十二話 もてなすは影
表通りから折れてしばらく歩くと、やけに緑が多く湿度の高そうな、平べったい建物がひっそりと佇んでいた。
『慈愛の魔女』スティアラ・ニスティが居を構えるこの辺り一帯は、街に住む魔術師のほとんどが生活しているらしい。
必然、そういった類の店も多く、街の人間は急用でもない限り滅多に近づかなかった。
しかしそれも、スティアラの噂が広まったここ一年ほどで、大分様変わりして親しみやすい雰囲気になったという。
「いらっしゃいませ、シエラ様。ようこそお越し頂きました」
小さな椅子が二つに小さなテーブル、そして小さなカウンター。
室内の空間は大きな棚と一回り小さな棚と、所狭しとしかし整然と並べられたガラス瓶や乾燥した何かとで、思った以上に狭く感じる。
可愛らしい花や、何かの根っこ、黒ずんだ木の実……何かに使えるのだろうか。
木張りの床は歩く度に軋み、不安感を煽る。
「見てください、スティアラ様! シエラ様から頂いたんです!」
アイファが亜麻色の髪を跳ねさせて、抱えていたベッドのシーツ……もとい魔布を掲げた。
受け取るスティアラの豊かなそれが、カウンターに乗っていらっしゃる。
眼福。
「まぁ。……これは、ここまでの物は初めて見ます」
口に手を当てて驚きを隠せないといった様子で魔布を観察するスティアラ。
丹念に撫でる手は真剣で、顔を近づけ、だからなぜ匂いを嗅ぐ……!
「素晴らしい、ですね。私が欲しいくらい」
そう言いながら微笑んだスティアラに、コリンは慌てながら口を開いた。
「す、すちぃ! これはわたしとアイファねぇちゃんのだから!」
「はいはい」
あやすような声色は、とてもまだ十代とは思えない貫禄がある。
「それで、何にするの? 大きさも充分だし……二人の外套、かしら?」
「はい。お願いします、スティアラ様」
やっぱりそうでしたか。そうですよね。
もうちょっと目立たないものでもいいと思うなぁ。
ハンカチとか……。
早速作業に取り掛かるというスティアラは、アイファに店番を頼んで、地下へ続く階段を下りていった。
直後、地下から歓声のような、けたたましい声が漏れ聞こえてきた。
防音性能はそこまで高くないらしい、今のはなんだろう、スティアラの声ではなかったようだけど。
「皆さんやはり驚かれたみたいですね」
アイファが言うには、この工房にはスティアラの弟子が、アイファを含めて四人いるという。
なるほどその弟子たちの声だったのか、びっくりした。
「コリン、着替えてくるから、少し見ててくれる?」
「はぁい」
アイファはそう言って奥の部屋へ引っ込んでいった。
そうか、ようやくぱんつを穿けるのですね。
スティアラが座っていた椅子に座り、一息つく。
狭く見えるけれど、なかなかに居心地がいい。
なんというか空気が柔らかい……落ち着く。
もしかして魔素が濃いのではなかろうか、そう思って目を切り替える。
ああやはり、あの目覚めた森の中のような、濃密な魔素が漂っている。
棚の小道具だろうか、何かを見ているコリンの身体にも魔力が綺麗に廻っている。
その違和感に、すぐには気がつかなかった。
どちらが当たり前かと言われれば、それが『ない』のが当たり前なわけで。
「……あれ?」
目を戻した瞬間に、首を傾げた。
そしてもう一度、慎重に目を切り替える。
……ない。
獣の耳が、生えてこない。
「おぉ……?」
頭の上をまさぐっても、兆候の欠片もない。
ついに戻った……?
怪しげな動きをする俺を、コリンは不思議そうな目で見つめている。
ん、ということは。
バッ、と勢いよく立ち上がり、四肢に全身に魔力を廻らせる。
全開で。
「ない……!」
「どうされたのですか、お姉さま……?」
自身の腰から尻にかけてを撫で回す俺の姿に、流石に不審に思ったのだろう、コリンがおずおずと声をかけてきた。
俺はにんまりと笑い、答える。
「呪いが、解けたのだ……」
「……っ!?」
の、呪われていたのですか!? と目を見開き驚くコリン。
そこに戻ってきたアイファは、下半身の寒々しさから解き放たれたのだろう、立ち姿が自然になっている。
「あまり騒がないでよ、コリン」
「いや、ごめんアイファ。……私のせいです、はい」
座り直し、一息つく。
心配そうな顔でちらちらとこちらを見るコリンに、笑顔を向ける。
安心したのかそれ以上の追求を我慢したコリンに怪訝な目をしたアイファだったが、こちらも特に気にする風でもなく、小さく嘆息するだけだった。
「ああそうだ、アイファ。これ、貰っちゃっていいの?」
座りながら足を伸ばす。
硬めだけど履き心地は悪くない、濃い茶色の革ブーツ。
「はい、勿論差し上げます。……あ、あちらも、差し上げますので……」
あちら? と疑問に思ったのは一瞬だけ。
ああ、そうでしたね。
「……ありがとう」
重ね重ね。
「コリン、今日はどうする? みんな夜まで上ってこないと思うけど」
「帰る~。おじいちゃんにも早く帰ってこいって言われてるから」
「そう。それなら明日、できたら持ってくよ」
「うん」
二人の会話は自然で、まるで姉妹のように仲が良い。
微笑ましい。うん、いいものですね。
「お姉さま、行きましょう?」
「あ、うん」
二人のやりとりを呆けながら見ていた俺は、コリンの声で我に返った。
小さく手を振るアイファに見送られ、スティアラの工房を出た。
ケープのフードを被り、コリンの手を握る。
優しく握り返された手を引き路地へ足を一歩踏み出すと、前と後ろ……横道と物陰から、薄い茶色のローブがするりと姿を現した。
「白き魔女だな」
目を切り替える。
わざわざ姿を現して声をかけた理由はなんだろう。
油断を誘う為か、それとも……コリンを巻き込むぞという脅しか。
ちらりと上を見ると、遠く尖塔の屋根が見える。
あれが見える位置ならいつでも逃げられる……フードを取った。
「……お姉さま」
コリンの声に怯えはない。
彼らの手に剣が抜かれ、それが白刃に輝いても、僅かに握る手に力が入っただけ。
肝が据わっているのか、恐怖を感じていないのか。
……信じられているのか。
その、どれでもなかった。
「『おかげちゃん』です」
コリンが呟いた理解できなかった言葉の意味の、表面だけはすぐに分かった。
相対する恐らくはサルファン王の側近の手駒、その魔術師の真後ろに……黒い影のような、人型の何かがひっそりと現れた。
気味が悪いそれの動きは緩慢で、魔術師に後ろから覆い被さろうとした腕が、輝く白刃で切り飛ばされた。
恐らく、俺でもそうした。
それはあまりに隙だらけな動きで、素人目に見ても遅かったから。
だから直後に起きた現象に、思わず声が漏れた。
「っう、わ……」
振り向きざまに白刃を振るった側……薄い茶色のローブを纏った魔術師二人の、腕が、飛んだ。
真っ黒な腕と鏡合わせのようにくるくると宙を舞い、血飛沫がその後を追う。
ほとんど同時に、四本の腕が舞うその光景は、現実味がない。
情けなくうろたえた俺の手を握るコリンはやはり動じず、両の目でしっかり経過を見守っている。
……優秀な魔術師の家系、か。
人目のつかない薄暗い路地で、後ずさった魔術師たちの顔に浮かんだのは苦悶と、戸惑い。
魔術師と同じ背格好の、真っ黒な影が実体化したようなそれは、相対したまま動かない。
いつのまにか彼らは、俺と黒い人型に挟み撃ちされる形になっている。
「魔女、め……!」
いや待って、それは俺の仕業じゃない。
怒りとともに吐き捨てた彼らの次の行動は早かった。
妖しげな魔術を使う、本体を潰せばいいのだと。
つまり狙いは俺。違うのに!
黒い人型に背を向けて白刃を翻らせ、しかし彼らの魔力を込めたその一歩の眼前に、またしても黒い塊が地面から生えてきた。
勢いをつけるその一歩、それを邪魔されてしかし冷静に対処できる人間は、数少ない。
やはり恐らく……俺も、そうしたと思う。
煌く白刃が一閃、新たに現れた黒い人型の胴を薙いだ。
その切れ味の良さは知っている。
手を強く握ったのは俺だけで、コリンはやはり、目を逸らしもしない。
濃い血の臭いが鼻につく。
動かなくなった襲撃者を、影のような黒い人型が、よっこいせ、と人間味を感じさせる動きで抱え上げた。
広場とは逆方向……後ろの方へ運んでいく彼ら(?)は、すれ違いざまに、ぺこりと会釈をしていった。
背筋を冷たい手で撫でられたような感覚。
「『おかげちゃん』は、お客様をおもてなしする、おばば様の魔術ですっ」
場違いに明るいコリンの声が、今は何故か怖い。
この街の魔術師のほとんどがこの一帯に住むという、あれは厄介ごとからの自衛手段なのだろう。
とすると、その厄介ごとを押し付けてしまった形になるのか。
……お客様、ね。
「大丈夫ですよ! お姉さまは歓迎されてますからっ!」
「……そう。なら、いいんだけど」
見られている気がして、ぺこりと頭を下げた。
あの魔術、恐ろしく緻密な魔力の流れをしていた。
おばば様か……何者か知らないけど、敵に回さないように気をつけよう……。




