭の中で自嘲しながら。
「魔女、なんだよ」
笑みを浮かべながら、フードを取った。
陽が落ちた広場を淡く照らす真っ白な『リフォレの大樹』と同じ白い髪を見て、小さな兄妹の動きはぴたりと止まった。
男の子が口をわななかせ、女の子は泣き止んだ。
しおれた花に口付ける。
ほんの少し魔力を流し込むと、しおれていた花は瑞々しくよみがえり、薄く黄色い花弁が開いた。
……白く染まることもなく。
ハートの形をした葉っぱと併せて、カタバミの花のよう。
まだしゃくり上げていた小さな女の子が、わあ、と声を漏らしたが、兄の陰からは出てこない。
「何が、欲しかったの?」
精一杯微笑み、優しく言葉を投げかける。その声は絶望的に、少女の声色。
だけど男の子の顔は絶望の代わりに、恐怖で染まっていた。
歯の根がカチカチと音を立てている。
「う、ぁ……お、お金……食べ、物……」
「そう」
ボロボロの革袋に半月型の銅貨と貝殻を戻し、男の子の方へ放り投げた。
取り落とし、慌てて拾い上げて……しかし、立ち去ろうとはしない。
「これ、なんていう花なの?」
返さなかったカタバミの花に似たそれを、首を傾げつつ後ろから顔を覗かせる小さな女の子に聞いてみる。
「……ねこつめぐさ」
ぽつりと呟くような声は、もう震えていなかった。
猫爪草、かな。
「お……おねえちゃん、いいまじょなの? ……わるい、まじょなの?」
小さな女の子の声を、しかし兄である男の子は止めることはせず、喉をごくりと鳴らした。
緊張が伝わってくる。
「……どっちだと思う?」
質問を質問で返すのはどうかと思うけど。
「い、いいまじょ……だとおもう」
「……どうして?」
「な……なぐらない、から」
暴力を振るう、振るわないが、彼らの中での基準。
単純で短絡的なその思考は、しかし真に迫っていた。
……本当に良い人だったら、どんなに良かっただろうか。
「そうだね……。人を殴ったら、悪い子なんだよ」
「……っ」
妹を守る兄が一歩後ずさろうとして、失敗した。
笑みを消した白き魔女は人形めいていて、きっとその目には恐ろしく映っているだろう。
「ひ、ぅ……、ごめ、なさい……っ」
男の子の目から涙が溢れ、それは背に隠れる女の子にも伝播した。
悪いことをしたという認識があって、それを謝れるのなら……きっと、大丈夫だろう。
お土産用の包みを広げると、冷めてしまった団子が引っ付いていた。
小さな兄妹が一瞬で泣き止んだ。
ごきゅり、と小さな兄妹から喉を鳴らす音と、直後にお腹から盛大な不協和音が鳴り響く。
「はい。一つ、半分の銅貨一枚ね」
男の子は目を見開き、革袋の中から急いで掴み出すと、広げた俺の手におずおずとそれを乗せた。
半月型の銅貨二枚と、小さな貝殻も。
男の子の空っぽになった手に、くっついた団子を二つ乗っけた。
「まいどあり」
小さな兄妹は拳大の団子を一つずつ分け合い、物凄い勢いでガツガツと……一瞬で食べ終えた。
お腹の音は鳴り止まない。
そういえばこの猫爪草という小さな花は、スティアラの工房で干されているのを見た気がする。
何かに使えるのだろうか。
「これ、何処に咲いてるの?」
よだれを垂らした女の子が、お団子の山をちらちらと見ながら、律儀に答えた。
「かれた木と、水のちかく……あんまり、みつからないの……みんな、こううんのお花っていうの」
「……そう。……魔女はね、このお花好きなんだ。これくれたら、お団子あげちゃおうかな」
ぶんぶんと、髪を振り乱しながら首を縦に振った女の子に苦笑しつつ、冷えた団子を四つ、男の子の両手に乗っけた。
その手は僅かに震えている。
二人で分け合う姿を見やり、立ち上がる。
リスのように頬に詰め込んだ姿は愛らしいが、これ以上見ていると……情が移ってしまう。
「ばいばい」
手を振ると、空いた小さな手が半開きのまま、ふるふると揺れた。
フードを被り、視界に入った何の建物か分からない屋根の上に転移した。
あの小さな兄妹のような境遇の子はこの街に……この世界には、大勢いるのだろう。
今夜の彼らは、そう、たまたま運が良かっただけだ。
「幸運の花、ね」
一生に一度くらい、こんな日があっても……罰は当たらないだろう。




