五話 旅路の始まり
ソラにいい笑顔で薦められたので、滴る蛇の血を飲んでみた。
「……うん、いやこれは……確かに」
血生臭さとエグみはあるものの、味云々ではない充足感……これが生物から魔力を摂取するという感覚か。
湖の水を飲んでいたときとそこまで変わらないけど、なんだろう、一線を越えてしまったような気がする……。
生肉を食べるのはためらわれるので、ちまちまと血をすする。
血が一番美味しいんですよね、というソラの言葉に目を切り替えた。
確かによく見ると、もう動かない蛇の身体は全体的に魔力を帯びているけど、血液のそれがより一層濃い。
人間は血液を大量に飲むことはできず、吐いてしまうと昔どこかで見た気がするのだけど。
いけますね。ぐいぐいと。
ばりばりぼりぼりと鳴る凄まじい音を聞きながら、少しずつ温かくなってきた身体に心地良ささえ覚えながら、血を飲み下していく。
「……っふぅ」
一息つき、斜めに傾いだ捩れている木をなんとなく眺める。
火照った身体に海からの風が気持ち良い。
頭上の大きな二つの月を見上げようとして、視界に影が差した。
反応は、できなかった。
「んぁん」
開かれる血塗れの口腔。鋭利な牙。掴まれた肩に食い込む爪。
ぺろり。ぺろり。
いつの間にか近づいてきていたソラの長い舌が、俺の頬に付いた蛇の血を舐め取ったということを、再び咀嚼音が鳴り出してからようやく理解した。
身体に取り込んだ魔力が体内を急速に廻り、馴染んでいく。
冷えた背筋がゆっくりと熱を帯びていく。
……た、食べられるかと思った。
皮も鱗も骨も関係なくすごい音を立てて咀嚼していったソラは、かなりの長さと太さを誇っていた蛇の身体の、優に四分の一を食べ終えた。
いやぁ、いい食べっぷりでしたね……。
ぺろぺろと返り血を舐めとり身だしなみを整えたソラは、耳を器用にぴくぴくと動かして辺りを見回している。
「そろそろ行きますか、えぇと……」
「シエラでいい」
「分かりました、シエラちゃん。『死肉漁り』が集まるので、行きましょう」
なんでちゃん呼びなんだよ。
「……『死肉漁り』って?」
「『死んだ魔力』に集まる魔獣です。何処にでも出る掃除屋さんです」
バクテリアかな?
まぁそれならこの巨大な死骸は放っておいても平気か。
「人間は、魔獣の牙や皮、骨などは金品と交換するそうですが」
持っていきます? と目で問いかけられる。
んん、今からこの巨大なこれを解体する作業……。
「いや、いいや。面倒だし」
「そうですね」
未だその身体に魔力を湛える『双頭の毒蛇』の死骸を見て、ふと思った。
例えばニャンベル・エクスフレアなら、残った魔力を全て取り出して、自分のものにできるのではと。
ああ、思いついてしまったからには……気乗りしないけど、試してみよう。
「ごめん、ちょっと待ってて」
死んでも尚存在感を発揮している、俺よりも遥かに大きい蛇の身体の柔らかそうなところ……原型を留めていた首の裏辺りに狙いを定めた。
ぺたりと地面に座り。
かぷ。
「うぉ゛……きおひわるひ……」
噛み付いた、まだ生温かい表面の感触はゴムのよう。
目を瞑り、魔力の流れに意識を集中する……流し込むのではなく、吸い出すイメージ。
血液をではなく、魔力そのものを。
「う゛ー」
できました。
血を飲み下したときよりも、直接自分のものに還元されていくような……感触は最悪だけど身体はどんどんぽかぽかしていく。
吸血鬼にでもなった気分だ。
「おお。流石はシエラちゃんですね……すんすん」
なんだろう馬鹿にされてる気がする……。
ソラは後ろから俺の身体を抱き締め、後ろ髪を鼻で掻き分けて鼻を鳴らしている。
「う゛ぁー……くすぐったひ……」
端から見たら酷い絵づらのこの状況を早く脱したいのだけど、この『双頭の毒蛇』、体躯の大きさもさることながら魔力の量もまた多い。
なかなか減らねぇぞこれ……。
結局全て吸い尽くすまで十分近くかかった。
その間ずっと俺の後ろでくんかくんかしていたソラは充分に堪能したらしく、なんだか顔がつやつやしている。
魔力を吸い尽くされた死骸は干からびたミイラのよう。
いい出汁が取れたりするかもしれない。
からからに乾いた皮は試しに丸めてみると、運ぼうと思えば運べる……くらいの大きさになった。
少し歪んだ頭の骨は、狼状態のソラがすっぽり被れそうだ。
……か、かっこいいのでは?
「シエラちゃん。やっぱりこれ持っていきましょう」
「んん。いいけどけっこう手間じゃないか、この大きさ」
どういう心境の変化だろう。
さっきは面倒という言葉に二つ返事だったのに。
ソラは耳を小刻みに動かし、尻尾をローブの中で揺らしながら口を開いた。
「目的の街はまだ先ですが、確か川の手前に人間の寄り合い所がありました」
ソラは巨大な蛇の頭蓋骨を軽々と持ち上げながら続けた。
「そこで金品と換えてもらいましょう。地図は値が張ると聞きました」
まぁ、先立つものは必要だろう。
丸めたカーペットみたいになったそれを持ち上げ、しかし聞いてみる。
「『空駆ける爪』さん、そのお姿は荷運びには不便じゃないですかね」
「……そうですね。そうでした」
答えたソラの耳が心なしか、しゅんとしている。
その姿に、遅まきながら気がついた。
ああ、そうか。そういうこと。
「あー……うん、せっかくだから街道を見てみたいな。案内してくれ」
「……街道を行くなら、私のあの姿は目立ちますよ」
それは確かに。逃げ惑う人々の姿が目に浮かぶ。
それはそれでちょっとおもしろそうだけど。
「んー、目立つのはちょっとな……じゃあ仕方ない」
持ち上げた荷を一度置こうとするソラの腰を、ぽん、と叩いた。
「このまま二人で、歩いていこうか」
「そう、ですね。仕方ないですね」
人間のように。
叶わぬ願い、その代わりというわけでもないけれど……まぁ、急ぐ旅でもないし。
そう、このときは気づいてすらいなかった。
『白き魔女』によるアーティファクト強奪事件が、城塞都市レグルスのみならず、大陸全土に波紋を広げていたなんて。




